1
「好きだよ」
日誌を忘れずに届けろよ、と担任が言い置いて教室から出たのが、大体30分時間ほど前。
昨日の当番が日誌の提出どころか記入すらすっぽかして帰宅したため、今日の当番の檜山たちにはことさらの責任が負わされることになった。
とはいえ、やることは限られている。今日の時間割と学習内容、欠席者など。これらはクラスを見ていればわかる。感想や掃除、戸締り確認が面倒なくらい。
檜山ともう1人の日直当番である女子生徒は、あからさまに早く帰りたそうにしていた。スマートフォンをしきりに気にして、ロック画面に通知があると光の速さで目を通す。
これは彼氏だなと見当をつけた檜山は「先帰っていいよ」と告げた。女子生徒は「えっ、いいよぉ」と遠慮したが、喜色を隠せない。檜山が「いいから」と背中を押すように短く言うと、「ごめんねぇ、ありがとう」と感謝しながらもそそくさと教室を出て行った。
夕方の教室に1人取り残された檜山は、ようやく緊張を解いて黙々と日誌に取り掛かった。彼女たちに何かされたわけでもないが、檜山には女子生徒全体が畏れ多い存在に見えてならなかった。
クラスメイトの佐伯侑が教室に入ったことには気づいていたが、檜山は無視していた。
そんな彼が、忘れ物でもしたのか、気にはなったから訊ねる気も起きずに檜山は黙って日誌に集中する。佐伯は檜山の隣に立った。不審に思って顔を上げようとしたが咄嗟にやめた。席替えをして、佐伯の席は檜山の隣だ。
「好きだよ」
檜山の後頭部に音が落ちてきた。
頭を上げると、佐伯が檜山を見下ろしていた。檜山は乾いた喉から搾り出すように言った。
「なに」
「それだけ」
佐伯は復唱する気はないようだった。「すきだよ」と、檜山には聞こえたが、もしかしたら幻聴だった可能性も否定できない。
もう1度言ってくれ、と頼むこともしなかった。
ただ佐伯に手の中で転がされる、ひと口チョコのパッケージが目に焼き付き、何も言えないでいた。




