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第8話

この日は信じられないほど暑かった。

まだ梅雨も明けてないのに、空は快晴で、でもむしむししていて、エアコンがないうちの学校では、みんなぐったりしていた。


架琉くん、この暑い中、外で待ってるのかな…


私はタオルハンカチを握りながら、足早に帰宅していた。

この一週間、片時も架琉くんのことが頭から離れない。

しがみつくように、私の右腕に自分の腕をぎゅっと巻きつけて、くっつきそうなくらい、お互いの顔が近づいて…

一週間前のことを思い出すたび、私の心臓はどきどきどきどき、とけたたましく鳴り響く。


額の汗をおじさんのように拭きながらマンションの階段を上りきると、そこには一週間待ち焦がれていた小さな恋人が、ぽつんと座っていた。

私は「架琉くん!」と叫んで、彼のほうへ駆けた。

架琉くんは私を見るなり、まぶしい笑顔を向けた。



「ごめんね、暑かったでしょ」

「うん、大丈夫」

「早くうち、入ろうね。今日はエアコンつけるよ」




いつもどおり、そんな他愛ない会話で部屋に案内する。

今日は、私の隣、座るかな…

どきどきしながら架琉くんを目で追うが、いつもの向かいのソファに座ったので、私はがっかりした。

しかしそんな感情は隠して、とりあえずエアコンのリモコンを探し出し、ぽちっとボタンを押した。

爽快な冷風が出てくるかと思いきや、温風とともに不快な臭いが立ち込めたので、私は慌てて架琉くんにこう言った。



「ごめん、たぶんすぐ冷たいの出てくると思うから、もうちょっと待ってて」

「うん」

「ジュースとお菓子、用意するね!」



私は少し恥ずかしい気持ちで、そそくさと台所へと急いだ。

まあ、居間のほうへ持っていく頃には、涼しくなってきてるだろう…


しかし、私が戻っても一向に涼しくならず、それどころか、温風と悪臭が部屋中に充満したせいで、より不快感が増しているだけだった。



「ほんとごめん…お母さん、フィルターの掃除してないのかな…っていうか、もしかしたら壊れてるのかも…」

「ううん…えっと…窓、開ける?」

「あ、そうだね!」



架琉くんがいいことを言ってくれたので、私はさっそくエアコンを消して、窓を全開にした。

そうしたことで、あのいやな臭いは消え、少しだけ涼しくなった気がした。



「ほんとにごめんね…さっきよりは多少マシだと思うから…ジュースでも飲んで」

「うん、今日りっちゃん、謝ってばっかだね」



架琉くんがうふふと笑ったので、私もほっとして笑った。

正直、エアコンが変なときから、いつ「今日は帰る」って言われるんじゃないかって、ずっと不安だったんだ。

私は気づかれないようにふうっと息を吐いて、いつもの場所に座った。





しばらく、この一週間で起こったくだらない出来事の報告会をしていたが、あまりの暑さに、二人ともだんだん口数が少なくなっていた。

私はタオルハンカチで額や首の汗を、またおじさんっぽく拭いてはたたみ、拭いてはたたみを繰り返していた。


架琉くんは…

胸元をつまんで、ぱたぱたと風が入るように扇いでいる。

時折、その胸元の部分を口のあたりまで持っていき、首回りの汗を拭いていた。


ときどき架琉くんのおへそが見えて、私は思わずそこに視線を向けてしまう。

一通り拭き終り、ふう、と息を吐き出すときの表情が、なんだか気だるげで…艶めかしく感じた。


私は、そんな架琉くんから目が離せず、さっきまで少し忘れていた胸のどきどきが再燃した。

なんで、小学生の男の子なのに色っぽいの。

そんな風に思う私が変なだけ?

そういえば、今日、こっち来てくれない…

どうして?私、架琉くんのそばに行きたいよ。早くこっち来てよ。

架琉くんにもう一度、触れてみたい…




「りっちゃん、ジュース…おかわりくれない?」




架琉くんの子供っぽい声が突然響き渡り、私ははっと正気に戻った。

また変なこと考えてトリップしてた…

架琉くんのきょとんとした顔と目が合って、私はまた恥ずかしい気持ちになってしまった。



「う、うん、そうだね!ペットボトル持ってくるから、待ってて!」



私は恥ずかしさを紛らわすように足早にその場を離れ、架琉くんのためにペットボトルごとジュースを運んできた。



「架琉くん、飲むの早いねー。暑いから、しょうがないね」

「う、うん…」



架琉くんは、なぜか一瞬うつむいたように見えたが、氷が溶けて薄まっている残りのジュースを勢いよく飲み干した。

そのとき、勢い余ってコップのふちから氷が2、3個つるつると滑り落ち、そのまま架琉くんのTシャツの襟から中へと入ってしまった。



「うわっ」

「えっ大丈夫?!」



架琉くんはびっくりして、慌てながら手をTシャツの中に突っ込んだり、まくり上げたりした。

しかし、溶けてツルツルになっている氷はスルスルと身体の上を急降下しているらしく、どうしても掴むことができない。

そのとき、半分パニックになっている架琉くんは、何を思ったかハーフパンツのウエストの部分を思い切り引っ張った。



「わあっ!」



大きな声をあげ、全部脱ぎ散らかすんじゃないかという勢いだった架琉くんは、急に小さく縮こまった。



「どうしたの?!」

「…」

「氷どこ行った?」

「…パンツ」

「え?」

「パンツん中、入っちゃった…」




どうやら、ハーフパンツのウエストの部分で止まっていた氷が、パンツごと引っ張った拍子に中へ入ってしまったらしい。



架琉くんは顔を真っ赤にして、ますます小さくなる。

両足をもぞもぞ動かして、何かに耐えているようだった。



「架琉くん、早く取りなよ。冷たいでしょ…」

「うん…でも…」

「え?」

「恥ずかしいから、見ないでね、りっちゃん…」




架琉くんはそう言って、少しだけ背をこちらに向けて、そっと右手をパンツの中に忍び込ませた。

私はその様子を見て…何かぞくっとした、言いようもない変な気持ちになった。


だって、変でしょ。

こんなかわいい顔した男の子が、顔を真っ赤にしてパンツの中に手を突っ込んでるんだよ。

私は、さっきの架琉くんの声にびっくりして立ち上がったまま、微動だにせずただじっと架琉くんの右手が入っている部分を見つめていた。

架琉くんは、股の中をごそごそとまさぐって、氷を掴もうとしている。

冷たいのか、ときどき顔をぎゅっとしかめた。

ああ、やっぱりなんか、ぞくぞくする…




「りっちゃん、これ、どうしよう…」

「えっ…」




ふと架琉くんが顔をあげて、溶けて小さくなっている氷を掴んだ右手を、私に差し出した。

架琉くんの手は濡れ、手の甲から水がしたたり落ちていた。



台所の流しに、捨ててきてくれる?



こう言えばよかった。

こう言えばよかったのに。

私は濡れた架琉くんの右手に吸い込まれるように近づいていき、黙って彼の前で立ち止まった。



「りっちゃん?」



不思議そうに私を見つめている架琉くんを無視して、私はおもむろに彼の右手から溶けかけた氷をそっと奪った。

そして、その手を口のほうまで持っていき、ぱくりと放り込んだ。





カリカリカリ…





しんと静まった部屋に、氷をかみ砕く音だけが響きわたる。

架琉くんはそんな私を見て、目を見開き、口を半開きにしたまま、固まっていた。




私は自分でも何をしているのかわからなかった。

とにかく、さっきの架琉くんの様子を見て、今まで感じたことのない、妙な高揚感とぞくぞく感が、私を支配してしまったんだ。

架琉くんのパンツの中に入ってしまった氷なんか、さっさと捨ててしまえばいい。

そんなことくらい、わかっていた。

だけど、さっきまでの私は、それが欲しくて欲しくてたまらなかった。

氷を食べてしまって、満足感を得たと同時にはっと我に返ったとき、架琉くんのひきつったような顔が目に飛び込んできた。





「…冷たくておいしかったよ」

「え…」

「架琉くんのパンツに入った氷だったからかな」

「…」

「なんちゃって、あははは」

「…」





架琉くんは笑ってくれない。

私がしゃべればしゃべるほど、かわいらしい顔はどんどんひきつって、こわばっていく。

どうして?

架琉くん、今だけは私の彼氏なんでしょ?

今だけは、私のものなんだよって言ったよね?

だからこのくらいのこと、別に私たちの間ならたいしたことじゃないよね?

ね?架琉くん…









「…気持ち悪い」









ひきつったままの口から、そんな言葉がぽつりと漏れた。

私は笑った顔のまま、動けなくなった。




「パンツに入った氷がおいしいとか…変だよ、変態」




こわばっていた顔は緩むと同時に、かすかに震えだしていた。



「か、かけ…」

「俺、帰る!!」




架琉くんは突然叫ぶと、私の顔を見ようともせずに、一目散に駆け出してドアを乱暴に開けて、出ていった。

数秒後に、隣の家の扉が乱暴に開閉された音がかすかに聞こえた。




さっきまで、あんなに暑くて汗がだくだく出ていたのに、それらがすべて引っ込んだ感じがした。

身体の奥のほうが、寒気でぞくぞくする感じがする。

だけど、なぜか頭に血が上って、かあっと痛いくらい熱くなっている気もする。


やっぱり、私って変だったんだ。

小学生の男の子に、なにやってるんだろう?

パンツの中に入った氷を食べるとか、ちゃんとした恋人同士でもやらないよ。




私って、すごい、気持ち悪い。




もう何分か経っているのに、架琉くんがいたときとまったく同じ態勢から動くことができない。

そういえば、今日深夜から見たいテレビやるんだっけ。

録画しとこうかな。それともリアルタイムで見ようからな。

真っ白になった頭の中で、なぜか私は全然関係ないことを考えていた。










その日は1学期の終業式だった。

架琉くんの家は共働きだから、夏休みなってすぐ、おばあちゃんのうちに泊まりに行ってしまったらしい。

だから、まあ少なくとも夏休みの間は架琉くんに会うことはないだろうとは思っていた。

案の定、架琉くんは夏休みが終わるまで、こちらに帰ってこなかった。

しかし、9月に入って最初の金曜日、架琉くんは私を待っていなかった。

次の金曜日、そのまた次の金曜日になっても、彼は姿を見せなかった。

そう、結局、架琉くんが私の家の前で座って待っていることは、この日を境に、一度もなかったのだ。


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