花天女
花天女。
下界からそう呼ばれる女性たちが住まう宮殿は高山の上にあった。
仙界と言われることもあるような、下界とはまったくの別世界。
標高の割に息苦しさはなく、緑豊か。動物たちも下界とはまた違った種が生息していた。
だが、下界からここに来ることはおよそ不可能であろう。
宮殿からすぐ下からは過酷と言わんばかりの環境で、動植物はろくになく、空気も限りなく薄い。
宮殿とその周囲のみ保護された場所なのだ。
花天女たちには、階級がある。
産まれてから14歳ほどまでの間が『種姫』。いうなれば見習い期間。
おおよそ14歳以上で『草姫』。見習いよりはやることが多くなるが、まだまだ下積み。
そしてある一定の功績などを積むと『花姫』と呼ばれる。
『花姫』の中で最も秀でた者は『華姫』となり、彼女らを統べる。
下界から花天女と言われる彼女らは天女と言われる通り、不思議な力を宿していた。
具体的には「育む力」というもの。
それは時に豊穣であったり、治癒であったり・・・。
それらの力を使い、下界に些細な奇跡を起こす。それが花天女という存在。
そんな彼女らが住まう宮殿から物語は始まる。
「はやくなさい。牡丹様がお待ちになっていましてよ。」
凛とした声が、長い朱塗りの柱が並ぶ回廊に響く。
青紫の髪をキッチリ結い上げた少女は歩いてきた道を振り返った。
「待って・・桔梗・・・っ」
桔梗と呼ばれた青紫髪の少女からかなり遅れてもう一人の少女がよたよた小走りで来る。
ピンクよりの紫色の髪をした少女はゆるく結んだ髪が顔にかかっていた。
肩を上下させ、息を弾ませている。着ている着物も乱れていた。かなり慌てて来たようだ。
それを見かねた桔梗は来た道を戻り、乱れた髪をそっとまとめ直してやった。
「紫苑、寝坊はよくないわ。それではいつまでたっても『花姫』になれやしない。」
「うぅ、返す言葉もありません・・・」
紫苑とよばれた少女は乱れた着物のあわせを直す。
桔梗はじろじろ紫苑の頭からつま先まで視線を移しながら彼女のまわりを一回りした。
「ふふっ、きれいになったわ。さあ、いきましょう。牡丹様が呆れてしまう前にね。」
彼女から合格の声をきき、紫苑はホッと一息つきながら、ほわんと笑顔を浮かべた。
「うん、ありがとう桔梗。」
紫苑と桔梗はほぼ同期の生まれ。
何をするにもしっかりものの桔梗。のんびり屋の紫苑で一緒だった。不思議とあっていたのだ。
まわりからは「どうしてあんなのんびり屋と一緒なんだ?」と言われたこともある。
それでも桔梗は紫苑の笑顔が好きだった。裏表のない、まっすぐな笑顔だ。
紫苑も桔梗の見返りを求めない親切は非常にありがたかった。時に迷惑をかけすぎていると思って距離をとろうとしたこともある。
だが、桔梗は「私とあなたの仲よ」といつの間にか隣にいた。
二人並んで歩き続けていると回廊の端が見えてきた。
大きな扉には色鮮やかな花や鳥などの細工が施されている。
そしてその扉の両端には二人より小さな女児が大きなリボンを背負ってちょこんと立っていた。
「『種姫』、おつとめご苦労様です。」
桔梗がニコッと笑みを浮かべると、その『種姫』と呼ばれた女児二人はその場でぴしっと足を並べ直し示し合わせたかのように同時に声を発する。
「「桔梗草姫、紫苑草姫お姉さま方、いらっしゃいませ。牡丹華姫様がお待ちですよ。」」
そういうと二人はにっこり笑顔を向けて扉にふれた。「ぽうっ」と手が光り、光が手から扉へと移る。
すると扉が淡く輝き「ゴゴ・・ッ」と重い音を響かせながら開いた。
と同時に扉の内よりふわりと甘い香りが漂う。頭の芯がしびれるような香り。
紫苑は眠気を誘うようななんとも言えないこの香りが少しだけ苦手だった。
そんなことを気にしてもいない桔梗はスッと室内へ歩を進める。
二人が室内に入ると、先ほどの重そうな扉はまた音を立てながら閉まった。
「よう来た。私の可愛い草姫たち。」
奥の檀上から艶めかしい声が降ってきた。
二人はサッと膝をつき、顔を下げる。
「桔梗、ここに参りました。」
「紫苑、ここに参りました。」
緊張した声だ。裏返りそうなのを抑えた声になってしまった。
「くるしゅうないぞ、さあ、顔を見せておくれ。」
先に桔梗がサッと顔をあげ、少し遅れて紫苑が不安そうな顔をあげた。
「牡丹様、私たちをお呼びとのことですがどのような件でしょうか。」
率先して声を上げた桔梗は手にじわりと汗がにじむのを感じた。
それを知ってか知らずか、牡丹と呼ばれた壇上の麗人は滑らかな足を組み換えながら二人を見下ろした。
「ふふ、焦るな。二人にこれをやってもらいたくてな。」
片手を軽く上げると牡丹の側に控えていた女官が封筒を二つ携えて階段を下り二人の側に立った。
二人はそれぞれ受け取る。
「中身は各々で確認するがよい。何、大した事ではないよ。」
紅をひいた唇が弧を描く。
妖艶。そんな言葉がピッタリな様子の牡丹に紫苑は『種姫』の時見えた牡丹を思い返していた。
光り輝くような笑顔でその場にいるだけでその場全てが明るく華やいでいた。
あの方はこのような笑い方もされるような方だったのだろうか・・・。
「では、二人とも期待しているよ?」
要件だけ言うと牡丹は席を立ち周りに控えていた女官を引き連れ奥へと下がっていった。なんともあっさりとした謁見だ。
残された二人は全員が立ち去ったのを確認した後、退出した。
華姫謁見の間から出た二人はその場で背中あわせで封筒の中身を確認していた。
『北の崖に希少な薬草を見つけたと報告があった。採集せよ。』
紫苑の封筒にはそれだけが書かれていた。
「なんだ、びっくりした。牡丹様から何を言われるのかと思ったけど薬草採集なだけなのね。」
桔梗はその言葉にビクッと肩を震わせた。
「え?どうしたの、桔梗?」
普段の彼女にはない反応を不思議に思う紫苑に桔梗はいつもの涼しげな笑顔で首を振った。
「いいえ、なんでもないわ。牡丹様が言うくらいなのですからとても貴重なのよ。そんな軽く思ってはいけないわ。」
「そうね、そうよね。北の崖は先日崖崩れがあったばかりだし、気を付けないとね。」
紫苑は気合を入れるように拳を握った。
その様子を桔梗はどこか遠くを見るように見つめていた。
ガタ、ゴトン、タンスを引っ掻き回す音が廊下まで響く。
先ほどの服より動きやすい装いに着替えた桔梗は紫苑の部屋のドアをたたいた。
「紫苑、支度はできた?忘れ物でもあるの?」
呆れた顔で紫苑の部屋のドアを開ける。
「桔梗、私『戻りの石』がなくって・・・」
『戻りの石』、外出時に身に着けるお守り、そしてココに戻るための道しるべとなる青い石。
『種姫』の時は宮殿から外に出ることはないが、『草姫』となると外出しなくてはならない任務が出てくる。
その時迷子にならないよう一人一つ必ず配られるものだった。
だが、紫苑は数か月外出することがなかったので、すっかりしまった場所がわからなくなったようだった。
「だからあれほど決まった場所に仕舞いなさいと言ったでしょう?もういいわ、私が一緒に行くのだから二人で一つあれば事足りるでしょう?」
桔梗はそういうと首に下げた『戻り石』を紫苑に見せた。
「確かに机の引き出しにしまったはずだったの・・。でもそうね、時間もないし桔梗が一緒なら大丈夫ね!」
いつもと何も変わらない。何も変わらない日々。今日もそういう日。
紫苑は荷物を背負うと桔梗の腕にしがみついた。
「あら、もう。いつまでたっても変わらないわね。」
桔梗は紫苑のずれた簪をそっと直した。
そう、いつもと変わらない。二人は並んで宮殿を後にした。途中『種姫』や『草姫』ら数人とすれ違ったが皆いつもの二人かとにこやかに見送った。
桔梗の手だけがいつもと違って少し汗ばんでいた。
二人は北の崖までやってきた。崖下からは下界からの風が吹き上げてくる。
花天女が生活している場所から下界へは『羽衣』をつかって降りる。
『花姫』になって羽衣が支給されるので、『草姫』『種姫』は下界を知らない。
降りたことある『花姫』によれば争いばかりでろくでもないという。
それでもここでは見れない景色や、不思議な食べ物の話を聞くと下界はずいぶん魅力的に思えた。
「今日は雲の流れも早いね。よくこんな場所に珍しい薬草だなんて見つかったよね。」
紫苑は足元で流れる雲を見ながらキョロキョロ薬草がないかと見まわした。
崖崩れがあったばかりのせいか、どこも岩肌だらけで植物の影はない。
「そうね、でもかえってこんな場所だから見つかったのかもしれないわ。」
桔梗はここにきてからどこか表情が暗い。
いつもだったらサクッと目当てのものを見つけるのに、どこか冴えない顔で景色を眺めている。
「桔梗、謁見で疲れてしまった?なんだか顔色が悪いよ。」
紫苑がそっと桔梗の額に手をやると桔梗は困ったように微笑んだ。
「紫苑に心配されるだなんて、私もまだまだなのね。少し疲れただけよ。ここまで来るのも悪路なんですもの。」
そう言われて足元を見るとすっかり泥だらけである。
「あぁ、本当。こんなに汚れるだなんて・・帰ったらすぐ洗濯場行きだわ・・・」
紫苑はゲンナリした顔になる。
洗濯場を仕切る白百合花姫は一点の汚れも許さない。この汚れを落としきるまで何回やり直しを言い渡されるのか・・・それを考えるだけで恐ろしい。
桔梗はそんな紫苑を見て吹き出した。
「ははっあはははは・・・白百合様は厳しいものね。二人でがんばって落とさないとだ・・・あら?」
桔梗は途中で言葉を区切ると崖の先端を指差した。
そこには小さな星のような花が咲いていた。
「あれが・・・薬草なのかしら?」
紫苑がつぶやくように言うとその花の方へと一歩一歩近づいていく。
そして花の手前でかがむとそっと星の花にふれた。
「わあ・・・かわいい・・・きっと、これよね桔梗?」
そう言って振り返ろうとした時だった。
ドン!!!!!
背中を強い力で押された紫苑の身体がふわりと宙に舞う。
その足元に地面などない、雲海があるのみ。
急速に重力に引き込まれ始めた紫苑は自分を突き落したであろう人物を見た。
「ごめんなさい・・紫苑」
桔梗は届かない言葉をつぶやくとその場にしゃがみ、目を伏せた。
その姿を見えなくなるまで紫苑は見つめ、見えなくなると同時に意識を手放した。
はじめての投稿でテストを兼ねたような投稿です。
少しでも上手くなるよう努力します。