9 女王の招待状6 ニワトリ庭師
なんなの…?
いや、これは夢なのだ。
なんでもありだと言われたら、確かにそうーーーなのかもしれないが…
「私、これからどうしたらいいの…?」
へたへたと尻もちをついて座り込んだ女は、背後からトントンと肩を叩かれて、涙目で振り返った。
ほっかむりにオーバーオール。どうやって持っているのか、片羽にバケツ、もう片羽にひしゃくを持っている。
農夫としか言えないような格好のニワトリがそこにいた。
「あちゃー、すまねがったなあ! 侵入者だと思ったがよ」「オメェさん、女王陛下のお客様がよォ」
すまねがった、すまねがった。
(しゃべった…?)
しゃべった!!!!!!!
リアルなニワトリが少しなまった言葉を流暢にしゃべるのに気圧されて、ポカンと口が開く。
(いいえ。夢だもの。こんなこともあるのよ)
それが証拠に、現実であれば卒倒するところだが、今でもギリギリ意識を保っている。
「あの二人は迷いの森の双子だない。連れがい?」
瞬きも忘れたひどい顔でコクコクと頷けば、「そいつァわりいごとしだない」と頭をかくとしか言えない仕草をしてすまなさそうに羽を震わせた。
「あどでオメェさんのとごさ、ちゃーんと連れでくっから」
「あ…あの、あなたは?」
「オラァは、こごの庭師よォ。こごの薔薇はみぃんなオラァとカカァで育てたんだァな」
あのくちばしの一体どこら辺から声が出ているのか。この繊細な庭の造園師が、ニワトリ? いや、トランプの兵隊がせっせと植えたと言われるよりは信じられる…?
(ニワトリの庭師…って)
庭には二羽…いや、よそう。
「何してるだ。早よう来ォ」
数歩先だって歩き出したニワトリに急かされて、女は慌てて後を追った。
△
今まで迷っていたのが嘘のようにさくさくと城が近づいてくるのに、女はホッと胸をなでおろした。
「あの…さっきはどうして私が招待状を持っているって…?」
「そりゃあオメェ、オラァが鳥だからよォ。向こうも鳥オラァも鳥っちゅうことで、ハァ同族同士そのへんは大体ェわがるっちゅうことになっでんだァ」
(やっぱり鳥なんだ…)
見た目はともかく、ニワトリは真面目な農夫ーーーいや、庭師であるようだった。
歩きながら花の様子を確かめ、バケツの中身ーーー肥やしを水で薄めたものだということだった。肥やしに何が入っているのかは聞かないでおいたーーーを時折ひしゃくですくってまいている。
「肥やしなんざまかなくとも育つこた育つんだども、やっぱし手ェかけであっだやつのが出来がちがうもんだでよ」「なるだけこうしで手ェかけでやるだァよ」
コッココッコと笑いながら、蕾に影をつくる葉を間引き、花のバランスを吟味する。
尾羽が長くないタイプのニワトリらしく、羽毛が分厚いのか肉付きがいいのか定かでないが、丸っこいお尻をひょこひょこ振りながら歩く様は、足が少しばかり長かろうと両翼がありえないほど器用だろうと、どこまで行ってもニワトリだ。しかも、リアルな。
時間が経って、やや余裕が出てき、ニワトリの後姿を観察する。
服を着たしゃべるニワトリ。しかも、ちょっとコロコロして丸っこい。
(こうしてると、なんだかヒヨコになったみたい…)
(ある意味ファンシーだわ…ファンタジーね…)
つまり、かなりショッキングだ。
これが自分の中から出たものかと思うと、わりとお固い方だとか常識人だとか思っていた自分のイメージが崩れるようだ。
価値観の崩壊。
真面目な顔の裏側では、ニワトリって庭造りに向いてそうとか農夫っぽいとか考えていたのだろうか。
自分のことなんて結局よくわからないものなのかもしれない。
「そいで、オメェさんなしてこったらとごさ来ただ」「女王陛下に招待状をいただいたっちゅうことは差し引いてよ。なしてこったら世界さ落ちで来ただ」
明日の天気の話でもするかのような気軽さで、庭師がほがらかに言う。
「それはーーー」
これがゆめだからだ。
答えようとして、のどがつまったようになる。
夢じゃない? 夢のはずだ。
はじめからみんな夢じゃなかったと言うのだろうか? ちがう。そうじゃない。
だって記憶がある。
ベッドに入って眠ったのだ。夕飯を食べ、風呂に入って、パジャマに着替えた。
「ははあ、さてはオメェさん『こっち』さ来てまだ日が浅ェだな」「どうりでそんな顔だ」
ニワトリは勝手に話し出す。
いつの間にかニワトリの背中を追うのを止めてしまっていた女に気付き、「コレコレ! ちゃーんとついで来ねば。まァだ迷っちまうでねェか」と歩くのをうながしてやって、ニワトリは昔話に花を咲かせた。
昔、ニワトリはさる農家に生まれた。
ニワトリの世界は、決まったものでできていた。金網と木枠と毎日農夫から差し入れられる『エサ』。
考えることはしなかった。
考えたところで世界は変わらないし、カカァ共ーーーその時は三羽ほどいたーーーに産ませた卵はみんなとられる。
ただ、止まり木に座って、金網の向こう、太陽の下農夫がつまらなそうな顔で作物を育てているのを見ていた。
「ただの一瞬考えただ。『オラァが向こう側さ行きてェ』『オラァが向こうさ行っだら、花も草もみぃんな愛でて育ててやるだに』ってよ」
まあ叶うはずもない。それこそただの夢だった。
三羽ほどいた妻はだんだん顔触れが変わったが、中々ニワトリの順番は来ないまま何年か
過ぎ、若鶏と言える時間が終わったころ、農夫の皮の分厚い大きな手にパッとつかまれたかと思ったら、首を切られて殺された。
スープになったか丸焼きになったかは知らないが、それで気付いたら農夫の格好でこの不思議の国に立っていたのだ。
「こん世界は『向こう』で手放されだ時間が落ちでくんだ。オメェさんはまた日が浅ェようだけんど、そんでも朝も夜もねェっつうこどくれェはハァわがるべ?」「なしてそったらこどさなるど思う?」
「時間があふれてっがらだァ」
「こん世界では時間は過ぎねェ。重なるだけだ」
「オメェさんはなしてこったら世界さ来だ?」
「オラァは人間はそう好きでねェ。だども、オメェさんはオラ達の薔薇を好いでぐれだから教えてやるだ」
「オラァはこの世界さ落ちできた人間を数えきれねェくれェ見てきた。なしてこったら世界さ来たか思い出せねば、時間に潰されで狂っちまうだぞ」
「私、死んだの? 」
急性心不全だったら、まぁまだそんな年ではなかったが、ありえなくもない。
「やり残したことがあるの?」
「そったらこどさ、オラァは知らね。生きだ時間も死んだ時間も、手が離れた時間は手放されだ時間だ。どっちでもみぃんなおんなじだでよ」
「出口だ」
いつの間にか、城は目前に迫っていた。
首が痛くなるほど見上げても、もう全部は見えない。
あーんと大きく開いた口のような形の門の両側にトランプの兵隊が1人づつーーーいや1枚づつか?ーーー立っている。
「ーーーここは、夢の中でしょう?」
「んだなァ。オメェさんがそう思うっちゅうなら、こごは夢の中だ。だども、オメェさんがどう思おうが、オメェさんがいるのは、今はこごだ。こごさいる限り、それはハァ変わらねェこんだ」
産まれたてのヒヨコに教えるように庭師がのんびりと言う。
「ーーーこの『夢』は、長ェ『夢』だ」
「ことによったら、自分がなんだったがも忘れちまうくれェ、長ェ長ェ『夢』だでよ」
女は迷路を抜けてしまいたかった。
けれど、迷路の終わりに立って、どうしてだか、迷路を抜けてしまうのがひどく恐ろしく思った。