01_無能な荷物持ち、追放される
「魔石を、全部なくしただと?」
薄暗い石室に、ガルド・ベインの怒声が響いた。
太い指が、テオドリックの胸元をつかみ上げる。
黒髪の青年は抵抗しなかった。空になった両手を下ろしたまま、目の前の大男を静かに見返す。
「はい。袋ごと失いました」
「はい、じゃねえ!」
乱暴に突き放され、背中が石壁へぶつかった。
つかまれた腕を外すことも、突き返すことも、彼にはたやすい。
それでもテオドリックは手を出さなかった。自分が侮られたことなど、今はどうでもいい。確かめるべきなのは、この男が見習いたちへ何をしようとしているかだった。
攻略隊の面々が、二人を遠巻きに見ている。
つい先ほどまで、テオドリックの背には大きな革袋があった。道中で倒した魔物から集めた魔石が、持ち上げるだけでも苦労しそうなほど詰まっていたものだ。
それが今は、袋すら残っていない。
松明の下に立つテオドリックは、どこにでもいる新人冒険者にしか見えなかった。
黒い髪に黒い瞳。高価な防具も身につけず、腰には使い込まれた片手剣が一本。攻略中も前へ出ようとはせず、黙々と荷を背負ってきた。
戦力として数えられていないことは、周囲の立ち位置を見れば明らかだった。
「僕が後方の石室へ戻ったとき、見習いたちの足元が光りました。危険だと判断して全員を退かせ、魔石を袋ごと投げ込んだんです」
「それで、どうなった」
「光は消えました。床も崩れて、袋は回収できませんでした」
「光の中に、何か見たのか?」
「いいえ。床の模様までは見えませんでした」
答えた瞬間、配下の男の肩から力が抜けた。
ガルドは配下へ一度だけ顎を引き、それから再び怒りの形相を作った。
見間違いではない。
ガルドが確かめたかったのは、失った魔石の行方ではない。床に隠されていたものを、テオドリックが見抜いたかどうかだ。
やはり、あの光が何だったのか知っている。
テオドリックも、床に転移の術式があったとは口にしなかった。無知な新人を装ったまま、ガルドに次の行動を選ばせるためである。
「危険だった、だと? だったら袋を置いて逃げればよかっただろうが!」
「それでは、光が消えなかったかもしれません」
「だからって、集めた魔石を全部捨てる馬鹿がいるか!」
ガルドは周囲を振り返り、ことさら大きく両腕を広げた。
「聞いたか、お前ら! こいつは俺たちが命を懸けて集めた稼ぎを、床が光ったなんて理由で捨てやがった!」
誰も答えない。
石室には、ガルドの息遣いと松明の爆ぜる音だけが残った。
テオドリックと同じく、今回の攻略に加わった一般の冒険者たち。その後ろには、経験の浅い見習いたちもいる。
見習いたちは、なぜか全員まとめて後方の石室の中央へ休ませられていた。出口に近い場所をガルドの配下が固め、一般参加者との間をさりげなく隔てていた。
攻略中は不自然に見えない程度だった配置が、床の光を見た今なら別の意味を持つ。
一人の見習いが何か言いかけたが、隣の仲間に袖を引かれ、口を閉ざした。
「でも、あの人が逃げろって言ってくれなかったら、僕たちは――」
別の見習いが声を上げた。
「床が光っただけだろうが!」
ガルドが怒鳴ると、見習いは肩を震わせて黙り込んだ。
「本当に危険だった証拠がどこにある? そいつが勝手に騒いで、魔石を無駄にした。それだけだ」
崩れた床を確認しようとは言わない。
むしろ、誰にも見せたくないようだった。
一般参加の男が、ためらいがちにテオドリックを見る。
目が合うと、その男は気まずそうに顔を背けた。
「そもそも、戦えねえお前を置いてやったのは、荷物くらいなら運べると思ったからだ」
ガルドが、テオドリックの腰の剣を指さした。
「そんな飾りをぶら下げて、新人のくせに一人前の冒険者気取り。実際にやらせてみりゃ、荷物番すらまともにできねえ。何ができるんだ、お前は?」
嘲笑が漏れた。
笑ったのは、ガルドの配下だけだった。
事情を知らない者たちは黙っている。テオドリックをかばう者はいないが、ガルドと一緒になって楽しんでいるわけでもない。
少なくとも、ここにいる全員が同じ穴のむじなではない。
テオドリックは胸元の皺を直した。
「魔石を失った責任は、僕にあります」
「当たり前だ!」
「それで、僕をどうしますか」
問い返すと、ガルドの口元がゆがんだ。
待っていた言葉を、ようやく聞けたかのように。
「決まってる。お前はここで追放だ」
石室がざわめいた。
地上ではない。魔物が徘徊するダンジョンの奥だ。
一人で置き去りにされれば、戦えない新人が生きて帰れる見込みは薄い。
「ガルドさん、さすがにここで置いていくのは……」
先ほど顔を背けた男が口を挟んだ。
「だったら、お前が面倒を見るか?」
「それは……」
「こいつのせいで報酬は消えた。食料も水も余分にはねえ。役立たず一人のために全員を危険にさらせってのか?」
男は押し黙った。
ガルドは勝ち誇ったように鼻を鳴らし、テオドリックへ顔を寄せる。
「そういうことだ。無能な荷物持ちは、ここで終わりだ」
「わかりました」
あまりに素直な返答に、今度はガルドが目を瞬いた。
「……命乞いもしねえのか?」
「判断は聞きました。僕は攻略隊を抜けます」
その気になれば、ここにいる者を一人で制圧できる。
だが、今ガルドを捕らえても、押さえられるのは目の前の実行役だけだ。
誰が見習いたちを狙い、どこへ送り、誰が金を受け取っているのか。物証も命令系統も、まだそろっていない。
テオドリックが皇帝から預かった《巡察大権》は、疑わしいというだけで振るうものではない。
皇太子の身分を明かせば、ガルド一人を屈服させるのは簡単だ。だが、それでは背後の者が証拠を消し、次の実行役を立てるだけである。
救うべき者を救い、罪を犯した本人へ責任を取らせる。そのためには、疑いではなく、言い逃れのできない証拠が要る。
ガルドが背後を警戒している今こそ、泳がせる価値がある。
もちろん、見習いたちを危険にさらすつもりはない。ガルドが動けば、いつでも割って入れる距離を保つ。
だが、先回りして道を塞げば、また実行役だけを捕らえて終わる。相手が自分の足で証拠と首謀者へ案内してくれる機会を、ここで捨てる理由はなかった。
ここまでの反応を見る限り、一般参加の冒険者たちは計画を知らない。彼らまで争いに巻き込まずに済むのは好都合だった。
「待て」
引き返そうとしたテオドリックへ、ガルドが声を投げた。
「その剣を置いていけ」
テオドリックは足を止めた。
「これは僕の私物です」
「魔石の弁償代にも足りねえが、ないよりましだ」
「お断りします」
声は穏やかなままだった。
だが、剣の柄へ添えられた手を見て、ガルドはそれ以上近づかなかった。
「……ちっ。好きにしろ。どうせ、すぐ魔物の腹の中だ」
ガルドが肩越しに手を振る。
「行くぞ。こんな役立たずに構う時間がもったいねえ」
松明の列が、石室から遠ざかっていく。
見習いたちはガルドの配下に急かされ、足早に後へ続いた。
一般参加の男が、最後に一度だけ振り返る。
それでも足を止めることはなく、やがて全員の姿が通路の闇へ消えた。
静寂が戻る。
テオドリックは、しばらくその場を動かなかった。
複数の足音が十分に遠ざかるのを待つ。
やがて、右手側の暗がりから低いうなり声が聞こえた。
松明の光が届かない通路の奥で、二つの目が赤く光る。
現れたのは、大人の背丈ほどもある四足の魔物だった。硬い外皮に覆われ、床を削る爪は短剣のように鋭い。
魔物が床を蹴った。
巨体が、テオドリックへ一直線に迫る。
彼は逃げなかった。
半歩だけ身をずらし、腰の片手剣を抜く。
銀色の線が、一度だけ闇を走った。
それだけだった。
魔物はテオドリックの脇を通り過ぎ、数歩先で着地する。
前脚が崩れた。
遅れて、首筋に生まれた細い切れ目から血が噴き出す。巨体は声を上げる間もなく、石床へ沈んだ。
テオドリックは剣についた血を払い、鞘へ戻す。
呼吸は乱れていない。
剣を握っていた時間より、魔物が倒れきるのを待った時間のほうが長かった。
「荷物持ちにも、できることはあるんだけどね」
聞く者のいない石室で、小さくつぶやいた。
それから、魔石の袋を失った通路へ戻る。
床の一部が円形に陥没していた。
割れた石の隙間には、焦げた革袋の切れ端と、熱で溶け合った魔石が残っている。
テオドリックは膝をつき、煤を指でぬぐった。
その下から、いくつもの細い溝が現れる。
一見すれば、ダンジョンに昔から刻まれていた模様にしか見えない。だが、溝の縁は新しく、意図的に土埃で隠されていた。
魔力の流れを追えば、自然に生まれたものではないとすぐにわかる。
人をまとめて一方通行で送り出す術式。
床の中央にいる者を、外から強制的に送り出すよう組まれている。
行方を絶った見習い冒険者たち。
経験の浅い者ばかりが、何人も続けて姿を消している。
偶然や単なる遭難で済ませるには、数が多すぎた。
だからテオドリックは、身分を隠してこの攻略隊へ加わった。
戦闘員として実力を見せれば、仕掛けた側に警戒される。新人の荷物持ちなら、誰も気に留めない。物資の流れも、人の出入りも、すぐ近くで観察できる。
そして今日、見習いたちが休んでいた床に、この陣が浮かび上がった。
テオドリックが大量の魔石を投げ込んだのは、慌てたからではない。
発動前の術式へ許容量を超える魔力を流し込み、中心から焼き切るためだ。
壊したのは転移を起動する中枢だけで、外周の溝は残してある。術式を調べれば、誰かが人為的に仕掛けたことまで証拠にできる。
あのままなら、見習いたちは今ごろ、全員が陣の向こうへ消えていた。
「奴隷回収用の転移陣……ようやく尻尾を出したね」
破壊した以上、この陣はもう使えない。
見習いたちを諦めるなら、ガルドは地上へ戻る。
それでも連れ去るつもりなら、別の手段を選ばなければならない。
どちらへ動くにせよ、次の一手で目的が見える。
ガルドは、テオドリックが陣の正体を知らないと思っている。さらに、魔物に殺されるか、運よく地上へ逃げ帰るかのどちらかだと考えているはずだ。
追跡を警戒する理由は、今のところない。
テオドリックは立ち上がり、遠ざかった一行の足跡を追った。
急ぐ必要はない。
見失わず、気づかれない距離を保つ。
足跡はしばらく一つの通路を進み、やがて二手に分かれていた。
片方は、地上へ続く安全な道。
もう片方は、ダンジョンの脇を抜ける狭い旧道だ。
地上へ向かう足跡の数が多い。ガルドは事情を知らない一般参加者を、先に帰したらしい。
旧道へ続くのは、ガルドと配下、それに見習いたちの足跡だった。
その先から、かすかに声が届く。
テオドリックは松明を消し、壁の陰へ身を寄せた。
「転移陣が壊れたくらいで、今さら中止にできるか」
ガルドの声だった。
「ですが、あの人数を連れて旧道を抜けるとなると――」
「黙れ。あの方へ渡す獲物だ。一人も逃がすんじゃねえ」
見習いたちが息をのむ気配がした。
「囲め。歩けない奴は担げ。奴隷商の収容所まで、今度は俺たちが直接運ぶぞ」
暗闇の中で、テオドリックの黒い瞳が細められた。
転移陣の向こう側だけではない。
ガルドの先には、奴隷商がいる。そのさらに先には、彼らへ命じた「あの方」がいる。
追うべき道が、ようやく一本につながった。
ガルドたちが旧道を歩き始める。
その足音を数えながら、テオドリックも静かに闇へ踏み出した。
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全10話予定のテンプレもりもり実験作です。面白いと思っていただいたらブックマークよろしくお願いします。いっぱいいただけると続編出すかも?




