おまけ
思っていたより高評価を頂きましたので、調子に乗っておまけ追加。
「…………疲れた……」
用意してもらった布団に倒れ込み、思わず呟く。
仕込みを手伝うのも、店頭に立つのも、閉店後の片付けをするのも想定内だ。告白がうまくいったら、と思ってエプロンも持ってきた。常連のお客さんに紹介されるだろうことも覚悟していた。
しかし、しかしだ。
紹介の仕方が“彼氏”ではなく、“後継ぎ”とか“看板息子”とか“婚約者”だというのは想定外だ。苑乃の結婚するから宣言といい、何故いきなり逃げ場を塞ぎにかかるんだ、ここの家族は。
いや、家族だけではない。馴染みのお客さんにも「苑乃ちゃんを泣かせたらただじゃおかない」と散々脅された。
「大将、包丁の手入れはちゃんとやってるだろうな」
「もちろんだ。触っただけで切れるぞ」
――なんて会話を目の前でされることも数回。
分厚い壁に囲まれてめった刺しにされる恐怖を感じながらの給仕は、たぶんフルマラソンより大変だったと思う。
逃げる意思がなくて本当によかった。もし少しでもあったら、なんて考えたくもない。
間違えたかなぁ……。
あれだけ悩んで意を決して来たのに、そんなことを思ってしまう。
蟻地獄か魔のトライアングルか知らないが、ここは入ったら出られない場所だった。苑乃の結婚するから宣言にびびっていたが、甘かった。「結婚してください」なんて言った覚えがないのに、それはすでに店中で決定事項になっていて、訂正する猶予すら与えてもらえない。
――というか、訂正したら、
「遊びだったのか!」
とか言われて刺されそうだ。まだ、手も握っていないのに。
はぁ――、と溜め息をつき、ごろんと仰向けになる。
今いるのは、酔い潰れたお客さんを泊めるという四畳半の和室。幸い今日は潰れるほど飲む人がいなかったので、この部屋を貸してもらえた。誰かが酔い潰れていたら、苑乃の言ったとおり、部屋どころか布団もなかったらしい。
もし、そうなっていたら――と考えそうになって、慌てて思考を止める。
初対面のご両親がいる家で抱く勇気はさすがにない。苑乃がどれだけ声を出すかもわからないし、やっぱり初めては二人きりの所でないと。
「司くん、入るよ」
襖の向こうからいきなり声がして跳び起きた。下半身が反応する手前で思考は止めていたが――少しばかり、気まずい。
「お疲れさま。麦茶、持ってきたよ」
「あ、ああ。ありがとう」
挙動不審になってしまう俺に、苑乃が首を傾げた。
「どうかした?」
「いや、べつに……」
言えるか、そんなこと。
ふうん、と不思議そうな顔をして、苑乃が二つのグラスが乗った盆を畳におろす。
そして「どうぞ」と俺に片方のグラスを渡し、隣に座った。
「お疲れさまでした」
もう一度、労いの言葉を口にして笑う。
勝手に婚約者などと紹介したことに文句を言おうと思っていたのに、その笑顔で言えなくなってしまった。
「司くん、接客うまいんだね。お客さんたちが褒めてたよ」
自分が褒められたような嬉しそうな顔で苑乃が言った。その“お客さんたち”は、ほぼイコールで俺に脅しをかけていった人々なので、こちらとしてはあまり嬉しくない。
「学生時代に近所の店でバイトしてたので」
「あ、そうなんだ」
素っ気ない返答に相槌を打った苑乃の顔が、何故かさっきより嬉しそうに綻んだ。
「……どうかしましたか?」
「んー、司くんの話聞くの初めてだなぁ、と思って」
幸せそうな顔で笑われ、こちらが恥ずかしくなる。近所の店でバイトしてたなんて些細な情報で、そんなに喜ばなくても。
――でも、そうか。俺はずっと話を聞き流すだけで、自分の話なんかしなかったもんな。
「……すみません。ずっと、冷たい態度とってて」
思わず謝った俺に、苑乃が「ううん」と首を振った。
「嬉しかったよ。司くんが手伝ってくれて」
本気で言っていることがわかる顔で言われ、罪悪感がさらに強くなった。
「いや、それは……断るってことに気づかなかっただけで……」
懺悔のつもりでごにょごにょと呟くと、苑乃が「あ、やっぱり」と言って笑った。
「嫌そうな顔してるくせに、いつも手伝ってくれるから不思議だったんだけど――やっぱり、そうだったんだ」
過去の自分を思い出し、ばつが悪くなる。人の顔なんか見ていないと思っていたが、苑乃はしっかり気づいていた。それどころか、見透かされていた。
「……すみません」
「だから、謝る必要ないんだって」
あはは、と笑う苑乃の顔が眩しい。
「初めて会ったときにね、いい人だなって思ったんだ」
自分の小ささに気づいて落ち込んでいると、苑乃がそんなことを言いだした。
「何人も声かけたけど、手伝ってもらえなくてね。司くんが当たり前のように手伝ってくれて、すごく嬉しかった」
「だからそれは、断るって選択肢に気づかなかっただけで……」
「うん。でも、その選択肢に気づかないってことは、基本的にいい人なんだよ」
まっすぐに向けられた台詞が俺の頬を熱くする。
自分では阿呆としか思えなかったのに、苑乃はこんなにも前向きに捉えてくれていた。そのことが、ものすごく嬉しい。
間違えたかな、なんて思って悪かったな……。
ちっとも間違えてなかった。逢いに来てよかった。本当に別れてしまう前に、気づけてよかった。
赤くなった顔を隠しながら、じんわりとした優しさに浸る。
「――ちょっと、いいかな?」
苑乃の声で我に返ったが、顔はまだ見せられる状態ではない。
「よくありません」
そう返したが、考えてみれば相手は苑乃だった。
「足をそのまま伸ばしてくれる?」
俺の返答をまったく無視した台詞に諦めて足を伸ばす。
「もうちょっと開いて……うん、そうそう」
さらに続けられた注文に従うと、思ったとおりの格好になったのか、苑乃が満足げに頷いた。
「――じゃあ、ちょっとごめんね」
え?
と思う間もなかった。
開いた足の間に、すとんと苑乃が腰を下ろす。
背中を向けられてはいるが――この体勢、やばいんですけど。
反応しそうな下半身を必死で抑える俺に向かって苑乃が笑った。
「この体勢、けっこう恥ずかしいね」
「……じゃあ、やめてもらえませんか……」
「いや?」
「いやって言うか……」
嬉しすぎて色々とやばい。ほのかに色づいた苑乃の顔とか、小首を傾げるその仕草とか、可愛いすぎて抱きしめたくなる。頼むから、こういうことはそのまま押し倒していいときにやってくれ。
思っていることを口に出せずに黙りこむ俺の顔を苑乃はしばらく見ていたが、やがて諦めたのか捻っていた体を戻した。
しかし、ほっとしたのも束の間。
おもむろに俺の腕をつかみ、そのまま自分の胸の前で交差させた。
触れないようにと仰け反っていたところを引っ張られたのだからたまらない。バランスが崩れ、咄嗟に苑乃の身体にしがみついてしまった。
慌てて離れようとしたが、苑乃が腕を持ったままで動かせない。
「あ、の……」
離してくださいと言おうとしたら、きゅうっと腕を抱きしめられた。
……それ、マジでやばいって……。
柔らかな感触が俺を襲う。風呂上がりなので下着もつけていないらしい。腕にあたる柔らかな膨らみとの間には寝巻一枚あるだけだ。
「なにを……」
したいのか。して欲しいのか。
気を紛らしたかったのに核心をついた質問には、予想とは少し違った回答が返ってきた。
「彼氏ができたら、こうしてもらうのが夢だったんだよね」
その言葉で今まで彼氏がいなかったことを知り、やばい方向に向かいそうになる思考を必死で冷ます。俺が初めての男かとか思ったら負けだ。今は考えるな。
どうせ苑乃は、“嬉しさと恥じらいを含ませてはにかむ”なんて暴力的に可愛い仕草も無意識にしているだけで、これ以上の行為を求めてなどいないのだ。この体勢だって、どうせ――
「…………苑乃って、もしかして甘えん坊ですか?」
思考を散らす中で気づいたことを思考を散らすために口にすると、苑乃はあっさり「そうだよ」と頷いた。
「司くんには、ずっと甘えてたんだけどな。気づいてなかった?」
「……いえ、まったく」
さっぱり心当たりがなくてそう返すと、苑乃が振り返りながら「えへへ」と笑った。
「ずっと、荷物持ってもらってたじゃない」
「……それは、重かったからでしょう?」
「ううん。あんまり重くないときも手伝ってもらった」
「…………は?」
初めての告白に一瞬思考が止まる。
思い返してみれば、確かにあまり重くないときもあった。ちっちゃいからこれでも重いのだろうと思って手伝っていたが、……違ったのか。
「司くんが手伝ってくれるから、司くんに会えそうな時間に倉庫に行ったりもしてた」
それも初耳だ。やたらと手伝わされることが多いなとは思っていたが、まさか狙われていたなんて。
「……待ってください。“甘えてた”って、それですか?」
「それだよ」
あっさりと返され、言葉を失う。なんだその甘さの欠片もない甘え方。
呆気にとられていたら、苑乃の胸の前にあった腕をきゅっとつかまれた。
「……ごめんね。司くんがずっとカレー食べてたの知ってた」
突然、声が殊勝なものに変わり、心臓がびくんと跳ねた。
「昼休み、削ってること知ってて、でも、甘えるのやめられなかったんだよね」
「……べつに、たいしたことじゃありません」
そう返したが、説得力がない。当時は確かに鬱陶しく思っていたのだ。
腕を拘束する力が強くなる。だが、痛くはない。大切に愛しげに胸に抱かれ、俺と同じように鼓動が速まっているのが伝わってくる。
「司くんは優しいからなぁ」
ふいに、気持ちを誤魔化すように苑乃が言った。
「一度だって断ってくれたら、もう頼まなかったのに、嫌そうな顔しながらずっと手伝ってくれるんだもん」
……それをなぜ不満げに言われるのだろう。
真意を読めなくて黙っていたら、腕を撫でられた。
「……だから、ずっと甘えちゃった。ごめんね」
その台詞で、なんとなく理解した。たぶんこの人はずっと、俺に「悪い」と思っていたのだろう。態度がでかいのはただのフリで、本当はこういう人なのだろう。
好きに触らせていた腕に力を込める。ちっちゃな身体がびくりと強張った。
「……ひとつ、言っていいですか?」
「な、な、な、なにかな?」
「俺はこういう甘え方の方が嬉しいです」
たぶん今、息が止まった。
がちがちに固まったちっちゃな身体が愛おしい。
“ちっちゃくて可愛い先輩”なんて言われたときは“可愛い”なんてまったく思っていなかったけど、どうして気づかなかったんだろう。この人は、こんなにも可愛いのに――
「苑乃……」
固まった首を無理やり回し、こちらを向かせる。
顔は極限まで赤く染まり、瞳からは今にも涙が零れそうだ。
――あぁ、参ったな……。
内心で舌を打つ。
逃げられるわけないじゃないか、この人から。
壁も刃物も必要ない。たったこれだけのことで、こんな反応を返してくれるこの人から、俺が逃げられるわけがない。
熱くなった頬に手を添える。
「……噛まないでくださいよ……」
目を閉じて、そっと重ねた唇は、溶けそうなくらいに柔らかかった。
< 了 >
結局、“敬語”“くん付け”をやめられない二人でした。