9.ドラゴン襲来
目の前に迫ったドラゴンは、鋼鉄のような真っ黒な鱗に被われているのに、瞳はとても澄んだ水色だった。
そして、その瞳でフェンス越しに私をじっと見つめる。
それだけで、金縛りにあったようにその場から動けない。
どすんっと大きな音が聞こえ、地震がきたように足元がぐらぐら揺れたのは、どうやらドラゴンが校庭に降り立ったからみたい。
ここが学校でよかった。長い尻尾で体育館が壊れてしまったけれど、誰もいないといいな。
そんなことを考えている私は現実逃避をしているのかもしれない。
「コルリ!」
ノスリが私の腕を引っ張る。
私の足は縫い付けられたように動かないのに、ノスリはすごいな。
『ゴウギャ?』
「え?」
『そなたの名はゴウギャというのか?』
「ち、違う。私の名前はコルリだよ」
『ふむ。コルリか。うん、聞き取りやすいな』
とても澄んだ綺麗な声に話しかけられて、ようやく金縛りが解けた私は、まさかと思いつつ周囲を見回す。
ノスリがとっても厳しい表情で私を見ている以外に人はいない。
これって、この声って、ドラゴンの声?
前世の物語の中でよくあった、念話ってやつ?
徐々に落ち着いてきた頭の中で色々と考える。
だけど、結局答えは出なくて、目の前のドラゴンに直接訊いたほうが早いって結論。
「ねえ、ドラゴンさん。あなたが私に話しかけてるの?」
『うむ。その通りだ』
「あ、やっぱりそうなんだ」
『では、ちょっと付き合ってくれ』
「え?」
ドラゴンの言葉を理解するより先に、目の前のフェンスが倒されて、私の体はふわりと宙に浮いた。
あ、これ、やばいやつだ。食べられる?
そう思ったのはドラゴンの大きな前足に掴まれていたことに気付いたから。
「コルリ!」
耳に聞こえたのはノスリの叫ぶ声。
振り返れば、屋上で四つん這いになって必死に私へと右手を伸ばすノスリの姿。
私を助けようとしてくれたんだ。それで転んじゃったんだ。
「ノスリ!」
ごめんね、ノスリ。最後まで迷惑かけちゃった。今までありがとう。
ノスリへと手を伸ばしながらも、もう無駄なことはわかってる。
どんどんどんどんノスリは小さくなって、学校も小さくなって、人々の悲鳴もとっくに聞こえなくなっていて、私は人生の最期を悟った。
ああ、こんなことならちゃんと遺書を書いておけばよかった。
お母さん、お父さん、お兄ちゃん、アトリ、セッカ、さようなら。
おばあちゃんもこんなに怖い思いをしただろうに、店番を代わってもらえてラッキーって思っててごめんね。
『そなたは、何を先ほどから「ごめんね」ばかり言っておるのだ?』
「だって、今までいっぱいお世話になったのに、きちんとお別れも言えずに死んじゃうんだもん。みんな悲しむに決まっているし、『ありがとう』と『ごめん』は伝えたかったなって」
『なぜ死ぬのだ? そなたは病気か怪我でもしているのか?』
「え? 私は元気だけど……だからこそ、あなたは私を食べるんじゃないの?」
『そなたを食べる? ひょっとして、そなたは美味なのか?』
「え? ……違う違う! 全然! 美味しくないよ! 私はまずいです!」
『ふむ。人間は食べたことがなかったから、てっきり今まで美味しいものを逃していたのかと思ったぞ』
「……あの、それじゃあ、私は何のために連れられているのでしょうか?」
びゅんびゅんとものすごいスピードで移動しているのは通り過ぎる景色でわかるのに、私自身にはまったく風が当たらなくて、息苦しくもなく普通に話ができることが不思議。
それ以上に不思議なのは、ドラゴンと会話していることなんだけど。
『我は退屈なのだ。だから話し相手がほしい』
「話し相手? でもそれなら、私よりももっと色々な話を知っている人のほうがいいんじゃないの?」
例えば賢者とかそういう人たち? まあ、私も前世の記憶が少しあるから、普通の人よりは幅広い話はできるかもしれないけど……。
『我と話ができる相手は今までいなかった。それでようやく見つけたのがそなただ』
「え? 何で? 他に話ができる相手はいないってこと?」
『だからそう言っておろう。あまりにも退屈で昼寝をしておった。そうしてしばらくして目が覚めた時、とても賑やかな音が聞こえてきたので、様子を見に行けば、人間どもが「ぎゃあぎゃあ」騒ぐだけで、あっという間に隠れてしまった。誰も我の言葉に耳を貸さない。それで仕方なく住処に戻ったのだ』
「それって……ひと月ほど前のこと?」
『はて、ひと月? それはどれくらいの長さかの? 陽が何度昇ればひと月なのだ?』
「三十回よ。正確には三十回と二回太陽が沈んだ前に、シプスターの街にドラゴンが現れたって大騒ぎになったの。幸い人的被害はなかったけど、建物はたくさん壊れて、一度炎も吐いたから火事にもなったらしいわ」
『おお、そうか。それはおそらく我だな。何回太陽が昇ったかは覚えておらぬが、それくらい前に人間が騒いでおる場所に赴いた。しかし、結局は何も楽しくなかったので、ため息を吐いたのだ』
「ため息が炎だなんて……」
さすがドラゴン。感心している場合じゃないけど、やっぱり感心せずにはいられない。
そこで気がついたけれど、周囲を新幹線以上に速く進んでいた景色はゆっくりになり、目の前にもくもくと煙が上がる山が見えてきた。
ちょっと待って。あれって、火山じゃない?
飛び越えるのかと思っていると、ドラゴンは私を掴んだまま、ゆっくりと火口に向かって降下を始めた。
「ちょ、ちょっと! 火山だよ? 煙が出てるよ? 活きてるよ?」
『我の住処だ。心配ない』
「でもでも! 私、酸素が必要なんだよ!? あんなに煙が出てるけど、水蒸気だけじゃなくて硫黄とかあるよね? 無理! 死んじゃうよ!」
『サンソやイオウが何なのかは知らぬが、心配せずとも我の傍から離れなければ大丈夫だ』
「そ、そうなの……?」
魔法のある世界だし、ドラゴンだし、それもありなのかな?
ドラゴンを信じてそのまま煙の中に突っ込む。
だけど確かにドラゴンの周囲は清浄な空気に包まれているようだった。
考えてみれば、新幹線より速く移動している状態だったのに、普通なら話すどころか呼吸だって難しいよね。
と納得したものの、どんどん下降していくにつれ、煙の合間にちらちらと見えたのは真っ赤に煮えたぎる溶岩。
「ド、ドラゴンさん! ぐつぐつ煮えてるよ! 溶岩が!」
ドラゴンの鱗が黒くなったのって、どっかの温泉卵みたいに茹だったからじゃないの!?
焦る私に、ドラゴンは呆れたようにため息を吐いた。——って、炎が出てるし!
『コルリは心配性だな』
「だって! ……大丈夫なの?」
『だから、そう言っておる』
「そっか……」
納得したところで、ドラゴンはぐつぐつと煮えたぎる溶岩の淵にある、もわもわと煙の出ている地面に降り立った。
本当だ。今のところ何ともない。
で、これからどうなるのだろう……?




