6.求婚
(なぜ私は湯浴みを……)
ラベンダーが浮かぶ湯船に浸かりながら悶々と考える。
先程ご飯を食べ終えた。
食事中は部屋にティティアと従僕1人が部屋に取り残された。事情を説明しようとすると、本来初夜の日に異性との会話は禁止らしく、口に人差し指を当てて黙るように指示された。
飲み物が無くなればすぐに注がれ、何か落とせばすぐに拾われたので食事中の不便はないが寂しい食事だった。
料理も1人では到底食べ切れる量ではなく、美味しそうと言うよりは、スッポンのスープなどの滋養強壮に良さそうなものばかりだった。
食事を取り終える頃に侍女スピラレが迎えに来た。再び担ぎ上げられて今度は湯浴みをさせられている。
(どうにかしないと……)
湯船に浮かぶラベンダーを触りながら、大きな溜息を吐いた。ハーブ湯は心地よく有難いが、なんとも言えない気持ちだった。
「ティティア様! 御準備を!」
浴室の扉の向こうからスピラレが呼び掛ける。ティティアはゆっくりと上がり、ゆっくりと浴室を出た。スピラレがバスローブを着させてくるのでそれを羽織った。
「こちらに着替えて頂きます!」
用意された寝間着は真っ白な絹で柔らかく肌触りが良かった。
(良かった……普通だ)
透けたものだったらどうしようかと思っていたが杞憂だったらしい。だがやはり言わなくては。この結婚は違うのだと。
「あぅあのっ、スピラレ――」
「シーっ! もうお喋りも駄目ですよ! ここからはクラノス様としかお話してはいけません!」
「――ッそんな!」
「ティティア様は人間ですから多めに見て差し上げますが、もう話すのはおやめ下さい!」
「でもでもでもでも――」
「ダメです!」
椅子に座らされ、髪を優しく布で拭かれた。そして櫛で髪をとかされながら、頭髪香油をつけられた。
最後に聖なる首飾りを着け、支度が終わる。
(このままじゃ初夜を迎えちゃう……どうしよう……どうしよう!?)
「では行きます! 私が話しても返事はしないで下さい!」
(ダメだ……もう、これしか……)
「……ごめんなさーーーーーーい!!!!」
ティティアは走り出して部屋を出た。
逃げるしかない。
愚かだと分かってはいるが、これしか考えられなかった。
(どうしたらいいのか分からないよー!! 助けてー!! アチェロ神官長ー!!)
今まで何かと助けてくれたアチェロの名を心の中で叫んだ。兎に角その場から離れる為、真っ直ぐ廊下を走る。突き当たりの扉を開き、左右対称にある湾曲した階段を降りた。
考え無しに勢いで出て来てしまった為、何処に行けばいいのかも向かっているのかも分からない。とにかく前に進むのみだ。
真っ白な床が冷たい。ペタペタと足音が聞こえるのは裸足だからだ。ルームシューズは何処かで脱げた。
暫くして中庭らしき所へと出た。芝生や草花が植えられ、池や川があった。川には小さな橋が掛かっている。魔道具の1つである光源灯が何個も置かれ、暗闇を青白く照らしていた。
中央には大きな水晶が生えているのが見える。
(綺麗……)
中庭と言うには豪華過ぎるその造りに心奪われた。走るのも止め、足を踏み入れる。
冬だというのに寒さを感じない。ほんのりと心地よい暖かい空気が流れている。生い茂った芝生の感覚を足裏で感じながら、水晶の元へと向かう。
水晶の大きさは大神殿にある守護水晶とほぼ同じ大きさだった。ただ見た目が違う。向こうは無色透明だが、ここにある水晶は夜空を閉じ込めたような色味をしていた。
(もしかしてこれが祈りの水晶? 神々へ1番声が届くって言う……じゃあここは祈りの間かしら?)
聖女の仕事の1つは祈りの間を掃除し、神々へ祈りを捧げることだ。きっとここが祈りの間だ。
見惚れてしまう。
ティティアは膝をついて両手で水晶に触れた。
「神よ、神々よ。私はどうすればいいのでしょう。クラノス様はとても素敵な方ですが、こんな直ぐに結婚なんて……いえ、そもそもあの求婚に返事をしたのではなく『はい』は『はい?』で聞き返した『はい』でしたので、いったいどうすれば――」
「ティティア」
後方から声がする。振り向けばクラノスが飛んでいた。今度は人間の姿に翼だけを生やした姿だった。室内から来たのではなく、空から来たのだろう。
暗闇に光り輝く黄金が降り立つ。目を逸らすことが勿体ないと感じた。
「スピラレが顔を真っ青にして慌てていたよ。『私が何かしてしまったのかも知れません』と。何かあった?」
「いえ、何も……申し訳ありません」
「初夜が怖かったの? 安心して。ティティアは初めてだろうから1日中なんてことは……え? 何?」
クラノスは独り言を呟く。
(神殿にいる時もそうだったけど、独り言が多い方なのかしら?)
不思議そうに見ていると、クラノスの独り言が終わった。困ったような顔をし、こちらを見ている。
「そうか、僕の勘違いか」
「え?」
「この結婚のことだよ」
「あっ……はい!」
先程の神々への祈りを後ろで聞いていたのだろう。やっと話が通じたことが嬉しかった。
「そうなんです……了承したのではなく聞き返しただけなんです」
「うーん、そうか」
クラノスは近付いてティティアの前に座った。
「でもね、ティティア。この婚姻は成立してしまっている」
「え? どういうことでしょうか?」
「両手を見て」
そう言われ見てみたが何もない。首を傾げると「目に魔力を込めて」と言われた。
そんなことはした事がない。魔力の使い方は、守護結界を張ることだけをまず教わる。それ以外の魔力の使い方は竜王から教わらなければならない。
「そうか。教えないといけないのだったな」
クラノスは微笑みながら右手人差し指をティティアの胸の中心にトンっとおいた。その瞬間心臓が高鳴った。
「ここに魔力の源がある。目を瞑った方が想像しやすいかな。目を瞑って、集中」
心臓の高鳴りを指で感じ取られているに違いないが、今は言われたように集中しなくてはならない。目を閉じて胸の中心に意識を持っていく。すると、柔らかく暖かいものを胸に感じた。
「そう、そのまま集中。この魔力の源の流れを感じて。胸から、首――」
クラノスの人差し指はゆっくりと首筋へと移動する。人差し指はいつの間にか手のひらに変わり、首筋を優しくなぞる。その動きに恥ずかしくなりつつも、魔力を手の動きに合わせるように流してみる。
「首から次は顔、そして目に移動させて」
首筋からゆっくり這うように頬に触れられ、次は目を覆い隠すように手のひらで瞼の上から触れられた。再び魔力を流す。
「うん、上手いね。そのまま目を開けてごらん」
ティティアは目を開けた。
「これを魔眼と言うんだ。魔力を使って見えないものが見えるようになる。僕の手を握って、両手を見て」
ティティアは言われた通りに両手を見た。
「これは……?」
神殿で見た細い光がクラノスとティティアの手にまとわりついている。
「これはイフロディの祝福」
「イフロディって、愛と美の神イフロディ様のことですか?」
「そう」
(え!? ってことはつまり――)
婚姻を神から祝福されている。神の前で愛を誓い合ったことと何も変わらない。クラノスの手を離すと、細い光はフワッと消えた。
「ティティアにそんなつもりが無かったとはいえ、もう僕達は番なんだ」
「そんな……」
「僕の事が嫌いかい?」
「いえ! とんでもありません! でもっ……」
(この気持ちは何?)
触れられると鼓動が高鳴る。まるで昔からクラノスに恋をしていたような乙女の感覚だった。
(一目惚れしちゃったのかしら……でもなんだか懐かしい気持ちもあるのはどうして……? 初めて会うのに)
「どうしたの?」
「……分からなくて、頭が混乱しているんです」
「分からない?」
「初対面なのに懐かしい気持ちがあって……この気持ちが何故か分からないんです」
「ああ、それは君がアストレアの生まれ変わりだからかな」
「…………はい?」
目を瞬かせて、口をポカンと開けた。
「うん、今のは分かる。聞き返した『はい』だね」
「いや、まぁ、そうですが、生まれ変わり?? 私の?? いや、私が?? アストレア様の生まれ変わり??」
「うん、そう。最初に見た時にそうかなって思ったんだけど、魔眼で見たら魂が同じだった。君の前世はアストレアだよ。だから彼女の懐かしむ気持ちがあるんじゃないかな?」
「えっ、でもっ――……」
そう言われてもピンと来ない。前世であるアストレアの記憶は全く無いからだ。
「どうしたの?」
「あっ、いえっ……その……前世の記憶とかそういうのが全くありませんので」
「前世の記憶を持って生まれ変わることなんてこと普通ないよ。例えそれがどんな強い魔力の持ち主だったとしても。ただ感覚は残るね。これが何となく懐かしいとか、見たことある気がするなって思ったことはない? それは前世に由来するよ」
まさしく今クラノスに懐かしさを感じるのはそのせいだろう。
初めて触れた時から、懐かしさどころか愛しさも感じている。初代聖女アストレアの気持ちが残っているのだとしたら、懐かしさは理解出来る。だが愛しさは理解出来ない。
アストレアは当時の第一王子カリストと結婚し、後に王妃となるからだ。そしてその子孫がリッカルドである。
(愛しい気持ちは私自身の気持ち?? 一目惚れしちゃったのかしら??)
「ん? …………ああ、確かにそうだね」
クラノスはまた独り言を呟く。
「……どうかしましたか?」
「いや、良く考えれば、あんな場所での求婚は相応しくなかったなと」
「え?」
「だから、もう一度」
クラノスはティティアをいきなり抱き締めた。そしてそのまま立ち上がり、背中の翼を大きく動かすと、空高く舞う。
「ひやぁぁぁーーあーーあーーああああ!!!!」
どんどん高く舞い上がる。竜王城の遥か上空へ到達すると、そのまま高度を維持している。上を見上げれば星空が掴めそうに感じるほど天高い場所に居た。
足は地面に着くわけもなく、必死にクラノスの首にしがみついている。
「ひぃ!」
クラノスの耳元で変な声を出してしまう。彼の背中の翼が動かなくなれば、地面に真っ逆さまだなと変な妄想もしてしまい、より恐怖だった。
「大丈夫だよ。こんなに強く抱き締めているのだから」
スリスリと頭に頬擦りをしてくる。この動悸が頬擦りによるものなのか、高所の恐怖によるものなのかもう分からなかった。
クラノスは左腕の力を強め、右手をティティアから離し、指をパチッと鳴らした。
すると流れ星がいくつも降り注ぐ。
星の雨が竜王城を取り囲むように降り注いだ。
あまりの美しさに息を飲んだ。周りをキョロキョロと見渡してしまう。
「こっちを向いて、僕の宝物」
そう言われ、ハッとクラノスに視線を移した。
金糸のような髪は月の光に反射してキラキラと煌めいていた。
背中の翼はバサリバサリと音を立て、前後に動いていた。
「君を生涯愛するよ。必ず幸せにする。だから、もう一度言う。僕の妻になって欲しい」
心臓がはち切れそう――いや、もうはち切れている。
顔から火が出そう――いや、もう火が出ている
頭から煙が出そう――いや、もう煙が出ている。
全身の血が沸騰し、逆流している。
「はぃ……」
好きで好きで堪らない気持ちが溢れ、了承の返事をした。クラノスは嬉しそうに微笑むと、右手をティティアの背中に回し、優しく唇を落とした。




