その5
『今年も毎年恒例の記録的な暑さ』というお決まりのフレーズがテレビの画面から聞こえてくる。
はいはい、そのセリフはもう聞き飽きました。などとおどけて、けれども
そう軽口を叩いたところで、言わずもがな暑さがどこかへ飛んでいくことはない。
痛いのはお呪いで飛んでいくが、果たして暑さに関してはそんなお呪いがあるなんて噂は聞いた事がない。
いやひょっとしたらあるのかもしれないけれど、まぁ、僕は知らない。
「そうだ、図書館へ行こう」とスマホの奥からよもぎは言う。
「そんな京都じゃないんだから、真面目キャラってどうしてこう『図書館』とか『博物館』とかばっかりなんだろうな」
正直にいうなんて程でもないんだけど、出来れば動きたくないんだよな。
「図書館は冷房効いてていいと思うよ?」
「いや、冷房効いてるのは分かるんだけど、それならそれで家に居る方がいいんじゃないか?図書館に行くだけでも疲れるしさ。
ほら、よもぎも女の子なんだから夏休み空ける前に木乃伊とかになったら大変じゃない?肌の手入れとか」
「確かに暑いけど、そんな木乃伊とかになるほどの暑さじゃないでしょ」
外に出たくないという僕のワガママはあっさり回避された。
「美月は?日曜日だし休みじゃないのか?」
「それが、電話しても繋がらないし家に行ってもいなかったんだよね。どこか旅にでも出てるのかも。」
どうやら美月は逃げたようだ。そういう危機管理はしっかりしている事は尊敬するが、いや、別に社会人の道を選んだ美月は
もう別にわざわざ勉強する必要なんてないんだから、家にまで押しかけて猛暑の下に引きづり出す事はないのでは?
僕も大学へ行かずに社会人になっていれば、こんな暑い思いをせずにすんだのに、口惜しい。
仕方ない。捕まったら捕まったと潔く図書館に付き合うか。と僕はいそいそと出かける支度を整えた。
「でもなんで図書館?別に課題なんてもう終わってるだろ?」
空調の効いているのはいいんだけど、大きい声で騒ぐな。飲食は指定の場所で。本は丁寧に扱うべし!エトセトラのマナーに縛られてる
この硬い環境が実は苦手だ。
それ自体は当たり前のマナーなのだけれど、けれどもその空間に入った途端に輪をかけて締め上げられている気になって好きではない。
緊張する。
「課題は別でね。やっぱり勉強は大事だよ。家とか学校の本じゃ足りないもの。」
「勉強が大事なのは分かるけど、お前さっきから引っ掻き回してるの普通の小説じゃん?資料とかならわかるけどさ」
とはいえ、彼女が棚から引っ張り出してるのは、夏目漱石とか江戸川乱歩とかみたいな百人に聞いたら百人が
知っているメジャーな文豪とかじゃなくて、まぁ少なくとも僕は知らない名前の小説家の作品とかだった。
なんというかがむしゃらに本当引っ掻き回してる。そんな感じだ。
でパラパラっと読んでは戻す。
味見みたいだ。
「普通の小説家なんて居ないよ。蓮」
サスペンス物の棚から顔を覗かせながらよもぎは言った。それは失礼だ。と。
「小説家っていうのは物語を届けるサンタさんみたいなものなんだからさ。」
夏にサンタという季節外れのワードを出す矛盾を感じる。
「サンタねぇ。いや、今は物語をデリバリーするよりもそろそろ涼しい風をくれって感じだよ。」
「冬にも似たような事言ってなかった?」
「『早く夏になってくんないかなぁ・・・』とか?言ってないよ。」
言ってたとしたらきっと美月だろう。
それでなくても、きっと誰かが言うだろうセリフだ。
結局のところ、痛し痒しであって暑いと涼しさを求めて、かと思えば寒いと暑さを求めるんだ。わがままだなぁ。
「サンタさんが魔法使いな話しとかいいかもなぁ」
不意によもぎはそんな事を言い出す。
「なんだそれ?」
「次書く小説?どんなのにしようかなぁって思ってたからね。」
「よもぎ小説書いてたの?」
「え?言ってなかったっけ?」
「いや、初耳なんだけど?」
「?」
「?」
記憶のすれ違いが起きた。
二人して目をぱちくりする。
「ん・・・?誰か別の人に言ったのかな?気のせいなのかな。それとも木の精なのかな」
「妖精の所為とかではないだろ。今日はどうしたんだ?暑さにでもやられたのか。」
普段言わない冗談まで織り交ぜるあたり、これは末期なのではないだろうかと要らない心配をする。
「えっと、まぁ、忘れたって事でなんだけど、何?よもぎ小説家になりたいの?将来、先生とか呼ばれたいの?」
「んー、そこまで具体的に考えていたわけじゃないけど、そう言われればそうなのかも。大仰かな」
「大仰だろ」と答えた。
頭いい真面目ちゃんではあるし、だからいつかは僕なんかじゃ考えないような大層な夢を、その未来予想図に思い描くのだろうとは思っていたけど
しかし、まさか小説家の先生だとは思わなかった。
「小説家の指導をするって意味ではないよ?」
「わかってるよ。そこまで馬鹿じゃない。本を出して、つまりは『よもぎ先生』という称号を手に入れるってことだろ?」
「名前は決まってないんだけどね。でも、そう言われれば今度はちょっと違うような気もする。別に先生と呼ばれたいわけでもないの。」
なんだかワガママめいた事を言い出すよもぎ。
言いたい事がはっきりしないのは昔からではあるんだけど、発想が迷子になってるような感じだ。
「うーん、本を出して『先生』って呼ばれたいかと言われれば否と言う感じだし、小説を書き続けるだけってわけでも実はないんだ。小説家も『先生』も同じかな」
書いた本が店に並べば、出版されればもう『先生』と言える。
ノートに書いたりパソコン上に掲載してるだけだと『小説家』。
書いて、放置してるのはただの『落書き』だとよもぎは言う。
「私は、私が書いた作品を読んでもらって幸せになって欲しいなぁって思っただけだよ。小説なら書けるし」
「・・・・・・時々思うんだけど、お前ってジャンヌダルクみたいだな」
小説界のジャンヌダルク・・・ちょっとありそうなキャッチコピーが脳裏をよぎった。
「ジャンヌダルク程、私聖女聖女してないよ。」
聖女聖女ってなんだよ。
結局、今日は何をするでもなく、ひたすらよもぎに付き合わされただけだった。
もっというと、図書館で一冊も借りることなく、雑談を混ぜながら本を読んでいた(読んでたのはよもぎだけ)