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55章 理事長室―――六百七十五年・十月六日(四)



 コンコン。「理事長先生、ハイネ・レヴィアタです。入って構いませんか?」


 大きな両開きの扉の中から返事は無い。躊躇いつつ、失礼します、と断って金の取っ手に手を掛けた。キィッ。重厚な見た目に反しあっさり開く。


「理事長先……生?」


 確実に百万はするであろう、マボガニーの広い机。そこに据えられた黒い革張りの椅子に凭れ、天井を仰いだ口からエクトプラズムがもくもく立ち昇っている。そんな錯覚が起こる程、目の前の初老男性は明らかな異常事態だった。

「あ、あの……大丈夫、ですか?」

 恐る恐る声を掛けると、綺麗なオールバックにセットされた頭がこちらへ傾く。

「……レヴィアタ君、か?」

「は、はい」

 答えた途端、理事長先生は慌てて立ち上がり、目にも止まらぬ速さで僕の両肩を掴んだ。


「か、か、身体の方はもう平気なのかね!?いや、勿論心はもっと大事だが!!「はぁっ!?」


 藪から棒に何だこの人!?

「そ、そもそもまだ君はたった十四歳で、ああ言う事は早過ぎる!こんな真面目な子に手を出すなんて……君の背負ってしまった辛さは重々分かる。だからどうか、私にだけは正直に教えてくれないか?」

 ごくり、唾を飲む大人。―――ああ、そう言う事か。

「理事長先生、それ誤解です。ロウとは別に何もありませんでした」

 この間の中庭といい、ベーレンス先生め。結構いい性格している。

「し、しかし、寝巻きで君の部屋へ押し掛けたんだろう?どう考えても」

「本人曰く怖い夢を見たかららしいです。それでどうして僕の所へ来たのかはサッパリ理解不能ですけど」

「怖い、夢……?」

「きっと情緒不安定になっているんだと思います。ロウの奴、何度かアラン先生と話した事があるから」

 二年生になってから担任命令もあり、親友はようやく体育にも出席し始めた。何でも器用にこなす彼を、体育教師は事ある毎に褒めて赤面させていた。まだ警戒心から距離は取っていたけれど、少なくとも不快ではなかった様子。

「理事長先生、良かったらまたあいつに声を掛けてやって下さい」

「あ、ああ……そうだったのか。では、本当に何もされていないんだね?」

「ええ。一緒に朝食を摂っただけです」

 流石にこの場面で抱き着いただの、お宅の息子さんは限り無く同性愛者の疑いが濃厚ですなどとは口が裂けても言えない。言ったが最後、確実に救急車を呼ぶ事態になってしまうに違いない。

「朝食を?ほう、どんな?」

 興味津々に尋ねる教師。

「手の込んだ物じゃありません。ミルクとトースト、それにボイル野菜とウインナーの極簡単な」

「ウインナー!」何故に絶叫!?「そ、それはその、彼が君のを?それとも君が彼のを食べさせられ」

「普通に皿の上に乗った、正真正銘本物の豚の腸詰めを、ケチャップとマスタードを付けて食べたんです!」

 大声で文節を区切りながら説明した。くそぅ!こうなると分かっていたら、引き摺ってでも本人を連れて来るべきだった!歯噛みして一頻り後悔する。

「そ、そうか……済まない。ところでミルクと言ったが、もしかして」

「カルシウムたっぷりの普通の牛の乳ですよ!」

 これ、一体何の羞恥プレイだ?実は性質の悪いショタコンだったりしないよな、この人……?

「そ、そうだよな……うん」

 しかも何でちょっと残念そうなんだよ!?

「僕も実は、理事長先生に訊きたい事があるんです」

 尤もな怒りを抑えつつ、奥の柱時計に視線をやる。


「時間も無いので、さっさと言いますね。―――『呪われた子供達』、って御存知ですか?」


 表面上の変化は特に無かった。返答も冷静そのものだ。

「刑事さんから聞いたのかな、それは?」

「そんな所です。知っているなら教えて下さい」

「……いや、少なくとも私は聞いた事が無い。役に立てなくて御免ね」

 小さく頭を下げた後、彼は真剣な眼差しでこちらを見つめた。

「しかしレヴィアタ君、捜査は警察に任せた方がいい。仇を討ちたい気持ちは分かるが、君はまだ学生だ。危険な真似は止めなさい」

 目を伏せる。

「それに……君はダイアン君の大切な友人だ。いなくなってはあの子が悲しむ。悪夢を見たのも、きっと君が酷く気懸かりだったからだろう」

 そう正論を言われると返答に詰まる。

「君がレイテッド先生を心配するように、私達はレヴィアタ君、君を……」

「……正直な話、他の先生方はキュー先生に帰って来て欲しくないんじゃないですか?」

 不良ぶって腰に片手を当てる。

「どうしてその事を……ああ、職員会議を聞いていたのか……確かに何人かの先生は、彼女を疎ましく思っていたようだね。聖職者としては悲しい限りだが」

「スカウトは理事長先生の一存で?」

「そうだよ。彼女は大学時代から勉強熱心だった上に、何より君達学生と同じ目線を持っていたからね。研修中から目を付けて、教員免許を取ってすぐに声を掛けたんだ。―――話が脱線してしまったね。これぐらいでいいかな?」

「はい。貴重なお時間を取らせて申し訳ありませんでした」

「いや、私こそ朝からの悩みを解消してくれてありがとう」

 と言う事は、午前中ずっとあの状態だったのか……つくづく親不孝な狼少年だ。

「あ、そうだ。ロウの事で、もう一つお願いがあるんです」

「何だね?」

「あいつに今朝、アラン先生のお古のバリカンをあげたんです。けど安物だし、きっとすぐ壊れてしまうと思うんです。あの通り面倒臭がりなので、理事長先生。良ければ今度買ってあげてくれませんか?」

 ピクッ。ナイスミドルの頬がヒクつく。

「バ、バリカン……そ、それはつまり、剃毛と言う事かね?それとも持ち手の方を使用」「普通に服を着るのに邪魔な毛を刈るだけですよ!!」

 このエロジジイ!と心の中で付け足して、僕は叫んだ。




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