37.長官の書類
やがてミヤコちゃんが見えなくなると、お兄ちゃんは静かに窓を閉めた。
そして振り向いた顔はとても真剣で、ちょっとだけ怖くなる。
私、何かいけないことしたかな? お兄ちゃんの部屋から小説を何冊か持ち出したまま返していないけど、それ以外には思い当らない。
「ちょっと待っていてくれるかな。ノスリ君も」
「あ、はい」
「うん……?」
お兄ちゃんは結局、それだけ言うと部屋から出ていった。
何だったんだろう?
ノスリはすっかり考え込んじゃって、気まずい空気が部屋に流れる。
そりゃ、心配だよね。それと同時に希望も持っちゃうもんね。
「――待たせて悪かったね。母さんにノスリ君の晩御飯も頼んでいたんだ」
「え? でも、俺、外泊届を出していないんです」
「うん。そうだと思って寮へは連絡しておいたよ。今日は我が家で泊まるって」
「あの……」
「これでも一応、国の機関で働いている魔法使いだからね。下っ端だけど。内密伝達も扱えるんだ」
戻ってきたお兄ちゃんは、驚くノスリに悪戯っぽい笑顔を向けた。
よかった。いつものお兄ちゃんだ。
「さてと、では本題に入ろうか」
「……本題?」
「コルリ、さっき話があると言っただろう?」
「あ、そうだっタ」
そういえば、ノスリの国の話とかになっちゃったけど、元々はお兄ちゃんから話があるって言われてたんだ。
いや、ノスリも話があったんだよね。それはひとまず保留かな? 解決できたわけじゃないけど、ミヤコちゃんが調査に行ってくれたから。
お兄ちゃんは、私を見てちょっとだけ疲れたように息を吐いてから話し始めた。
「ミヤコちゃんの力が知られた今、コルリは学校を退学するべきだと思うんだ」
「退学!? 何デ!?」
突然のお兄ちゃんの提案に、びっくりして私はすぐに訊き返した。
ノスリも驚いた顔をしている。
「いくらミヤコちゃんがドラゴンだとはばれていないにしても、かなり強い魔獣だということはもう国中に知られてしまっただろう? ひょっとすると、大陸中といっていいかもしれない。そうなると、ミヤコちゃんを使い魔にしているコルリの扱いはどうなると思う?」
「扱いっテ……卒業後は軍に配属されるカナって思ってたケド……」
「おそらくね。まあ、一兵卒ではなく、それなりの階級を与えられるだろうけど、軍人は軍人だ。上官の――国王陛下のご命令があれば、理不尽なことでも従わなければならない。それが人に害をなす魔獣退治ならまだいい。だが、他国を侵略しろなんて命じられたら?」
「そ、そんなコト……」
「ないとは言い切れないでしょうね。そして、ミヤコちゃん――フェニックスという脅威が存在する限り、他国もコルリを放っておくとは思えません」
「うん、僕もそう思う。それならいっそのこと国に保護してもらうために、軍ではなく別の機関で働かせてもらうという案も考えたが、結局は国王陛下のご意向次第で何をさせられるかわからない。それに……」
「何? 他にもあるの?」
軍に入ることは考えていたけど、そこまで深刻に考えていなかった。
戦争にミヤコちゃんが利用されることになるかもしれないとか、他国までもが私を――ミヤコちゃんを狙ってきたりするなんて。
それなのに、お兄ちゃんはまだ何か言いかけてためらってる。
もう、何なの? この際だからはっきり言ってほしくて急かした。
「狙われるのは、コルリだけじゃない。たぶん家族もだ」
「え……」
「人質ですか……」
言葉を失う私と違って、ノスリは当然のように恐ろしい言葉を口にする。
人質だなんて……。
くらくらしてきたけど、そんな場合じゃない。家族を――ミヤコちゃんを守らなきゃ。
どうすればいいのか、お兄ちゃんは考えているってことだよね?
「お兄ちゃん、それで退学ナノ? でも退学するにはお金がかかるヨ? それに、家族を守るタメには、どうしたらいい?」
「いや、退学したからといって、簡単にコルリを国が手放しますかね?」
私が期待してお兄ちゃんに質問しているのに、ノスリが水を差す。
ううん、そうじゃない。現実を突きつけてくれてるんだ。
卑屈にならないよう、しっかり頭を働かせてお兄ちゃんを見ると、お兄ちゃんは優しく笑ってくれた。
ああ、この笑顔。難しい問題が解けた時によく見せてくれた顔だ。
「退学金に関しては心配いらないよ。それと、家族を――みんなを守るためには引っ越すのが正解だろうね。王都から離れたどこか……違う都市で、それでも軍の守りが堅い場所。引っ越し資金も問題ない。あとは父さんたちに説明しないといけないけど、きっと納得して承知してくれるはずだ。そして、国に関してだが……それは長官が上手く取り成してくれるようだよ」
「長官っテ、魔法長官?」
「なるほど。あの爺さんか……」
ここでお兄ちゃんの口から長官が出てくるとは思ってなかったよ。
でもそうか。そういうことだ。
「お兄ちゃんが長官から渡された書類、あれっテ本当は何て書いてあっタの?」
そう訊ねると、お兄ちゃんは気まずそうに笑った。
要するにあの時、意味がわからないって言ってたけど、嘘だったんだ。
まあ、嘘とは言えないかな?
きっとハクセさんの先見の力で、長官は私の取り巻く環境の変化を知ってたんだ。
にしても、ここまでしてくれるなんて……。
やだ、怖い。ちょっといい人すぎない?
まさか何か裏があるとか。って、それはないかな。
ただの勘だけど。
「実は、コルリの退学金だけど……いや、僕たち家族の引越し費用もだけど、それらは全て長官が用立ててくれている」
「ええ!? だっテ、かなり高額だよ!? お兄ちゃん、受け取っちゃっタの!?」
「最初は信じられなかったし、受け入れられなかったよ。だからあの後、また長官に手紙を書いたんだ。だけど、一度受け取ったんだから返すのは許さないって返事を貰ってね。悩んだんだけど、しばらく様子を見ることにしたよ。もし必要ないなら寄付すればいいと思ってね」
「お金のことはわかりました。それで、他に何か書かれていたんですか?」
私がまだ混乱している間に、ノスリはさっさと話を進めようとした。
それが大切なのはわかるけど、お金だよ? 大金だよ?
赤の他人から大金を譲り受けてもいいものなの?
うーん、もやもやする。
「それが、長官からの条件が明記されていたんだよ」
ああ、やっぱりタダより高いものはないよね。
そう思ったけど、お兄ちゃんの口から出たのは拍子抜けする言葉。
「この国をどうか見守ってほしい」だなんて。
最初に会った時も似たようなこと言ってたよね?
逆に何でそんなに言うのって不思議になるんだけど。
それからは、これからのことを話して、お兄ちゃんが明日、私の退学手続きをしてくれることになった。
晩御飯の時には、みんなに事情を説明する。
お父さんもお母さんも残念がってはいたけれど、今日は野次馬的なお客さんも多くて、この先のことを考えたら引っ越したほうがいいだろうと賛成してくれた。
双子たちはわくわくしているし、おばあちゃんはもう達観しているみたい。
「あの、僕も考えたんですけど……」
「ノスリ?」
あれやこれやと家族で計画を立て始めたその時、今まで黙って食事をしていたノスリが声を上げた。
しまった。家族の話にノスリを付き合わせてしまっていたよ。
申し訳ないことをしたなと思いつつ、ノスリを見ると、真っ直ぐに見返されてちょっとだけ怯む。
「コルリも退学することですし、僕も退学しようと思います」
「え? でも……」
「元々、僕は魔獣の発生を抑えるヒントがあるんじゃないかと、この国で学ぼうと思っていたんですが、ミヤコちゃんのお陰でだいたいはわかりました。今、ミヤコちゃんはさらに僕の国のために調査に行ってくれています。だからミヤコちゃんが帰ってきたら、僕の国に魔獣が頻発する理由がわからなくても、僕はもう国へ帰ろうと思います。皆さんには本当によくしていただいて、感謝しています。ありがとうございました」
「そんな……」
「ノスリ君、君にはコルリが世話になったんだ。感謝なんてこちらがしたいくらいだよ」
「そうよ、ノスリ君。でも国へ帰るって大丈夫なの? 道中だって長いでしょう?」
「大丈夫です。この国へ来ることだってできたんですから、あの時より大きくなった今はもっと短い時間で帰ることができるはずです」
「でも三年もたっていれば、各国の情勢も変わっているだろうし、出発する前にしっかり情報は集めておかないといけないね。僕もできるだけ情報を集めてみるよ」
「助かります」
私の驚きを無視して、ノスリもお父さんお母さん、お兄ちゃんまでもが話を進めていく。
ノスリが国へ帰るなんて何、それ? 何でそんなに急なの?
そもそも何で私はこんなに腹が立ってるの? もう、わけがわからないよ。




