恩人さんと喫茶店デート?
老夫婦の喫茶店は、鼠被害を乗り越えて無事に営業を再開していた。お客さんは相変わらず少ないらしく、今日も貸し切り状態だ。町民は相変わらずお財布の紐を閉めっぱなしなので、常連すら外食から足を遠ざけている人がいると聞く。この喫茶店の経営は大丈夫なのだろうか。私はもちろん、ミランや店長もお気に入りだから、この騒ぎで閉店なんてことにはなってほしくないものだ。
「ライアーさん、カフェ・クレマと……シュトゥルーデルを二つずつお願いしたい」
「おやおや……はい、好きな席でお待ちを」
なんだか、今日のおじいさんは以前会った時より笑顔が明るい。おばあさんもご機嫌そうに、店に入ってきた私たちを意味深な微笑みで見ていた。
注文した品を用意してくれている間、恩人さんはテーブル席を選んで椅子を引く。私が近寄ると自然な動きで引かれた椅子に誘導されて、見事ぴったりな距離感で座らされたのだった。一連の動作が綺麗すぎて、無意識に感嘆が漏れるというものだ。
恩人さんは私を座らせた後にいつものかっちりとしたジャケットを脱いで、椅子の背もたれにかけると自分も腰を下ろした。タイを緩めて首元のボタンを二つも外している。私の家に来るとき同様、とてもリラックスしているようだ。なのに髪型は綺麗に撫でつけたかっちりモードなので、そのギャップが衝撃的でならない。心臓が忙しない。
様子を私がうっかり凝視するものだから、視線に気づいた恩人さんは少し気まずそうに目線を泳がせる。一度下げた右手を再度首元にやって、ボタンは閉めないけれど襟元を少し閉じた。
「ごほんっ……俺がなにか?」
「い、いいえ?ただ恩人さんがその、その服……ううん。喫茶店に入ったりするのねと、少し意外だったの」
「俺はどんなイメージを抱かれているんだか」
視線に気づいた後の恩人さんはほんのり頬が色付いていて、店内の暖色照明も相まって少しだけ、本当に少しだけ色っぽいと思ってしまった。それだけ。
袖口のボタンをはずして捲り上げながら、恩人さんはゆったりと背もたれに上体を預けた。
「他所の人には誤解されやすいが、俺は別に貴族じゃない。土地の管理と治安維持って意味じゃ仕事は似ているかもしれないけれどね」
他人と関わるから身の回りの物はそれなりに良い物を揃える。服も髪も、だらしないよりきっちり整っていた方が好印象を持たれやすい。土地を借りている人間も、身なりをよく整えた日の方が明らかに空気に棘が無い。だから制服のように定めたこの格好を、仕事に関わるときは必ず着るようになった。地主である以上町を歩くときはいつでも仕事相手に会う可能性がある。結果的に、外では恩人さんはこの服以外を殆ど身につけなくなったそうだ。
おばあさんがコーヒーとシュトゥルーデルを持ってくると、恩人さんは姿勢を正して柔らかい口調でお礼を言う。
コーヒーカップを掴んで口元に運ぶ仕草も、フォークで一口サイズに切ったシュトゥルーデルを食む仕草も、一朝一夕では成しえない気品があった。きっと努力家なのだ、この人は。
「その……先程の男性とは何を話していたんだ?」
上品でも大きな口で食べ進めていたのに、食べ終えるのは私とほとんど同じタイミングだった。私が最後の一口を咀嚼している間に完食した恩人さんは、皿を端に寄せて頬杖をついた。
「答えるのは食べ終えてからでいい。……不躾な質問だと自覚はしている。その、どうしても気になってしまって」
恩人さんの視線は窓の外を向いている。
私は口の中身を飲み込んで、コーヒーを一口啜る。先程のカフェとは違う深みのある香りが鼻を抜けた。食事の直後に、こんなに美味しいコーヒーを飲みながら鼠の話題を出していいものだろうか?
思案しているうちに、恩人さんの視線だけが私の方を向いていた。顔は変わらず窓の外を向いているのに、瞳だけこちらを向いて顔を見ている。少し表情が強張っていることが分かるが、どんな回答を予想しているのかは分からない。
「友人に手紙で、鼠について聞いていたの。その返事を持ってきてくれたのよ」
「鼠?……まさか、君の家にも出たのか?」
私の回答は予想外だったらしい。頬杖をやめて向き直った恩人さんの顔がパッと深刻な表情に変わったので、慌てて両手を横に振る。
「違うの、安心して。被害が長引いているようだし、私が村で聞いていた鼠被害と比べるとちょっと違和感があったから、その確認と相談をしたのよ」
私が否定したことに恩人さんは胸を撫で下ろして、続けて首をひねる。ポーズは頬杖には戻らないで腕組に変わった。
恩人さんが不快に思っていないのを確認して、私は抱いていた違和感を共有する。実害はないけれど長引く鼠の目撃情報、薬を撒いても猫が襲っても出てこない鼠の死骸。聞いているうちに恩人さんの表情は地主さんのものに変わっていく。
鼠の駆除が進まない理由は、おそらく薬剤耐性を持ったスーパーラットの発生。この予想は地主さんたちの間でも出ているらしい。恩人さん曰く一回目の薬の散布と町の清掃時には死骸が発見されていて、その後品物への直接的な被害は報告されなくなったそうだ。
今も被害は抑えられているものの、特に北と西では町と同じくらい鼠が目撃され続けている。次の被害が出る前に新しい配合の薬を試すべきだとする意見と、実害があるまで家畜を薬物に暴露させるのはどうなのかという保守的な意見が対立中だ。
「そこの地主……デカいのがタウペとシュペヒトと言うんだが、彼らが早急に対処したおかげで、家畜や加工場への影響はほぼゼロで済んでいる。とはいえ目撃が続く限り油断はできないから、このところ眉間から皺が消えたところを見てないな」
さぞ気を揉んでいることだろう。もし鼠に食材が齧られようものなら、それら全て売り物にならなくなる。衛生面や家畜が伝染病にかかるリスクだって高い。二年ほど前に近所のおじさんが収穫したヘーゼルナッツの大袋を食い破られたときなんて、筆舌に尽くしがたい表情で慟哭していた。友人も好物が鼠に汚されたと怒り狂っていた。
「それじゃあ、やっぱりシューさんが教えてくれた魔法道具を検討してみたほうが良いのかしら」
薬を使わない、動物と意思疎通を図る魔法道具。効果範囲がどのくらいか聞きそびれてしまったが、鼠一匹でも魔法にかけられたなら巣の特定くらいはできるかもしれない。数十匹を一度に操れるなら、いっぺんに罠へ誘導することもできそうだ。
「魔法道具、魔法道具か……。今は消費する魔力量にもよるな。楽器で特定の音を鳴らせというなら、演奏する腕も必要だ」
「恩人さん楽器は?」
「できると思うか?納涼祭のダンスも危ういぞ」
似合いそうなのに、恩人さんは女の子たちが憧れる万能な青年ではないらしい。町の子たちはバイオリンを弾けそうとかピアノが似合いそうとか言っていたけれど、全部ただの想像だったみたいだ。
「何はともあれ、情報提供はありがたい。道具の詳細な情報を集めて良さそうなら次の会議で提案してみよう」
「お役に立てたなら嬉しいわ」
残り少ないコーヒーはすっかり冷めきっていた。それを一気に喉へ流し込んで、ふと意識が窓の外に向いた。喫茶店はお気に入りのベンチからほど近い路地にある。路地は素直な一本道で、窓を覗けば広場が少しだけ覗くことができた。
広場は小さな笛吹きの像が立っている。よく磨かれて大切にされている銅像は、正直者の町の象徴、嘘嫌いの笛吹きだ。
「キャナリさんは、手紙で違和感の解決はできたのか?」
「ええ。あとは自分なりに調べてみるつもり」
笛吹きの銅像は今日も綺麗に磨かれて、太陽を受けて光っている。




