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俺の名前は榊原優太。警視庁“未解決事件対策本部”にて警部を勤めている。
そんな俺は今駆け足でその“未解決事件対策本部”へ向かっていた。
「警視長!大変です!」
バンッとノックもせずに扉を開ける。俺はそれほど急いでいたのだ。
「おー、ゆうたん、ウチら一週間の勤務停止喰らってんのにどーしたよ。」
「いや、本当大変なんです……ってあれ?」
今現在は朝の8時。
しかも“未解決事件対策本部”は一昨日に関与した“株式会社連続不審死事件”での失態で勤務停止という対処をされ、実質動いていない状態だ。
にも関わらず普通の人なら関わることもないようなこの場所にすでにお客さんがいたのだ。
さらに言うと、その人物に見覚えがあった。
「あ、これは元警察庁ルーキー、榊原警部じゃないですか。」
銀色の髪に灰色の瞳、そして真っ白な肌が特徴的な“宮ノ内ガイア”警部補。
警察庁の資料室で会った何かと言うことが鼻につく変わった人だ。あのさらっと嫌味を言う感じは今でも憶えている。
「おはようございます宮ノ内警部補、いま未解決事件対策本部は機能してないのですが何の用事で?」
そんな彼に俺は不快感を覆い隠し、ビジネススマイルで応答した。
宮ノ内警部補は顎に手を当てて首をかしげると、屈託のない笑みを浮かべた。
「実はここの部署を休みにしてられないような事件が今起きているんですよ。その名も“切り裂きジャック事件”。」
実に楽しそうに、そう言いながら宮ノ内警部補は一枚の紙をピラピラと揺らした。
その紙を手に取ると、そこには未解決事件対策本部の活動許可と至急対応すべき事件の概要が記載されていた。
“平成26年6月12日
○○駅から徒歩10分、桜坂中学校にて生徒数名が何者かに刃物のような物で切り付けられる事件が発生。
第一被害者は桜坂中学校2年生内村海南江13歳。
20時頃学校の体育館横で左肩から胸部の右第五肋間辺りまで、左第四肋間から右肺尖部あたりまで、左第八肋間から右大腿部辺りまでの三か所を切り付けられ倒れている所を発見。
傷が深部にまで達している部分もあったが、救急車で搬送された後命に別状はなかった。
内村海南江のそばにもう一人、同級生である桜坂中学校二年生横凪理沙13歳が倒れていたが、彼女に怪我はなく意識を失っていただけであった。
第二被害者は桜坂中学生2年生藤井真紀13歳。
彼女の自宅付近の路地から救急車の要請があり、駆け付けたところ左腕を失った彼女を発見した。
他にも顔や膝に擦り傷があったが、命には別条はなかった。
彼女の左腕は鋭利な刃物で一瞬にして刈り取られた形跡が、腕の断面、皮膚の切り口から解った。
第三被害者は桜坂中学教師北山正52歳。
顔面に三か所、額から首元にかけて切り付けられた痕があり、創部を押さえながら近くの病院に駆け込んできた。
傷の一部が左眼球の水晶体にまで及んでいた。人工水晶体により失明は免れたが23針縫う大きな手術となった。
第一被害者である内村海南江と第三被害者である北山正の傷口の向きから、犯人は右利きであることが推測された。
それぞれ三件共同じ中学校の生徒、担任が襲われ、犯行手口、傷の形などが酷似しているため同一犯による犯行だと思われる。
また、第二被害者の腕を一瞬にして切り取る行為から愉快犯であり、犯行凶器として大きく鋭利な刃物、また機械的凶器物であることが予想、さらにそれらを扱うとして大柄の男性であると考えられたが、いずれにしても鍵となる証拠は出てきていない。
それぞれ被害者に聞き取り調査を行ったが、誰もそのことについて口にする者はいなかった。
尚、現在は病院にてメンタルケアを中心に療養中である。”
さらっと目を通してみたものの、正直そこまで珍しい事件だとは思わなかった。
不審な点はいくつもあるが、愉快犯による殺傷行為であろう。
「ま、どうか検討してみてください。エミリア警視長さん。」
「あいあーい。」
内ノ宮警部補はそれだけ言うといくつかの書類を置いて部屋から出て行った。
膨大な紙切れとなった事件が押し込められているこの地下資料室もとい未解決事件対策本部に静けさが戻った。
そこでようやく俺は急いでここに来た理由を思い出した。
「警視長、聞いてください!昨日気付いたんですけど、大変なんですよ!」
「おーおー、ゆうたんが必死そうなのって珍しいね。」
会ってまだ数日で珍しいもどうもわかるのかと疑問になったが、それは一旦置いておいて本題を切り出した。
「ないんです……」
「ん?」
「記憶が、ないんです。」
「へ?ウチのこと認識できてんじゃん。」
「そうなんですけど、警視長とここで初めて担当した事件のこと以外何も思い出せないんです!」
俺は少しムキになってそう言った。そんな俺の顔をライトブルーの大きな瞳で見つめながら、警視長、エミリアは机の上に置いてある野菜ジュースをすすった。
「んー、それはあれだね。生贄として持ってかれたね。」
「いけにえ…………」
俺の思考がそこで一時停止した。エミリアは何ら珍しいことでもないと言うようにチョコレートのかかったポップコーンを口に運んでいる。
非現実的な悪魔うんぬんはここ数日でなんとか受け入れたが、ここでまた新しい非現実的な言葉が出てくるとは。
「えっと、それってまたこの悪魔とかどうとかの話ですか。」
「そうだねー、ウチら人間が悪魔と契約して力を借りるにはそれなりの代償が必要なわけさ。それでゆうたんは記憶を持ってかれたと。」
何とも信じがたい話だ。
この悪魔という存在は記憶という量的検証の難しい質的データをも喰らうというのか。
しかし、記憶というものの定義は曖昧だ。
全く何もかもすっからかんというわけではなく、日常生活を送る動作を行うだけの知識は俺の頭に存在している。
ただ主に対人関係に関しての記憶がなくなっているのだ。
自分の家族、友人、どのような青春を過ごしてどの小学校、中学校、高校に大学を出てきたのか、その辺りが黒く靄がかかったように思い出せない。
「ってかさ、契約の時に説明されなかったの?」
「……普通しますよね。」
そんな大事な説明もなしに契約を取るなんてとんだブラック企業だ。
思わず拳銃にストラップとしてついている小さいカラスのマスコット、マモンをデコピンして起こした。
「いったーい!いきなり何すんのよー!」
「おいこら、生贄の話なんか聞いてないぞチビカラス。」
ちなみに悪魔は地上で本来の姿を維持することは相当体力を消耗するらしく、普段はこのようにキーホルダーやマスコットとして契約した人間のそばにいるらしい。
エミリアの契約したレヴィアタンも彼女の頭の上で魚の髪ゴムとして大人しくしている。
省エネモードというやつだ。
「うっさいなーもう、あんたが詳しい話も聞かずに契約決めんのが悪いでしょー。ばーか。」
小さな羽をぴちぴちさせて生意気なことを言うマモンを掴み、ぐにぐにともみほぐしてやることにする。
「やめっちょっ……ゆーた!怒るよ!あたし本気で怒るよ!」
「まぁまぁ、どっちみち契約してたんだろうしいいじゃないの。」
そんな俺とマモンの様子を見ながらエミリアはそう言い笑った。
「ウチは年齢を持ってかれたからねー。まぁおかげで子ども料金で電車乗れるけど。」
なるほど。だから彼女はその風貌で32歳なのか。
妙に納得して俺は手の中にいたマモンを解放した。
小さなカラスはキーキー怒っていたが、とりあえず疑問が解決したところで俺は話を事件の方に戻した。
「記憶の消失については納得しました。それで……この部署に持ってくるような、しかも急を要する事件ってどんなものなんですか?」
「中身は紙に書いてある通り。上の人が何に一番困ってるかっていうとね、被害者側三人が誰一人として犯人のことを口にしないんだよねー」
確かにそれは大きな疑問だ。普通なら自分の身体と心にに大きな傷を残した相手のことをすぐにでも見つけ出してほしいと思うだろう。
それとも、三人には何か知られたくない事実が隠れているのだろうか。それか……加害者をかばっている?
色々憶測はしてみたものの、やはり情報が足りない。
「三人の共通点は?」
「そうだねー、まず同じ中学内の人間が狙われたこと、そして第一、第二被害者の海南江と真紀、無傷だった理沙はクラスメイトで、なおかつ第三被害者の教員はそのクラスの担任だった……って感じかな?」
この段階で俺は頭の中に人物相関図を描き出した。
海南江、真紀、理沙の三人の関係はどうだったのだろうか。推測するに友達だろうが……。
しかし、どうして海南江、真紀、ときて担任教師なのだろうか。
そこまで考えたところで、俺は一旦思考を止めた。
「まだまだ情報が足りなすぎて事件の流れが把握できませんね。わからないこともいっぱいありますし、聞き込みから始めますか。」
「ん。そんじゃあ今日は資料データをまとめて、明日から実際に被害者三人のとこ行ってみよっか。」
エミリアの言葉に頷き、早速内ノ宮警部補の持ってきた資料をまとめるべくパソコンを起動させた。
……ん?
そういえば、記憶がなくなったはずなのにどうして内ノ宮警部補のことは憶えていたのだろうか。
新章にようやく突入、できました。
カメさんスピードですが、お暇なときにでもぬーんの世界観に付き合っていただけると嬉しいです。




