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トレン町の納涼祭②

「はぐれちゃった」


 見覚えのある笛吹きの銅像が正面にあるけれど、一緒に来たミランがいない。

 脳内のミランが“おばか!”と叫んで、店長と伯父が無言で首を横に振った気がする。


 だって仕方ないのだ。ミランが彼女の知り合いの男性に呼び止められて足を止めたときに、私は邪魔にならないよう少し距離を開けて待っていた。なにせ呼び止めた男性は頬を赤らめて、緊張でカチカチの体を動かしてえミランに声をかけたから。これを邪魔するのは野暮というものだろうと思ったのだ。

 その時たまたま五、六人の集団が三組くらい同時にいろんな方向から歩いて来て近くを通り、元々人が多かった通りが大勢の人で満たされて、しっちゃかめっちゃかになった。

 結果的に、私はいつの間にか人波に流されちゃった。不幸な事故である。


 ちなみに店長は会場ですぐに分かれてバーカウンターに行っている。多分まだそこで呑んでいるはずだ。

 閑話休題、こんな時は慌てても仕方ないのだ。私はいつもと雰囲気ががらりと変わった笛吹きの銅像がある広場で、馴染みのあるベンチに腰を落ち着けることにした。


 広場といえば、結局老夫婦の喫茶店でテイクアウトはしないまま。それどころか買い物の度に訪れているのに、運悪く休業日にばかりあたっている。

 あのケーキがまた食べたい。ああ、思い出したらお腹が減ってきてしまった。


 広場は鳥と猫のオーナメントと夏季らしい植物で装飾されて、非日常な空気で満ちている。陽気な音楽といろんな声が混じって聞こえてくることも要因だろう。ここは中央に銅像があって出店も置きにくいのか、比較的人が少ない。こうしてゆったりとベンチに座っていられるくらいにはゆとりがあった。とはいえ、いつもがほぼ無人なので比較すれば多い方と言えるだろう。


「こんばんは。初めての納涼祭はどうかな?」

「あ、こんばんは!楽しいですよ、今迷子中です」

「あらあら」


 声をかけてくれたのは、喫茶店の老夫婦だった。こういう時に噂をすれば影が差すというのだろうか。連想しただけで噂はしていないので当てはまらない気もする。

 夫婦そろって祭りを楽しんでいたらしく、胸元にお揃いのブローチをつけていた。小鳥を眺める猫がデザインされている。


「ごめんなさい、あの後お店に行けていなくて」

「いいのよ、実は鼠被害があってしばらくお休みしていたの。恩人さんは見つかった?」


 なんということか。あの美味しいケーキもコーヒーも、鼠には勿体ない。


「見つかったけれど、お礼は家で育てている果物を渡すことになったの」

「そうか、あの果樹園跡に引っ越したと言っていたね。じゃあ、果物というのはハーモニーか」

「そう。やっぱり知っているの?」


 老夫婦が教えてくれたところによると、やはりというべきかハーモニーは昔から高級商品だったらしい。一般的なオレンジが一個百ディテリ前後のところ、ハーモニーは五百ディテリ。贈答用はさらに値が張ったという。

 今世話している果樹が当時の味を完璧に出せるなんて思っていないけれど、多少質が落ちてもそこそこの味が期待できるかもしれない。


「泥棒や嫌がらせには充分注意して頂戴ね。地主さんがいる農家は、警備もしてくれるのだけれど」

「ありがとう、気をつけます」


 二人にベンチを譲ろうと立ち上がると、これ以上は自分たちの体に響くからと老夫婦は去ってしまった。元々、出店を一周し終えて家に帰るところだったようだ。

 広場の時計は十九時二十分を指している。もう一時間半も経っていたのかと驚いた。


 知り合いの居なくなった広場で、さてこれからどうしようかと考える。ミランと合流するにはどうしたらいいのだろう。バーカウンターに行って店長を探してもいいけれど、あそこは人が多い。いっそ店舗に戻った方がいいのかもしれない。

 ぼんやりと考え込んでいたのはそう長い時間じゃなかった。知り合いがいない夜の町に心細さが募っていたところに、急にベンチの後ろから太い腕が伸びてきて上半身にまとわりついた。きついアルコール臭と汗の臭いが鼻をつく。


「よおお嬢ちゃん、おめかししちゃってぇ……一人かい?」


 酷い酔っ払いだ。私は全身が硬直して、悲鳴すら出なくなってしまった。

 両腕が無遠慮に体を這いまわり、折角のサマードレスが汚されていく心地がする。少ないとはいえ無視できない数の人の目があるところで、それもベンチというよく目立つところでこんな目に合うなんてと信じられない。

 頭と手足の末端から血の気が引いていく。空っぽの胃から吐き気が込み上げる。男はそれすら楽しそうに、揉みこむように私の体を撫であげた。


「もうすぐダンスだろぉ、良いのかいここに居て」

「……い、いま行くところなのよ。お相手がお手洗いに行っているの」

「本当にぃ?」


 男の口臭にアルコールが混じって酷い臭いだ。まわされた手が一本下に滑らされて、指がドレスの裾を手繰り寄せている。

 座った状態で後ろから覆いかぶさるように抱きすくめられているせいで、立ち上がることはおろか身じろぎすら満足にできない。


 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪いっ。


 広場に居た人は、酔った男と絡まれる私を見るとそそくさと広場から遠ざかって行った。気の毒そうにこちらを見ながら去る男性、青ざめて走って行く女性。残っている人もいたが、酷く酔って気付いていないか余興でも見るように下卑た笑顔をしているかのどちらかだ。

 誰も助けてくれない。


 自衛魔法はどう組み立てるんだったっけ。使ったことはないけれど本で読んだことはあった。大きな音や衝撃を出すだけの魔法は、構造がシンプルで魔法図を構築しやすい。細部までしっかり覚えている。

 けれど恐怖に満ちてパニックを起こした頭では纏まらない。魔法図を構築するどころか、魔力を集めることもできない。


 男の顔が後頭部に埋まり、無遠慮に頬擦りをされて髪が乱れる。せっかくミランが編んでくれた髪とリボンなのに、ぐちゃぐちゃになって臭い息がかけられてしまった。手が裾をめくり終えて太ももへ直に触れた。指が内ももに滑り込み、どこかで口笛が鳴らされる。


 ――もう、限界だった。


「イヤーッ!」

「ぎゃあっ」


 無心で振り上げた右腕が、大きな音をたてて後ろにぶつかる。なんだかうまい事当たってくれたようだ。

 男は悲鳴と共に巻きつけていた腕を引っ込めると、直後、地面に倒れこんで悶絶していた。脚を這っていた両手は自分の顔を半分……いや、右目を覆っていた。


「やだ、あたっちゃたの。ごめんなさいね」


 手に濡れた感覚はなかったから、着けていたブレスレットが目を直撃してしまったみたいだ。

 ミランありがとう、合流したらお礼を言わなくちゃ。


 これ幸いと逃げ出そうとして、足を掴まれて転びそうになる。見ると男が執念深くベンチの下から腕を伸ばして、私の左足首を掴んでいた。なんでそんなところから。


「クソッただじゃおかねぇぞっ……」


 男はじりじりとベンチをくぐる。恨めしそうで起こった表情といい、動きと言い、まるで怨霊みたいで先程とは別種の恐怖が込み上げてくる。


「しゅ、執念深すぎる!」

「同意見だ」


 誰かが私を掴んでいた男の腕を思いっきり踏みつけた。掴まれた私の足首にも一度嫌な予感のする衝撃が伝わって、一拍置いたのちに男が絶叫した。右目を殴った時とは比にならない声だ。

 ベンチの下にいるので、叫ぶ男はそこから動けずそこにいる。何がとは言わないけれど変な方向を向いていた、かもしれない。暗いから目の錯覚かもしれないけれど。


 腕を踏みつけた足は品のいい革靴を履いていて、それは折り目正しいズボンから生えている。

 辿るように目線を上へと動かせば、最近見ていなかったきっちりとした服。そしてそれを着た恩人さんがいた。今日もおでこが露わなので、とても深く刻まれた眉間の皺が丸見えだ。


「おい、警備隊は何をしているんだ」


 鋭い声はいつもより数段低い。一瞬私に向かって言われたのかと思ってしまった。恩人さんの後ろには警棒を持った警備隊員が二人いて、及び腰で「申し訳ございません」と零す。ここでようやく腕から足が退かせられて、不審者は警備隊員に両足を引っ張られる形でベンチの下からいなくなる。

 やっぱり変な方向を……いや、何も見ていないことにしよう。


 警備隊の後ろには青ざめた女性がいて、運ばれていく不審者の姿に顔色はそのままだけれど胸をなでおろす仕草をしていた。ああさっき広場に居た人だと気が付いて、この人が警備隊を呼んでくれたのだと思い至る。


「あの、貴女。ありがとう、助かりました」


 女性は私に何も言わず頭を下げると、少しだけ顔に血の気を戻して去って行った。


 残された私と恩人さんの間に沈黙が横たわる。

 その間に警備隊は不審者を連れて去って行って、見学に徹していたガラの悪い人たちもいつの間にか消えていた。もしかしたら、警備隊が来た時点でいなくなっていたのかもしれない。

 残ったのは何となくサマードレスの裾を叩く私と、腕組をした恩人さんだけ。とても気まずくて、私はついてもいない裾の皺を伸ばすなどした。髪はもう私ではどうしようもない。


「あの、ありがとう」

「……間に合ってよかったよ」


 恩人さんが腕組をしたまま大きくため息をいた。申し訳なくて、目線が地面のレンガを追いかける。

 彼にはここに来てから助けられてばかりだ。最初の列車や馬車もそうだし、最近では定期的に訪問してなにかと助言をしてくれる。今日は危ないところを助けてもらってしまった。ハーモニーだけではお礼が足りなさそうだ。


「ところで、キャナリさんは何故――」


 恩人さんの声をさえぎって、町内のスピーカーから軽快な音がする。


「――えー、納涼祭へお越しの皆様に迷子のお知らせです。オレンジのドレスに、白いリボンをつけたキャナリさん、キャナリさん。お友達がお待ちです。町役場前の迷子センターまでお越しください」


 恩人さんの言葉は止まったまま、数秒沈黙が挟まる。


「……ふっ、あはははっ」


 私の顔は、未だかつてないほど赤くなっていると思う。目線はまた別の意味で上にあげられなくなった。

 恩人さんは組んでいた腕を解いて、お腹を抱えて笑っている。とっても笑っている。きっと「何故一人でこんなところに」と聞きたかったのだと思うのだけれど、答えは町全体に放送されてしまった。笑い声の中、同じアナウンスがもう二回繰り返される。そんなに言わなくても聞こえているからやめてほしい。


「あははっ、さて、ふふ。迷子のお嬢さん。ふふふっ、俺にエスコートさせてもらっても?」


 涙が出る程笑っている恩人さんは、お腹を抱えるのをやめて優雅に手を差し出す。様になっているけれど、震えているので台無しだ。


「よろしく、お願いします……」

「んふふ」


 差し出された手に指先を置くと、しっかりと握られて町役場に向かい歩き出した。恩人さんは到着するまでずっと笑っていて、耐えきれなくなった私が肩の辺りを軽く叩くとまた大きく笑い声をあげていた。



 迷子センターという名のテントで私を待っていたミランと店長は、恩人さんに連れられてきた私に少しの間ポカンと口を開けていた。

 それでもすぐに我に返ると、心配させてと私の頬を片方ずつつねったのだった。

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