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第9話

気づいたら、私は22歳になっていた。

今まで、一度も恋人ができたことはない。

高校も3年生になったときくらいから、少しずつお化粧を覚え、髪型も気を遣うようになって、それなりにおしゃれを楽しむようになっていた。

大学生になって、サークルや合コンなど、たくさん男の子と出会う機会も増えた。

結構かっこいい男の子に声をかけられることもあったし、告白されたこともあった。

だけど、するすると逃げ回って、結局成就することはなかった。





気持ち悪い。






小学生のこの言葉は、大人になった私をまるで呪いのように縛り付ける。

素敵な彼氏ができたとき、私はまた「気持ち悪い私」になってしまうんじゃないだろうか。

相手が小学生だろうが同年代だろうが関係ない。

そんな私を見て、その人はあのときの彼のように、幻滅してしまうんじゃないだろうか。

また、罵倒されてしまうんじゃないだろうか…




私はもう何年もその呪いにかかったままだ。

それなのに、彼ときたら…


二十歳になった年に、偶然家の近くで彼を見た。

中学2年生になったと思われる彼は、隣に女の子を連れて歩いていた。

二人ともいかにもいまどきの子、という感じで、中学生のくせに男の子のほうは髪を無造作にセットし、制服をだらしなく身に着け、女の子はスカートを膝よりだいぶ上に裾上げして履いていた。

彼はまだ幼さは残るが背がだいぶ伸びて、相変わらず整った顔立ちをしていたが、可愛らしさ…というか、可愛げがなくなっていた。



「そんでさあ、エリカがさあ、既読無視してきてさあ、超ムカついたんですけど」

「ふーん」



彼はにこりともせず、そっけなく答える。

そんな態度の彼に怒ることもなく、少女はおしゃべりを続け、ケラケラと楽しそうに笑っていた。

そして彼らは、私に気づかずにそのままマンションの階段をのぼり、彼の家の中へと入っていった。

おばさんは、まだ働いているから、家にはきっと誰もいないはず。

きっと彼らは、子供がまだ知らなくていいようなことを、とっくの昔に覚えてしまっているのだろう。

私なんて、まだ男の子とキスだってしたことないのに。

いや、それどころか、変な自分をさらけ出してしまうのが怖くて、男の子と上手に話すことすらできなくなってしまったのに。

それなのにあなたは、私の気も知らないで、平然と女の子と付き合ってるんだね。




…いや、あの子を責めてどうするの。

変なことをしたのは私なんだ。

むしろ、あのことが小学生だった彼にとってトラウマにならなかっただけでも、よかったと思わなければいけないのかもしれない。

自分にそう言い聞かせて、私は大学を卒業すると同時に、遠くの会社に就職するために家を出ることになった。




引っ越しの前の日、私は地元の友人たちとお別れ会をしていたが、思っていたより遅い時間になってしまったので、家路を急いでいた。

薄暗い階段を上り、自分の階に着くと、男性が隣の家の扉に寄りかかっていた。

私は、それが架琉くんだとすぐにわかった。

2年以上前に見かけてから一度も見ることはなかったので、さらに大人っぽく、男らしくなっているように見えた。

運がいいのか悪いのか、あのときから今に至るまで、隣近所だということが信じられないくらい彼に会うことがなかった。

このままだと、確実に架琉くんの前を通り過ぎなければならないが、この気まずさは、初めて私が彼に声をかけたときとは比べ物にならないほどのものだった。

しかし、黙って通り過ぎるのも不自然だし、お互いもう大人なので、私は平静を装ってヒールを鳴らして歩き出した。



「こんばんは」

「…」



私は架琉くんの前を横切るとき、笑顔で挨拶をした。

彼は、黙って顔を上げる。



「久しぶりだね、家の前でどうしたの?」

「…なんでもないです」




架琉くんは、ぺこりと会釈をしながらぼそっと答えた後、スマホをいじりだした。

自分が思っていた以上の彼の冷たい態度に、私の胸は苦しくなり、胃もキリキリと痛くなった気がした。



「じゃあ…風邪ひかないでね」

「…」



彼は聞こえないふりをしたのか、私を無視してスマホをいじりつづける。

たった数歩の道のりを、カツカツと必要以上にヒールを鳴らして架琉くんの前を横切り、扉の鍵を開けて部屋に入った。

まだ誰も帰宅していない家の中は真っ暗だった。

あの夏の日、あんなに暑苦しかった部屋とは思えないほど、ひんやりとしていた。




昔みたいにおしゃべりできるかなって、ほんの少しだけ期待もしていたけれど、そんなものはあっさりと崩れ落ちた。

架琉くんは、私が思っていたよりずっと、私のことを嫌っていたみたいだ。

そうだよね、私も年上の男の子に、私がしたようなことをされたら、絶対いやだし、怖かったと思う。

だけど…






今はりっちゃんの彼氏だから…



俺、今だけりっちゃんのものなんだよ…





架琉くん、あなたのあの言葉は、いったいなんだったの?

私の腕にぎゅっとしがみついて、今にも私にキスしそうだった、あの態度は、いったいなんだったのよ…

「今だけの彼氏」だから、あなたの中の境界線を越えちゃいけなかったの?

何から何まで、私の勘違いだったっていうの?

あなたがあんな思わせぶりなことさえしなければ、私はきっと、素敵な恋愛を楽しめていたはずなのに。

あなたのことなんかで、こんな風に苦しむことなんかなかったはずなのに。






「ひどいよ…」






思わず涙がこぼれた。

明日でこの住み慣れた家や街とはお別れだというのに、最悪の門出だと思った。



りっちゃん…



頭の奥のほうで、かすかに架琉くんが私を呼ぶ声が聞こえたような気がした。

こんな幻聴を聞いて、私はこれからも彼のことを引きずって生きていくのだろうか。

静寂に包まれた玄関を後に、私は一人暗闇に飲み込まれていった。

頭の奥の幻聴は、なかなか収まらなかった。


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