新婚旅行
王太子妃となってから、五日後。
この日から、私達の新婚旅行が始まった。
新婚旅行といえば、昔からどこかの海や島へ行くのが定石だし、一番の目的は二人でのんびりすることだろう。
しかしながら、王太子が計画を立てた私達の新婚旅行は、甘さとは無縁の国内視察だった。
最初の行き先は、なんと軍事演習の行われる荒野だった。
馬車にガタガタと揺られながら、つい姉のアンヌの結婚式とその後の新婚旅行を思い出してしまった。彼女は聖王国の西海岸にある、風光明媚な海辺のリゾート地に出かけた。
一週間、そこで飲んで踊って食べての楽しい時間を過ごしたらしい。
滞在先は豪華絢爛なホテルだったはず。
もし姉に私の新婚旅行が、軍事演習を見に行くことだとバレたら、喉が千切れるほど大笑いされたに違いない。
「軍事演習……?」
馬車の中で戸惑う私に、王太子が説明する。
「リーナにダルガンの考え方を知ってもらうには、これが一番てっとり早いと思ったんだ」
王太子が私に分厚い「旅行計画書」を手渡す。
まさか新婚旅行に、単行本一冊分の計画書があるとは、思っていなかった。
「こ、こんなに綿密な計画があるんですね。たったの五日ですのに」
「手抜かりはないはずだ。表紙の版画に至るまで、私が作ったんだから」
ご冗談を、と笑おうとしたが、すぐに表情を引き締める。
王太子は大真面目に言っており、事実を述べたに過ぎないのだと、気がついたのだ。私が凝視しすぎたせいか、彼は少し照れ臭そうに目を逸らしてソワソワとみじろいだ。しかも耳の先がほんのりと赤くなっている。
もしや、照れているのだろうか。
私の視線に気まずくなったのか、王太子が続ける。
「最初に準備していたのは、もちろんもっと薄いものでね。リーナを案内するんだと思って張り切ってページを増やしたんだ。――決してロマンチックな行き先ではないと分かっているよ。流石に行き先を変えるほどの時間はなかったんだ」
「い、いいんです! 定番の湖や高原より、軍事演習場の方が素敵です!」
そんなはずないだろう、と苦笑しつつ王太子はもう一度「ごめん」と詫びた。
もともとキャロリーナ王女に軍事演習場を案内したかったのは、おそらく王女を通じてダルガンの軍事力を聖王に見せつけよう、という意図があったのだろう。
基本的に私達は王家所有の屋敷か、滞在先の領主の館に泊まる予定だったが、計画書にはその建物の沿革や特徴などが、十ページ以上にわたって記されていた。
王太子は私が思っていたよりも、ずっと几帳面な性格をしていたらしい。新年祭で見た彼とは、また違う一面を見た気がする。朗らかで優しく遊んでいるだけではない、彼の姿を。どんどん新しい彼の姿を知ることができるのは、大好きな本の新しいページをめくるのに似ている。不安よりワクワクするのは、相手があの「ルーファス」だからだろう。
(まだまだ、知らないことばかりだわ。でも、理解しようとする努力は、大切よね……)
夫である王太子の思考のかけらに、少しでも寄り添いたい。分厚い旅行計画書の、一字一句に目を通す。
それでも――。
(くっ……。これは……)
主な旅行先は、病院、孤児院、武器庫、工場見学。めまいがするほど、甘さ要素がゼロだ。
もちろん、無選別に決めたわけではないはずだ。きっと、それぞれに選んだ理由があったのだろう。
窓の外を見れば、騎乗した衛兵達のすぐ近くを、黒い豹が並走している。王太子の守護獣だ。
私のトッキーには到底真似が出来ないので、馬車の座席の隅で丸まっている。
王太子はトッキーに興味津々なのか、時折彼をつついては遊んでいる。トッキーの方も少しずつ慣れてきたようで、王太子のマントに包まって暖をとっている。
王太子はトッキーを猫か何かだと思っているのか、彼の顎の下を指の背で撫でながら、首を傾げた。
「なんだかトッキーは初めて離宮で見た時より、大きくなってないか? 一回りたくましくなって、大人の猫くらいの大きさがあるぞ」
「そうですね、前にご説明した通り、今が冬なのでたまに冬眠しているからです」
「トッキー、お前本当に厄介なヤツだな」
王太子に声をかけられ、トッキーが面目なさそうに俯く。王太子はトッキーを覗き込んで愉快そうに笑った。
「意外と表情豊かじゃないか。この大きくて垂れた目が、愛嬌があっていいな」
自分の守護獣を褒められ慣れていないので、照れ臭いのと同時にどう反応していいのか分からない。肯定するのはおこがましい気がするし、否定するのもトッキーに失礼だ。
黙ってしまった私を見て、王太子が不思議そうに目を上げる。
「リーナ、どうかしたか?」
「いいえ。なんだかヴァリオ様は、私のいろんな感情を揺さぶる方です」
「なんだ、それは。褒められていると思っていいのか? リーナも同じだよ。毎日、初めて味わう景色を見せてくれている」
王太子は馬車の窓にレースのカーテンがきちんと掛けられていることを確認してから、こちらに両手を伸ばして私の手を取った。
「聖都の大教会で、なぜ三位の分配の水盤の中にリーナも一緒に手を入れるように言ったか分かる?」
新年祭で聖都を案内した日のことを思い出し、首を左右に振る。王太子は照れ臭そうに小さく笑って続けた。
「水盤に男女が一緒に手を入れることの意味は、私も知っていたよ」
「えっ、そうだったんですか? てっきりあの時、ルーファスは知らないのかと……」
「知らないフリをして、リーナに手を浸けさせたんだ。あの時、リーナとどうしても別れたくなかったから」
握られた手から熱が伝わり、私の顔は王太子の手より遥かに熱くなっていく。思わぬ告白に驚きと喜びで暴れる心臓が、痛いくらいだ。
「手を浸しっぱなしにした私も、同罪です」
私はあの時気になった彼の発言を、ふと思い出した。
「そういえば、ヴァリオ様はご自分の手が血で汚れていると仰ってましたよね。なぜあんなことを?」
王太子は悲しげに笑った。
「前線とまではいかなくても、何度か聖王国との戦いを現場で指揮したことがあるんだ。当時流れた兵士達の血は、目には見えなくともこの手についている」
それは私が知り得ない、指揮する側の痛みなのかもしれない。王太子の手を見つめ、握り返す。
「彼らの死は、全部私が命じた結果も同然なのだから。だけど私に怯えることなく、すぐに綺麗だと言ってくれたリーナに、すごく救われた思いがした」
「もう、二度と戦争は起きませんから、ご安心ください」
王太子は私の両手を自分の顔の高さまで持ち上げ、私の手の甲にキスをした。
「この手は、絶対に誰にも汚させない」
この馬車が、目的地に着かずにずっと走ってくれればいい。いっそ、今心臓が止まって息絶えてもいい。そう思えるほど、私はこの瞬間が途方もなく幸せだった。




