8.新婚の朝
***
――竜王城。
――朝、コニッリオの下刻。
――クラノスの寝室。
小鳥が囀る声が聞こえる。朝なのだとうっすらと目を開けた。
「おはよう、ティティア」
「わぁ!」
目の前に黄金の美丈夫がいることに驚き、大声とベッドから転げ落ちた。
全く動いていなかった頭を回転させ、自身の状況を把握した。
昨日、城の上空で求婚されてから、そのままクラノスの寝室へと向かった。顔を真っ青にしたスピラレに、「外の空気を吸いに行っただけ」と苦しい言い訳をした。
別々の部屋で寝たいと言ったが、聖女用の部屋は片付いていないらしく、一緒に寝ることにした。
(緊張して全然眠れなくて、やっとさっき寝たんだった……)
「申し訳ありません……そのっ、寝惚けていました……おはようございます」
這い上がり、寝台へと入り込む。緊張の為、クラノスから距離を取りたく、先程いた真ん中ではなく端に留まった。するとクラノスが近くへと移動してきた。
「背中痛くない? 大丈夫?」
「大丈夫です」
背中をさすられ、温もりを感じた。ある程度さすられると、今度はその手でティティアの頬へと触れられ、驚いて「ひゃあ!」と変な声を上げた。
「ふふっ、可愛いね。今すぐ食べてしまいたいよ」
「食べる!?」
「勿論、本当に食べるって意味ではないよ。竜だけど。竜人だし、食人趣味はないからね」
はっはっ、とクラノスは笑う。
多分竜人冗談だ。
面白さが何処にあるのか分からなかったが一応「ははは」と笑っておいた。
(結婚……実感が皆無だ……)
「愛しい僕の妻よ、朝食は如何かな?」
そう言ってクラノスは額にキスをしてくる。心臓を矢で撃つだけでなく矢でごりごりと抉られる。
「えっと、はい……で、すか……ちょっとクラノス様、お、おま……お待ち下さい!」
額からこめかみ、瞼、鼻へとどんどんキスの位置をずらしてきた。
「どうしたの?」
「あぅ、ああ、あのですね、朝からそんなにもキスをされますと、し、心臓発作で死んでしまいます。おやめ下さい!」
キスは嬉しいが朝からこれでは精神が持たない。
「うーん……分かった」
クラノスは残念そうに鼻で大きく溜息を漏らし、お気持ち程度離れた。
「あのっ、それで朝食を摂りたいです。何処に行けばいいのでしょうか?」
「いつもはダイニングルームだけど、今日はほら、皆初夜だと思ってるからこの部屋で食べるよ」
「あっ」
初夜は初夜だが健全な初夜だった。ティティアの心の準備がまだまだな為、クラノスが配慮してくれた。
「それと『私の部屋』はここだからね」
「えっ、でも聖女になったら竜王城の一室を貰えると聞いているのですが」
「それは無し。僕の部屋がティティアの部屋」
「……え!?」
「どうしたの? 何か不満?」
「あっ、いや、そのっ……驚いただけです」
クラノスとの距離が一気に縮まり、色々と頭がいっぱいである。
「そう。それから、今日はほぼ部屋を出れないと思って。食事は使用人ベルを鳴らしたら、用意してくれる」
「あ、はい」
「湯浴みは準備がいるから人を呼ぶ。因みにあの部屋ね」
クラノスは部屋の中にある、出入口の扉とは違う扉を指さした。
「分かりました」
「新生活は慣れそう?」
「なかなかに……難しいです。聖女になっただけでなく結婚もしてガラッと変わりすぎて」
「徐々に慣れていこうか。何か不都合なことがあれば言って欲しい。では朝食といこう」
クラノスがサイドテーブルにあった使用人ベルを鳴らす。
数分後、50代程の女性使用人が入ってきた。スピラレの服装に似ておりエプロンをしていないので、上級使用人だろう。
だが鱗化した肌が無い。
「おはよう、リーガ。ティティア、彼女はリーガ。家政婦長だよ。リーガ、早速だが朝食を摂りたい。それと湯浴みの準備を」
「かしこまりました。先程湯浴みの準備は済ませています。先に湯浴みをどうぞ。その間に朝食の準備をさせていただきます」
「いいね、上出来だ」
リーガは両手を前に交差させ、お辞儀をして部屋を出た。
「さて、ティティア。湯浴みをしよう」
「え? あっ、お先にクラノス様からどうぞ」
「何を言っているの? 2人で入るよ」
「へ?」
「2人で入るよ」
「は、入りません! 1人で入ります!」
「そう? 残念。僕としてはティティアとあまり離れたくないのだけど」
クラノスはそう言って頬擦りをする。
「ダメ! ダメです!」
(もうダメ! 胸がいっぱいで痛い!)
「どうして?」
「ダメなものはダメなんです!」
「そう……」
「そうです! もう……先に入ってきて下さい」
(これ以上は身が持たない……1度離れないと)
「……それなら君が先に入るといい。僕はひと仕事してくるよ」
「ひと仕事?」
「ファフニルの見回り。僕の日課だから覚えておいて」
そしてクラノスはティティアの手を取ると、手の甲にキスをして立ち上がった。ティティアは顔を真っ赤にする。
(慣れないと慣れないと慣れないと! 慣れる日が来るのが先か、私が心臓発作を起こして死ぬのが先か……はぁ……)
クラノスが背伸びをすると、バキバキと骨が鳴る音が聞こえる。人の姿から昨日見た人型の竜の姿になった。
(え! 凄い! こうやって変身するんだ! それに――)
「やっぱり綺麗ですね」
惚けたような声を出すと、クラノスは驚いたような表情でこちらを見る。
「そんなことを言ったのはアストレア以来だ」
「え? そんなにですか?」
「ああ。皆気味悪がった。人の姿は好評だったけどね」
「でも、ダニエラ様はどうだったのでしょうか? とてもクラノス様をお慕いしているように見えましたが」
「はぁ……ダニエラか。ダニエラこそだね。彼女は僕の半竜の姿――半竜の姿は今の状態のことね、それで、こちらを見て『気持ちが悪い』と言ったよ」
「え!? でも――」
「慕っているのは人の姿――真の姿と言うんだけど、そっちを見たから。だから、君はとても珍しい。この姿を気味悪がらない。あの時も僕の手を取ってくれたのは我慢しているのかと思ったよ」
「我慢? 何故ですか?」
「あの時は、ああしなくては君はあいつの寝所に行っていただろう? それが嫌だから仕方なく手を取ったのかと」
「気味悪くなんかありませんでしたし、嫌だなんて思いませんでした! 真の姿も半竜の姿もとても素敵です!」
「ありがとう、ティティア。因みにもっと大きくなれるよ。半竜の姿は古の竜になる前の段階で変身を止めている状態だからね」
「古の竜ですか? あの人獣戦争時代になられた?」
「そう。よく古竜の姿って言ってる」
「わざわざそこで……半竜で止める理由は何でしょうか?」
「便利なのと、単純に全身が痛いから。なった後はいいんだけど、そこになるまでが大変で、大きくなるのも骨格から何から変わるから痛いんだよね。古竜の姿は大きいし。それに半竜の姿は便利なんだよ。古竜に比べて目立たないし、真の姿と比べて早く飛べる」
「なるほど」
「では行くよ。ティティアも湯が冷める前に入るといいよ」
「あっ、はい! えっと、行ってらっしゃいませ!」
「……ふむ、いいね。妻からの『行ってらっしゃい』は」
クラノスは顎に触れ、少しニヤッと笑った。
「けどまだ足りないな」
「『足りない』? ですか?」
「うん。行ってらっしゃいのキスをして欲しい」
「えぇ!?」
「まぁ、慣れたらでいいさ」
こちらを見て微笑んだ後、バルコニーへと移動する。離れていくクラノスの後ろ姿を見て、胸の奥が締め付けられるようにギュッとした。
(あっ……私……行って欲しくないって思ってる。出会ったばかりなのに、こんなに愛おしく感じてる……)
ティティアは立ち上がり、急いでクラノスの元へと向かい、後ろから抱き締めた。こんなことをされると思っていなかったのか、クラノスは驚いた顔をして振り向いた。
「あの、少し屈んで頂いても?」
クラノスは少し屈んだ。竜の頬にティティアはキスをした。唇とは違い、鱗のせいで硬かった。
「行ってらっしゃいませ、クラノス様」
ティティアは顔をトマトのように真っ赤にして、小走りで浴室へと向かい扉を閉めた。
***
クラノスはティティアが浴室へ向かう後ろ姿をボーッと見つめ、浴室へ向かおうと1歩だけ進んで思い留まった。
「思った以上にまずいな……これは……」
ティティアの後ろ姿から顔を名残惜しそうに背け、バルコニーを出る。思いっきり息を吸って吐き出した。
「いいね。良い朝だ」
今にも鼻歌を歌い出しそうになるのを堪えた。背伸びをし、翼を動かそうとすると『クラノス様!』と空から呼ばれる。見ればカラスが丸めた新聞を足で掴んでこちらにやって来ていた。
「おかえりメテル」
『た、だいま、もどっ、りましたっ! これをっ!』
息切れをしながらこちらに新聞を渡す。クラノスは新聞を拡げ、眉をひそめた。
【オルランド殿下、謀反を起こす】
【リッカルド殿下暗殺未遂】
【新年の儀を終えた1日、シッミアの下刻頃。リッカルド殿下の私室前で、リッカルド殿下がスペランツァ公爵に刺された。スペランツァ公爵はオルランド派の筆頭で――】
『街中がこの話題で持ち切りです!』
「だろうね」
クラノスは新聞を読み、捲る。
【リッカルド殿下の叫び声を聞き、付近を警備をしていた近衛兵が駆け付けると、スペランツァ公爵がリッカルド殿下を刺した後だった。その後、オルランド殿下とスペランツァ公爵、騎士団長は逃亡し、現在も逃亡中である。オルランド殿下の兎の足騎士団数人と近衛兵は戦闘になり、リッカルド殿下は病院に搬送されたが命に別状はなかった。このことについて会見を行う予定で――】
「はぁ……良くないね……良い気分だったのに」
クラノスは新聞をバルコニーの椅子へ置いた。
「メテル。オルランドを捜してくれないか? 彼に死なれたら困る。何かあれば手を貸して」
『かしこまりました』
メテルは飛び立って行く。クラノスはその姿を見た後、翼を大きく動かして空へと飛び上がった。