砂の瓶
「…………」
うう……。頭が、痛い。体も、だるい。
ああ……僕は、どうだったんだろう? 旅をして、砂漠の村で過ごして、セシリーと別れて、車に乗って……それで……それで……。
「お目覚めですか、ミコ?」
その言葉に、僕は完全に覚醒した。
周囲を見渡すと、車の中だった。ただし眠る前は動いていたのに、今は止まっている。
「う……うん、アド。今、目を覚ましたよ」
「おはようございます、ミコ。お気分はいかがですか?」
「少し……体がだるいかな。でも大丈夫だよ? 僕はどのくらい寝てたの?」
「この車に来てから八時間ほどでしょうか。今は午後三時頃となっています」
どうやら、僕はかなり寝ていたらしい。外に広がる光景が、僕の知る世界とは大きく異なっていた。
「これは……」
一面の砂漠とは全く異なるその光景。深い緑に覆われた大地には、砂漠の砂が全く存在しない。
乾燥した砂漠の匂いとは違う、独特な心地よい香り。
植物だ。
塔の中でずっと過ごしていた僕は、ここまで大規模なものを見たことがない。地面に生えている緑色の草、茶色い根と幹、それから上の方には緑色の葉っぱが生い茂っている。砂漠の村のオアシスにも植物はあったけど、それとは密度もスケールもけた違い。あちこちが植物に覆われているから、それによって砂漠とは全く異なる環境が形作られている。
すごい。
すごいな、世界って。
「あはははははははははっ!」
少し離れただけで、こんなにも違うんだ。僕は新しい世界に来たんだ。これが大自然! 世界の姿なんだっ!
興奮した僕は、車の窓に両手を押し付けて、そのままの勢いで外に出てしまいたくなった。でもかなり頑丈に作られているようで、僕の力では全くびくともしない。
「落ち着いてくださいミコ。今はまだドアがロックされています」
「あはは、ごめんごめん。僕はさ……、あ……あ……れ」
興奮しながら外を見ていた僕だったけど、しばらくしてすぐに気が付いた。気が付いてしまったんだ。
ない。ないのだ。
セシリーからもらった砂人形がない。大切に握ったまま、うとうとと眠ってしまったからどこかに片付けたわけじゃない。けれど今、僕の手には何も握られていなかった。
「ねえ、アド。セシリーからもらった砂の人形知らない? 僕がさ、ずっと持ってたはずなんだけど」
「……本当に申し訳なく、悲しい話なのですがミコ。あなたの砂人形は……こちらに……」
そう言って、アドは僕にあるものを渡してきた。
それはこの手に収まるほどの大きさの小瓶だった。中にはさらさらとした砂のようなものが入っている。
「ちょうどミコが眠ってしまった時に、誤って潰してしまったようでして。砂を接着しただけの人形ですので。強い圧力には弱いのです。せめてと思い、潰れた砂を集めてこの小瓶に収めておきました。私がもっと気を付けていれば……このようなことにはなりませんでした」
そう言って、アドが頭を下げてきた。
「え……」
セシリーからもらった、僕の砂人形が……潰れて壊れた? もう、あのかわいらしい人形は……どこにもない。
この喪失感を言葉で表現することは不可能だった。僕は彼女の分身に等しい大切なものを失ってしまったのだ。
ああ……なんて馬鹿な僕。疲れて、眠くて、そのまま意識を失ってしまうだなんて。せめてアドに預けておけばこんなことにはならなかったんだ。
「どうしよう、僕……絶対に大切にするって言ったのに。セシリーになんて謝れば」
あふれ出る涙を抑えることができなかった。もしも過去の自分に話ができるなら、何十回でも何百回でも注意してやりたい。でもどれだけ悔しがっても、悲しい気持ちになっても、すべては……終わってしまったのだ。
「うう……うう……」
「ミコ。悲しむことはありません。贈り物とは気持ちが大切なのです。たとえ形が変わってしまったとしても、その砂はあの子が贈ってくれたプレゼント。瓶の中に入れておけばもう失うことはないでしょう。彼女との思い出は、あなたの心の中で生き続けるのです」
「……うん」
そう……だね。
泣いていても、悲しんでいても、崩れた砂は返ってこない。なら僕にできることは、旅を続けることだけ。
今は、僕の愚かな失敗を忘れよう。
そして、この旅が終わって塔に引き返す時、セシリーに謝ろう。帰り道に寄ってもらえばいいんだ。絶対そうしよう……。
「ミコ。ご気分が優れぬようでしたら、しばらくこの車で休んでいても良いですよ?」
「ううん、大丈夫。ここにいても仕方ないからね。僕は、行くよ」
「そうですか」
アドはゆっくりと頷いた。
「ではミコ。ご覧の通りこれ以上車は前に進めません。ここからは歩いて進んでいただきます。それほど遠い距離ではありませんが、砂漠とは違い、森にはあなたを害する様々な生き物が存在します。どうかお気を付けてお進みください。加えて、〈キューブ〉を肌身離さずお持ちください。以前の村と同じように、村長にはあなたのことを伝えてあります」
道はまだ続いているが、周囲の植物のせいで狭くなってしまっている。この車をそのまま進めるのは難しいようだ。
僕は車の外に出た。でも、アドは車の中にいるままだった。
「えっと、アドはさ、またどこかに行くの? 僕と一緒には来ないの?」
「私はこの旅の送迎を担当しますが、村での付き添いはありません」
「そうなの? なんで一緒に来ないの?」
車でここまでやってきたんだから、村に泊まるのが一番なんじゃないのかな? 砂漠の村は車を走らせればすぐに塔へ戻れるかもしれないけど、この森の村はもっと離れているはずだ。かなり車を走らせたんだから。
つまりアドは簡単に塔へ戻れない。外で寝泊まりしないといけない。この車で寝ることができるかもしれないけど、それにしても迎えに来る一週間後までこんなところで一人だなんて寂しすぎる。僕と一緒に村に入ることが、アドのためにもなると思うんだけど……。
「私は塔の神官として、いろいろな仕事があるのです。これからこの車で少し離れた村へ行き、必要な作業を済ませてきます。ですからミコよ、私のことは気になさらずに」
「そう……なんだ」
アドの仕事は大変なんだね。僕は外で神官たちが何をやってるかよく知らないけど、村への移住も彼らの勧めだったはずだ。ひょっとすると必要な配給品を車で届けたりしているのかもしれない。
「それでは、よい旅を」
「うん、行ってくるよ」
とても不幸な事故があった。砂人形を壊してしまうなんて、痛恨のミスだった。
けれど、それでも僕の旅は続いているんだ。ここでくよくよしている時間なんかない。
行こう。
僕の旅は、まだ始まったばかりなんだから。




