8.手のひらクル―
「――コルリさん、大丈夫?」
「ひどいわ。イスカ様があのような方だったなんて……」
「今までの微笑みは何だったの? ショックだわ」
みんなが駆け寄ってきて慰めてくれるけれど、私は震えるだけで答えることができなかった。
そんな私を見てか、みんなは足元に散らばった手紙の破片を拾い始める。
私もみんなが足元に屈んでいるのに気付いて、ようやく我に返った。
「待って、大丈夫だカラ。ごめんね、そのままでいいヨ。私、すぐにホウキとチリトリを持ってくる!」
だって、掃除用具入れはすぐそこだもの。
どうして私たちが、イスカ様の言う通りに這いつくばらないといけないの?
呆然とした状態から目が覚めると、怒りがメラメラと燃え上がってきた。
みんなも「それもそうか」といった感じで起き上がる。
私は急いで掃除道具を取りに行って戻ると、みんなはとりあえず拾っていた手紙の破片をゴミ箱に捨てていた。
「……すごくショック。別に何かを期待していたわけじゃナイ、ただお礼が言いたかっただけなのに……。やっぱり失礼なことだったみたい。ごめんネ、みんなまで巻き込んで」
「ううん! 気にしないで、コルリさん! 私たちだって、楽しかったんだから」
「今まではね。正直、私もすごくショック。ありえないでしょ?」
ささっとほうきで掃きながら、私はつい愚痴ってしまった。
すると、みんなも同意し始める。
そしてどんどんヒートアップしていく。
「そうよね? そりゃ、イスカ様は伯爵家の御子息でいらっしゃるし、おっしゃってることに間違いはないかもしれないけれど……。いくらなんでも、言い過ぎだと思うわ。それならそうと最初から、そういう態度でいらしてくださったら、私たちだって……ねえ?」
「そうそう。その通りよ。今までのあの笑顔はなんだったの!」
「私、ちょっと前に、イスカ様がこの学校に編入された理由を聞いたんだけど、まさかと思ってたの。でも、あながち嘘じゃなかったのかも……」
「何、何? 気になる!」
「それがね……イスカ様って、実は……」
手紙の破片を集めたちりとりを囲んで、みんなが内緒話をするように顔を寄せ合う。
私はほうきを抱えたまま、一人の女の子――ツグミさんの話に聞き入った。
ツグミさんは、この学校でも過去にいないほどの魔力の持ち主で、当然上位クラスの生徒。
だからファンクラブに入りたいって言ってきた時には、すごく驚いたんだよね。
それはいいとして、ああ、気になる! もったいぶらないで、早く教えて!
ツグミさんは一度みんなの顔を見回して、また話し始めた。
「イスカ様は嫡子ではいらっしゃらないから、騎士を――魔法騎士を目指して、とある魔法騎士様の許で従士として修業なさっていらっしゃったんですって。でもあまりにも騎士としての才能も自覚もないからって……破門されたそうよ。それで伯爵がそれらしい理由をつけて、この学校に編入させたんだって」
「えー! 嘘!」
「かっこ悪い、それ!」
「でしょう? だから私も、その時は信じられなかったんだけど、先ほどのことで、本当かもって思ったの。だって騎士様といえば、身分に関係なく、誰にでも誠意をもって接してくださるじゃない?」
「確かに……」
誰かが同意すると、みんなも大きく頷く。
私が前世で読んだ本では、騎士は淑女に対してはとにかく騎士道を貫くとあったけれど、庶民に対しては同じ人間ではないと考えているのか、横暴に振る舞ったりすることもあったみたい。
だけど、この国では魔法騎士も騎士も、街で見かける機会はけっこうあって、さらには誰に対しても騎士道を発揮してる感じだもの。
だから、騎士に憧れている街の女の子はかなり多い。
「とてもじゃないけど、騎士様には程遠い振舞いだったわよね……」
「誰とは言わないけれど、ひどすぎるもの」
「きっと、その噂は本当よ。ああ、幻滅」
みんなが口々に、誰とは言わないけれど文句を言いだした。
あっという間に手のひらクルー。
そう、所詮はこんなものだ。みんな本気だったわけじゃなくて、憧れの対象が――学校生活が楽しくなる何かが欲しかっただけだから。
「とにかく、コルリさんが謝る必要はないからね」
「そうそう。今まで楽しかったし、これからも仲良くしてね!」
「うん……ありがトウ」
「コルリさんは、その話し方が可愛いんだから。気にしなくていいからね」
「ツグミさん……」
「そうよ。コルリさんは成績だっていいし、火魔法になると上位クラス並みにすごいんだから」
「ありがトウ……」
みんな、優しいよ。
そうだよね。今までみんな、私の話し方で笑ったりしたことのない子たちばかりだもん。
ああ、幸せ。こういう時の女子の連帯感は居心地良い。
だけど、同時にイスカ様への怒りが再燃してきた。
私はともかく、みんなまで馬鹿にするなんて。
また明日からもよろしくね、と友情を確認し合ってみんなと別れたあと。
私は自習室に向かってずんずんと歩き始めた。
ほとんど走っていたかも。
「ノスリ、ちょっと付き合っテ!」
「お、おう……」
予想通り、ノスリは一人で自習していた。
そしていつもなら、どうしたって先に訊いてくるのに、私の勢いに押されたのか、すぐにOKしてくれる。
そんなに怖い顔しているかな?
「……どこに行くんだ?」
「屋上」
「屋上? 何、お貴族様への愛でも叫ぶの?」
「まさか! もうネ、幻滅ナノ。大幻滅!」
怒り心頭に先を歩く私に、ノスリが恐る恐る問いかけてくる。
いつの間にかけっこう遅い時間になってて、そろそろ最終下校時刻が迫っているから、生徒たちもあまりいない。
本当は一人でやれよって話なんだけど、それは誰かに見られたらちょっと恥ずかしいっていうか……。
小心者の元日本人なのだ。
「そもそもね、キャラ変えすぎなんだよ。それなら最初から冷たいキャラでいけっつうの! 今まで微笑みの王子様キャラやってて、なんでいきなり俺様キャラ? アイドルなら、アイドルらしく、最後までアイドれってえの! 別に私は、今までだってアイドルが熱愛発覚しようが平気だったんだよ。だって、アイドルだって人間だもの。男だもの。男は狼だもの」
「おい――」
「私たちの前でアイドルでいてくれたら、それでいいの。だから、今回のことだって微笑んで受け取ってくれて、その後で私たちが見てないところで破り捨てようが、友達と笑おうが、それはそれでいいんだよ。私たちは知らないんだから。それを何? 何でいきなり俺様お貴族様になるわけ? はあ? 意味わからないんですけど!」
「……コルリ、お前の言ってることがさっぱりわからねえ。ちゃんと言葉しゃべろ」
「イイの! これは独り言の愚痴だカラ! でも、付き合わせてごめんネ。勉強中だったのに、ありがトウ!」
「いや、まあ……。とりあえず、ファンレターとやらが失敗したってのはわかった」
「いやああ! もう、思い出させナイで!」
「すまん」
屋上への階段をダンダンと勢いよく上がりながら、ノスリを前にして一人愚痴る。
そりゃ、ノスリ的には突っ込みたくもなるよね。
うん、いつもご迷惑をおかけしております。
やっとたどり着いた屋上、その扉をばんっ開けると、幸いにして誰もいなかった。
よかった。まだ肌寒い季節だしね。
私は屋上へ足を踏み入れると、遠くの山並みに隠れようとしている太陽に目がけ、フェンスギリギリまで進んでいって、思いっきり息を吸い込んだ。
そんな私の後ろで、ノスリが黙って見守っていてくれる気配がする。
それだけで、心強い。マジでいつもありがとう、ノスリ。
頭の中だけでも、ノスリにお礼を言ってから、これでもかってくらいの大声で叫んだ。
「イスカ様の……バカヤロー!」
名前だけは一応、小声だったのは許してほしい。
ノスリ以外の誰かに聞かれたら、間違いなく捕まっちゃうから。
うん、すっきりした。でも念のためにもう一回。
「イスカ様の……バカヤロー! 乙女の夢を返せー!」
私の声が遠くまでこだまするのが聞こえる。
ちょっと恥ずかしいけれど、ノスリがいてくれるから大丈夫。
そう思って振り向くと、ノスリは笑いを堪えていた。
「笑うコト?」
「……いや、何言ってんのか聞き取れなかったけどさ……。昨日まで、あれだけイスカ様だったのに、すげえ変わりようだと思って。女って怖えぇ」
「仕方ないじゃナイ。乙女の心は繊細なのよ。手のひらクルーなんて日常茶飯事。男子だって似たようなものでショ! それにある意味、イスカ様には感謝しテるんだから。これくらいで許してあげるノ」
男子だって、女の子らしさなんて求めて、勝手に女子に幻滅したりするくせに。
つんと顎を上げて、自慢できないことを告げると、ノスリはさらに笑った。
だけど、急にその笑顔が引っ込む。
唖然とした――というより、怖いくらいの真剣な表情にびっくり。
「な、何? どうしたノ?」
今までにないノスリの態度に驚きながら、その視線の先を追って、私も振り向いた。
そして、息を呑む。
私の目に映ったのは、真っ赤な夕日を背にした黒い影。
それはみるみる大きくなって迫ってくる。
「……厄災だ」
ノスリのかすれた声が耳に届く頃には、厄災に気付いた街の人たちの悲鳴もあちらこちらで聞こえた。
「まさか……ドラゴン?」
自然と私の口から出た言葉は、超最悪級の厄災と言われる魔獣の名前。
だって、前世で見たよ。西洋の絵本や映画で。
「避難豪へ逃げるぞ! ぼうっとすんなよ!」
私の声でノスリは我に返ったのか、私の腕を勢いよく引っ張った。
でももう無理だよ。間に合わないよ。
だって、ほら。厄災は――ドラゴンは、もう目の前にいるんだから。
 




