第二王女の真実
王妃が顎をガクガク震わせつつ、言葉を発する。
「ううう、嘘よ、死んだはずじゃ……」
「死んだなんて、誰が言いましたか? よく思い出してください、お義母さま。誰もその単語は使わなかったはずです。貴方達は、私にネリーが毒を呑ませることを知っていたから、結末を勝手に疑わなかっただけです。――それともネリーから伝書鳩がまた届きましたか?」
「そんな、どういうこと⁉︎ 死んだフリをしていたの? 何のために?」
ミーユが髪を掻きむしりながら、王妃のスカートにしがみつく。
「聖王から贈られたネックレスの仕掛けに、ヴァリオ王太子殿下のお陰で私もとうに気がついていたのよ。……でもね、私は父親の愛情を信じたかった。だから、殿下に一芝居打ってもらったの」
突然扉が開き、驚いた聖王達が振り返る。礼拝堂の入り口からは王太子が衛兵とフィリップを引き連れ、大股で歩いてきている。フィリップはネリーの両手首を縛ったロープを手に持ち、彼女を連行していた。
開いた棺を見たネリーが目と口をポカンと開け、次いでそのそばに立つリーナを視界に捉えるなり、事態を呑み込まないのか、硬直して立ち止まる。フィリップはそんな彼女を問答無用で聖王一家のもとへ引きずっていく。
「この侍女は、リーナ様を見張るために、聖王陛下の手先としてつけていたのですね」
するとネリーが血相を変えてフィリップを見上げた。いつもは後毛一本ないきっちりと結き上げられた髪が、今は大きく崩れて視界の大半を塞いでいるが、両手を拘束されているので払いのけようがない。
「私は何も知りません!」
「毒はリーナ様が勝手にのんだことにする予定が、ご本人の証言のせいで崩れたな。ネックレスの中に錠剤が入っていることを、なぜ知っていた?」
「わ、私は疲労回復の薬だと聞かされていただけです!」
「嘘をつくな。ではなぜ、昨日の朝は早朝にわざわざ妃殿下の寝室に行ったんだ? お前が入っていくのを見たぞ」
その場にいた誰もがギョッとしてフィリップを見た。
王太子からリーナの計画を聞かされていたフィリップは、早朝からリーナの寝室を見張っていたのだ。
ネリーは恐怖に裏返りそうになる声で、フィリップや恐らく今この場で自分の命の手綱を握っている王太子に訴えかける。
「早い時間に一度ご様子を見に行ったのは、ご体調が心配だったからです。中扉から声をお掛けしましたが、お返事がないのでお休みのようで、安心して引き返しました」
「自分の寝室に引き返すついでに、わざわざ妃殿下の部屋にあった聖王宛ての手紙を、燃やしたのか?」
ネリーの顔が引き攣る。
自分が生き残るために今懸命に探している細い細い道を、目の前のフィリップに非情にも寸断された思いがした。
「な、なんのことか……」
「お前の行動が妙だったから、妃殿下の部屋に私も入ったんだ。そこで暖炉の中に放り込まれたばかりのこれを見つけた」
言い終えるなりフィリップはポケットから折り畳まれた便箋を取り出した。四隅が焦げているものの、彼がすぐに風の魔術で火を消したお陰で、文面はほぼ残されている。
「妃殿下は王太子殿下がいかに優れた方であるかと、ご自分はダルガン王城で頑張っていくつもりだといったことが書かれている。死を選ぶ様子など微塵もない。だからこそ、お前は燃やしたんだろう?」
(何か、言わなくては。黙っていたら、身の破滅だわ……)
王族を殺そうとしたのだから、この罪から逃れられなければその先にネリーを待っているのは、極刑だ。彼女は自分を救命するための細い道をなんとか探そうとしたが、焦れば焦るほど、見つからない。
自分が今立っているのは鬱蒼とした森の中で、目の前は獣道もないような密集した木々で、後ろは突如として起きた地崩れのせいで、切り立った崖になってしまっていた。
こうなったら、洗いざらい話して少しでもマシな処刑方法にしてもらう方が、身のためかもしれない。ネリーはそう考え、哀れを誘うべく膝を床に打ち付け、縋る思いで王太子を見上げた。
「すべて、殿下のご想像通りです。……こうなったら正直に全て告白致します。私は聖王国の諜報部門の職員なのです。聖王陛下のご命令で、リーナ様を一番聖王国にとって最適なタイミングで殺すことが、私の重要な任務でした」
「なんて残酷なことを」
押し殺した声で、王太子が呟く。フィリップも同じ気持ちになり王太子を見たものの、リーナを見ることはできなかった。あまりにも彼女が気の毒だと思ったのだ。
(これが、私と聖王の真実だったのね)
リーナは棺の下に転がる花々に視線を固定したまま、冷静に事態を見つめた。
父である聖王は、実はリーナを実の娘だと思ったことはなく、完全に国の駒として育てていたのだ。リーナが信じて心の支えとしてきた父の愛という一條の光は、幻想でしかなかった。
だが今、リーナは思ったほど絶望してはおらず、自分でも驚くほどすっきりとした気分だった。
一昨夜、聖王への手紙を書いた後、秘密の通路を通って王太子に自分が思いついた計画を打ち明けた時。
王太子は結論を出すまで長く考え込んではいたが、決して反対しなかった。彼はリーナが真実を知ることが大事だと考え、彼女の勇気を出した大きな決意を挫けさせまいとしてくれた。
何より、聖王の真意を明らかにすることで、初めてリーナがダルガン王宮でも王太子妃として認められると王太子は考えた。
(殿下に信じてもらえたことで、私はそんなにショックを受けずにいられるんだわ。それに、今初めて自分で自分の人生をちゃんと生きている気がする)
リーナはゆっくりと瞬きをすると、視線を花々から上げて聖王をまっすぐに見つめた。
「ネリーの証言は、本当ですか?」
聖王は正面に立つリーナを見上げ、首を左右に振った。お前の勘違いだと言いたいが、作戦の成功に気を抜いてここで話したことを、リーナにも既に聞かれてしまっている以上、取り繕いようがない。
「お、落ち着くんだ、リーナ。第一、こ、こんなことをしていいと思っているのか?」
「私は今、これまで生きてきた中で一番頭がスッキリしているし、冷静に判断しているつもりです。やっと目が覚めました」
聖王は近くの燭台にしがみつきながらやっと立ち上がり、努めて威厳ある声でリーナに命じた。
「そもそも、こんな風に余を騙していいと思っているのか? お前は王太子を巻き込んで、とんでもないことをしている自覚がないようだな。――やはり、お前を嫁がせるべきではなかった」
「いいえ。私はダルガンに来て、良かったと思っています。聖王国を愛しているけれど、貴方達のために身を引くつもりはありません。私はヴァリオ様を愛していますから」
「お姉様は嘘つきだわ! 本当は人に言えないような身分の恋人がいるくせに。さっき殿下にもお話ししたわよ?」
喚くミーユは王太子に同意を求めたが、なぜか彼はリーナに歩み寄って彼女の左手をそっと握った。
「この指輪をリーナに贈った男のことか? その男のことなら、私もよく知っている」
「えっ? どういうこと?」とミーユが目を点にする。
リーナが隣に立った王太子に、はにかむような微笑を向けた。
「この指輪は、私が聖王都で殿下からいただいたものよ。――まさに、人に言えないご身分の方だったわ」
見つめあう王太子とリーナが、人目もはばからずうっとりと笑みを交わすその様をしばし呆然と見た後、ミーユは聖王の近くにいるレオンスを、鬼の形相で睨む。
「どういうこと、レオンス。わたくしを騙したの?」
レオンスは少しも顔色を変えることなく、平然と答えた。
「まさか。私もリーナ様が聖都で密かに逢われていた男性が、ヴァリオ王太子殿下だとは、存じ上げませんでした」
レオンスのせいでとんだ大恥をかいたミーユは、帰国したらこの護衛騎士をどう調理してやろうかと、ギリギリと歯を食いしばった。
リーナが王太子から離れ、聖王の正面に立つ。
「今なら分かります。聖王国に聖女が二百年も現れなくて当たり前なんです。今の聖王家は自分のことしか考えていないのだから。国を思うというのは、少なくとも転がる商品を店主と一緒に必死に拾おうとするような、ヴァリオ王太子殿下の行動のことなのでしょう。自分が大きな力を持っているとしても、持たない民のために代わりとなるものを探し、尽力する心根のことなのでしょう。聖王家の人達には民の暮らしを守る意思がないことを、神はお見通しなのですよ」
直後、聖王が悲鳴を上げた。何の前触れもなく、目の奥まで突き刺すような強烈な光が、周囲を包みこんだのだ。
すぐ近くにいた王妃も数歩進んだ地点で立ち止まり、目を庇うように両腕で顔を覆う。
「この凄まじい光は何? 何が起きているの?」