バスティアン王国のパーティー②
庭園が幻想的に明るくなり、皆の注目を集めた直後。
王太子が夜空を指した。
「シャルル王太子殿下とビクトリア王女殿下のご婚約を祝して、ダルガンから花火をお贈りいたします」
はなび、という単語は初めて聞くものだろう。
困惑ぎみな空気が広がった刹那。ドンと爆発音が響き、続けて弾けるような炸裂音と共に夜空に巨大な赤い火の玉が上がった。
何ごとかと多くの者達が無意識に腰を屈めて頭を腕で庇う中、火の玉が青や黄色の光を放ちながら、花が開くように弾けた。
事態の展開が読めないまま、すぐに二発目、三発目の火の玉が上がっていく。
あれは何だろうかと、皆の目が釘付けになる。
空高く上がった火の玉は、風車のように大きく円形に開いたり、柳の枝のように放物線を描いて輝きながら消えていく。
夜空に青や赤、黄色の光が散り、まるで黒いキャンバスに描く光の絵画だ。
爆音に怯えていた婦人達も、皆顔を上げて夜空に見入っている。
「ねぇ、王太子妃殿下。あの火の玉はどうなっているの?」
いつの間にか私の隣にビクトリア王女が来ていて、私の二の腕を掴んでいる。丸い大きな目を、好奇心いっぱいに開けて夜空を見上げている。
「あれは火薬というものを使っています。大きな球体にたくさんの火薬が詰められていて、地上から打ち上げた後に次々に引火して、あのように見えるのです」
「どうしてあんなに色んな色がでるの? 火の魔術が得意な私のお母様も、あんなことはできないわ」
私は更に言い足した。
「材料に混ぜる成分を変えることで、多彩な色が出せるのです」
「魔法じゃないのに、まるで魔法ね! 空に神様が絵を描いてらっしゃるみたい」
なんて愛らしい表現だろう。自然と笑顔が溢れる。
「ありがとうございます。我が国の技術者達にも、後で伝えさせていただきます」
ダルガンを我が国と呼ぶことにまだ慣れないが、誇らしくもある。
ビクトリア王女についてきたのか、少し後ろにいるシャルルは相変わらず膨れっ面だ。
ヒマワリを彷彿とさせる黄色い大きな花火が連続して打ち上げられ、最後に激しく弾けてたくさんの花を咲かせ、上空は昼間のように明るくなった。
やがて爆音がパッタリとやむと、全ての花火が消え、ホールの人々も静まり返った。
一瞬の後、ワッと盛り上がって皆が今目撃した素晴らしい技術への感動と畏怖について話し出す。
王太子はあっという間にたくさんの人々に囲まれ、賞賛を受けた。
(ああ、良かった。うまくいったわ……!)
ダルガンからのお祝い品の披露が成功したことに、心から安心する。聖王も彼に近づき、シャルルの祝いへのお礼を伝えて微笑を浮かべている。だが、その笑顔はややぎこちない。
聖王の引き攣る頬に気づいた者は、ほとんどいなかったかもしれない。けれど彼は明らかに、王太子の積極的な行動と技術に動揺を隠せないでいるように見えた。
シャルルは相変わらずビクトリア王女に「魔術に比べれば、たいしたことないじゃないか。皆、ダルガンにお世辞を言い過ぎだよ」などと話しかけていたが、彼女は返事をしなかった。
花火を鑑賞し終えて興奮する人々の中で、放心した様子なのはミーユだった。
ミーユは窓際には行かなかったのか、人々から離れたホールの端の方にいた。長い睫毛を震わせて何度も瞬きをして、人垣の中の王太子を見つめている。その様子が気になって、彼女との距離を詰める。
やがてミーユは王太子に焦点を当てたまま、すぐ近くにいたレオンスに話しかけた。
「やっぱり、間違えたわ。間違えたのよ……」
「はい? ミーユ様、今なんと仰いました?」
「だってこんなに拍手喝采を浴びるような男性だとは、思わなかったのだもの」
「ええと……、それはダルガンの王太子殿下のことでございますか?」
尋ねるレオンスの顔を見ることもなく、ミーユは王太子をひたむきに見つめていた。手が震えているのか、右手に持つワイングラスが小刻みに揺れ、溢れそうになっている。
「あんな素敵な殿方なら、わたくしが相応しいはずなのに。おかしいわ」
何を言っているのか理解できず、私とレオンスが固まる。
白いワインがミーユの手にしているグラスの中でクルクルと渦巻き、水面が波立つ。何ごとかと注目した直後、ワインはグラスの中から飛び出し、まるで意思を持つ生き物のように、近くにいたレオンスに向かって真っ直ぐに飛んだ。
飲み掛けの少量しか残っていなかったものの、ワインはレオンスの顔にぶつかって濡らすと推進力を失い、彼の胸元を汚した。
風の魔術だ。ミーユがこっそり魔術を用いて、レオンスにワインをかけたのだ。思わず駆け寄って声を掛ける。
「ミーユったら、レオンスに何するの」
「うるさいわね。お姉様は何も知らない、お馬鹿な駒のくせに」
ミーユが空になったグラスをレオンスに向かって放り、彼が慌てて片手でそれをキャッチする。
「そもそもレオンス、お前が使えないからいけないのよ。ダルガンに行ったくせに、早々に追い出されてノコノコ帰ってきたりして」
レオンスはこの失態を周囲の人々に見られないよう、身を屈めて片手でポケットからハンカチを取り出し、顔を拭いた。
「申し訳ございません」
なぜミーユが怒っているのか分からない。
「レオンスは何も悪くないでしょう? ねぇ、待ってミーユ……」
話しかけるも、ミーユは私を無視してツンと顎を逸らし、ホールの中ほどへ向かって私から離れていく。
ここで言い争いをしているのを、周囲に見られるのは避けたい。ミーユを引き止めようと彼女に伸ばした手を、そっと引っ込める。
まだ発言の真意を問いただしたかったのだが、ミーユはこれ以上私と話す気はないという確固たる姿勢を示すかのように、こちらに背を向けて遠ざかり、その後をレオンスが慌てて立ち上がって追いかけていった。
ようやく花火の興奮がおさまると、次はダンスの時間だった。
管弦楽団が演奏を始め、その軽やかな音楽に合わせて、男女がペアになってホールの中央で踊り始める。
曲が始まると王太子は私のところに戻ってきた。
やっと王太子と話せることに、喜びと安堵を感じる。
「殿下、お疲れ様です。ガス灯も花火も、素晴らしかったです」
「ありがとう。うまくいって良かったよ。――さぁ、私達も踊ろう」
王太子が手を差し出し、その手にそっと手を載せる。
私はダンスがあまり得意ではない。
二人で体を寄せるだけで、緊張して体が上手く動かなくなってしまう。曲の間中、次のステップや自分の姿勢が気になって、楽しむどころじゃないのだ。
それに自分の顔が真っ赤になっていないか、王太子の視線が気になって気が気じゃない。
やっとの思いでなんとかやりこなし、一曲が終わる。
ダンスの相手に礼を取るため、王太子と向かい合って膝を折って顔を上げると、聖王とミーユが私達のそばに来ていた。
驚いたことに聖王は私に手を差し出し、私の目を見て話しかけてきた。
「リーナ。久しぶりに、少しお前と話がしたい。サンルームで二人で話さないか?」
(えっ? お父様が私に話しかけてくるなんて……!)
こんな機会は滅多にない。久しぶりどころか、聖王国でもなかったのではないか。
深刻な話があるのだろうか。
本音をいえば、私は今まで聖王とは表面的な会話しかしてこなかった。自分の気持ちや考えを打ち明けたことはない。私にとっても、聖王は父である前に常に絶対的な支配者だったから。
けれど二人きりで話し合えば、これまでになかった展開があるかもしれない。
お互いの心の内を、見ることができるまたとない機会にできるかもしれない、と期待してしまう。
私はぎこちなく聖王の腕に手をかけ、彼の先導でホールの一角にあるサンルームへ向かった。
サンルームには私達以外、誰もいなかった。日中は日が降り注いで暖かいのだろうが、夜はガラス張りの構造のせいで、ホールよりも寒い。思わず体がぶるりと震え、自分の二の腕を摩る。
屋根に至るまでガラス張りのサンルームからは、中庭がよく見えた。
聖王がゆっくりとソファに腰を下ろし、中庭に視線を投げる。室内との温度差からかガラスはやや曇っていたが、ここからでもガス灯の明かりははっきり分かる。
「ヴァリオ王太子には、驚いた。私は少々彼をみくびっていたらしい。ダルガンがあんなカラクリ技に長けているとはな」
カラクリ技ではない。技術だ。聖王にそう言いたかったが、その前に彼は再び口を開いた。
「ダルガンなんぞと偉大なる聖王国が和平協定を結ぶなど、言語道断だと思っていたが。お前の寄越した書簡の通り、気づかないうちに、世界の潮目は変わっていたようだ。やはり、共存が正しい道だったようだな。国境の砦の建設も、正式に中止することにした」
それを聞いて心から安堵する。ダルガンにとっては、終戦後の懸念材料だったのだから。
座っていいとは許しが与えられていないものの、慣れないダンスとヒールの高い靴に足が疲れてしまい、私も聖王のそばのソファに腰掛けた。案の定、聖王はやや怪訝な顔をしたが、他国の王太子妃に対する遠慮があるのか、文句は言われない。代わりに彼は大きく息を吸ってから、低い声で私に尋ねてきた。
「ヴァリオ王太子とは、あまり上手くいってないそうじゃないか。すっかり聖王国にまで噂が広まっている。……お前たちが、白い結婚だとも」
「申し訳ございません」
物凄い恥辱だった。
予想もしない指摘に、自分でもどうして謝っているのか、分からない。でも恥ずかしすぎて、他に返す言葉が思いつかない。
最王が私に心底失望したような溜め息を吐く。
「国王との謁見でも、お前の守護獣がいい笑いものになったそうじゃないか」
「笑われてはいません。ただ……お気には召さなかったようですが」
聖王が口を歪めて笑う。
「あのトカゲを気にいる奇特な者がいるものか」
聖王は目線を上げ、今度は私の背後を見た。何やら考え事をするかのように、顎を片手で擦っている。
何を見ているのか気になって後ろを振り返ると、そこにはホールで踊るヴァリオ王太子とミーユの姿があった。
私がホールを聖王と離れてから、二人で踊り始めたらしい。どちらから誘ったのか、気になってしまう。
二人は非常に目立っていた。王侯貴族のみならず、給仕達まで仕事を忘れて一時、視線を二人に奪われている。
美男美女が豪奢な衣服に身を包み、華麗に舞う姿は実に見応えがあった。
聖王が立ち上がり、私の隣に座る。それだけでもびっくりしてしまうのに彼は私の膝上の手に、手をそっと乗せた。
まるで娘を気遣う父親のように。
「異国に嫁いだ挙句、嫁ぎ先に邪険にされているのは、辛かろう。父として、胸が痛む」
「聖王陛下。そんなことを仰って下さるなんて……」
ダルガンの王妃にはすっかり警戒されていたし、私と王太子が既知の仲だとは手紙に書かなかったせいで、父を本気で心配させてしまったようだ。
「お前が聖王国に帰りたいのなら、全力を尽くそう。――どうだ、お前にその気があるなら、離縁を私から提案してもやぶさかではない」
「離縁、ですか? そんな、唐突な」
心配してくれるのは嬉しいけれど、離縁は流石に行き過ぎだ。ただでさえ聖王国では無価値な王女なのに、出戻りとなれば尚更身の置き場所がない。
それにさっきまで平和が大事だと痛感したようなことを言っていたのに、どういう意図があるのだろう。訳がわからない。異様に私を覗き込んでくる聖王の目が怖くて、思わず目を逸らしてしまう。
「ダルガン王家も、流石に茶色い瞳のお前では、王家の一員として認めてくれなかったのだろう。リーナ、何も心配いらないから帰ってくるんだ」
重ねられた手に力が込められた気がして、思わず引き抜く。
「でも、私は友好のために嫁いだはずです。そんなことをしたら、両国の関係は壊滅的に悪化してしまいます」
「心配いらない。私は間違いを正そうとしているだけだ。離縁したらお前の代わりに、ミーユをダルガンに嫁がせる」
急な上に突飛すぎて、話が頭に入ってこない。
(えっ? なんですって? 私が離縁した後、誰が誰に嫁ぐっていうの?)
「元々お前は補欠だったのだ。ミーユが正式にヴァリオ王太子の妃として嫁ぐのが、本来の筋だったし正しかったのだろう。何より、二人はあのように実に似合いの男女だ」
聖王が顔を上げ、再びホールの二人を見つめる。
手を取り合ってダンスをする王太子とミーユは、悔しいけれどどちらにとっても遜色ない。ミーユは異性と踊り慣れているからか、軽やかに楽しげに身をこなし、リードする王太子も顔を綻ばせている。二人は動きまでもがとても美しく、見たくなくても見入ってしまう。
チクリと胸が痛む。私とのダンスでは、王太子をあんなに楽しませられないし、彼の優れた容姿も引き立てられない。
ふと思った。
聖王がもしこの提案をしたとしたら。ダルガンの国王と王妃はもしかしたら、喜ぶかもしれない。
けれど私は勇気を出してダルガンに嫁いだのに、また誰かの思惑で人生を大きく勝手に変えられてしまうなんて。何よりダルガンでの日々を、無駄にしたくない。
(……俯かないと決めたばかりなのに。私もまだまだだわ)
ミーユは確かに王太子と見た目だけで言えば、お似合いかもしれない。でも、ルーファスと出会ったのは私だし、王太子が耳を赤くする姿を知っているのも、私だけだ。
私にも、譲れないものがある。
「お父様が心配してくださるのはありがたいのですが、私は嫌です。まだ結婚してから二ヶ月です。もう少し頑張らせてください」
「だが両国のことを考えれば、王太子は正当な王女と結婚すべきだ。お前のお陰で、ダルガン王宮には危険がないことも分かった」
「私は偵察のために嫁いだのではありません!」
洞窟を探検する時、探検隊は有害なガスが溜まっていないか、カナリアを先に放つという。気の毒なカナリアが戻らなければ、探検はやめるのだ。
まるで自分がそのカナリアにされた気分さえする。
「だが正統な王女とは言えないお前では、友好の架け橋としての役割を十分に果たせぬ。それにミーユならば、容易にヴァリオ王太子を懐柔するだろう」
「私は……、夫を譲る気なんてありません」
「意地を張っても、誰のためにもならん」
「私は、離縁なんてしません」
「お前は、一体誰に似てそんなに強情なんだ?」
聖王は大きな溜め息を吐き、立ち上がった。私を説得するのを諦めたのか、ホールに戻る彼と入れ替わるようにサンルームにやってきたのは、レオンスだ。
レオンスは私の側まで歩いてくると、ホールに戻った聖王の背中を見つめた。
「何を話されていたのですか? お二人が話し込むなど、お珍しいですね」
「お父様はヴァリオ王太子にミーユではなくて私を嫁がせたことを、後悔してらっしゃるのよ。ミーユをダルガンに行かせるべきだった、って。今更そんなことを言っても仕方がないのに」
レオンスは思いもしなかったことを言われたのか、束の間絶句してから口を開いた。
「ミーユ様のお顔の発疹が完治されると分かっていれば、こんなことにはなっていなかったかもしれませんね」
「あれは治ったの? 私はてっきり、今日はお化粧で目立たなくしているのかと思っていたわ」
「そう言われますと、そもそも病になられてからずっとベールをされていたので、発疹自体を見ておりませんので、なんとも分かりかねますが……」
私は考え込んでしまった。しばらく口元に拳を押し付けて考え込み、沸いた疑問をレオンスにぶつける。
「顔の発疹って、本当にあったのかしら? いいえ、それ以前に本当に流行病になったのかしら?」
私の今の疑問は、ダルガンの国境を超えた日に、王太子にまさに言われたことだった。
レオンスは「えっ?」と呟いたきり、何も言い返してこなかった。
彼にとっても否定も肯定もしにくい仮定だったのだろう。