28話
公爵が馬車へと戻る後ろ姿を、私はただ眺めていた。彼の背中は堂々としていて、最後まで気を抜くことはなかった。情報ギルドの構成員たちは、馬車の後に続き、何事もなかったかのように去っていった。
一陣の風が吹き、彼らの足音は徐々に遠ざかっていく。
(……終わったの?)
気が抜けたように、ふぅっと大きく息を吐く。公爵の圧に押されていた肩が、やっと解放された気がした。嵐が去った庭は、あまりにも静かで、朝見た時と何一つ変わらなかった。
(あれだけの出来事があったのに、ここは変わらないままなんだ)
緊張がほどけ、私は震える手を胸に当て、何とか気持ちを落ち着かせようと深呼吸をした。その時だった。
「おい!自分で歩けないのか?!」
その声にハッと顔を上げると、リード様がフランツさんを担いで庭をこちらに向かって歩いてきた。
「フランツさん!」
私は駆け寄ろうとするが、それよりも早く、エマが血相を変えて彼の元へ飛び出した。
「フランツさん!? どうしたの!?」
エマは、倒れたフランツさんの顔を覗き込み、目に見えて動揺していた。彼の顔は青白く、頭には赤い痣ができていた。
「頭を打った。恐らく、どこかで奇襲を受けたんだろう。意識は無いが、命に別状はない」
リード様の声は冷静だったが、その表情は険しいままだった。
「家の中に運びます。セシリア様、寝床をお借りしても?」
「もちろんです!」
私はすぐに家の扉を開け、リード様がフランツさんを中へと運び入れた。リビングを横切り、奥にある寝室まで案内する。
「こちらです」
「よいしょっと……」
リード様はフランツさんを慎重にベッドへ寝かせ、そっと頭を枕に乗せた。フランツさんは、苦しそうに眉をしかめていたが、幸いにも大きな出血は見られなかった。
「フランツさん……大丈夫なの?」
エマが、震える声で呟きながらフランツさんの手を握る。その手は、わずかに冷たかった。
「大丈夫よ、エマ」
私は彼女の隣にしゃがみ込み、優しくその肩に手を置いた。
「エマ、少し待っててね」
エマは、涙でぐしゃぐしゃになった顔をこちらに向け、静かに頷いた。
(……大丈夫、これくらいなら)
私はフランツさんの額にそっと手をかざし、目を閉じた。光が、私の手からふわりと溢れた。優しい金色の輝きが、彼の体を包み込み、ゆっくりと彼の苦痛を取り除いていくのを感じる。フランツさんの険しい顔が、徐々に穏やかになっていった。
「……うぅん……」
小さな呻き声が聞こえ、彼の表情がほんの少し動いた。
(良かった……)
私は息を吐き、彼の体をそっとなでた。
「今は眠っているだけだから、大丈夫よ。ゆっくり待ちましょう」
エマは涙ぐみながら、何度も何度も頷いていた。
「……ありがとう、セシリア様……本当に……」
エマはフランツさんの手を離し、目元を拭いながらベッドから離れた。
「ひとまず、リビングへ戻りましょう」
「はい……」
エマはまだ不安そうな顔をしていたが、私と一緒に寝室を後にした。
リビングに戻ると、そこにはレオナード様とリード様がいた。レオナード様はリビングの机に手をついており、その表情は険しかった。リード様は彼の後ろに立っており、二人の間に静かな緊張感が流れていた。
(……何か話していたのかな?)
部屋に入った瞬間、二人の視線がこちらに向けられた。
「お疲れ様です、セシリア様」
レオナード様が静かに言う。その言葉の温かさに、心が少しだけ和らいだ。
「フランツさんの具合はどうですか?」
「ええ、今は眠っているだけです」
「それは良かった」
そう言いながら、彼は軽く頷いた。一瞬の沈黙。すると、レオナード様はふと私を見つめ、言葉を紡いだ。
「セシリア様、少しお話があります」
彼の言葉に、私の胸がざわついた。その表情は、いつも通りの冷静な顔つきだが、どこか覚悟を決めたような重さがあった。
「私も、お聞きしたいです」
エマがテーブルの椅子を引き、私の隣に座った。
(……何の話だろう?)
リビングの中心にある机を囲むように、私とエマ、そしてレオナード様が座った。彼の後ろにリード様が立っている。
家の中は静かだった。ほんの少し前まであったはずの騒動はすっかり消え去っているが、心の中にはまだ不安の種が残っている。レオナード様は、静かに深呼吸をし、私たちの方へ視線を向けた。
「申し訳ありませんでした」
レオナード様の突然の謝罪に、私とエマは一瞬、息をのんだ。彼が何を言っているのか、すぐには理解できなかった。けれど、彼の姿を見れば見るほど、その言葉が本気だと分かる。
彼は静かに、しかしはっきりとした声で言葉を続けた。
「今までこの家の周りに、騎士団を配備しておりました」
その言葉に、私の心臓が一気に跳ねた。
「彼らには、監視と護衛の役目をさせていました。セシリア様の安全を最優先に考えた結果ですが……あなたの自由を望んでいながら、このようなことをしていたことを、本当に申し訳なく思っています」
彼はすっと立ち上がり、深々と頭を下げた。
「……謝らないでください」
私は小さく首を振った。
「わかっています。私が自由に暮らすというのは、それだけ難しいことだったんだって……今になって、ようやく気づきました」
胸が少し痛んだ。 私、何も知らずに、何も考えずに、ただ『普通の生活がしたい』って思ってただけだった……。それがどれだけ無謀で危険だと、今はならわかる。
「……ずっと、守ってくださりありがとうござます」
レオナード様の謝罪を受け入れることが、私にできる最大限の誠意だと思った。
少しの沈黙が流れた後、レオナード様が静かに姿勢を正し、真剣な表情を見せた。その顔は、まさに“騎士団長”そのものだった。
「……ひとつ聞きたい、エマ」
ピクッと、隣に座っていたエマの体が跳ねた。
「え、え? 私?」
彼女は驚いた表情でレオナード様を見つめていたが、彼の表情があまりにも真剣だったため、自然と背筋が伸びた。
「お前と情報ギルドとの関係は、なんだ?」
その一言に、場の空気がピンと張り詰めた。




