第八十五章 灯
「赤木!!」
真音とユキは、ディボルトを解かないまま、十字架に張り付けにされている美紀を助けに来た。
気を失っていた美紀は、真音の声に気付いて目を覚ます。
「き………如月……君?」
まだ状況が把握出来てないらしく、遥か下にいる真音を不思議そうに眺める。
美紀は冷たい風を肌に受けながら、しばらく呆然としていたが、やがて手足をくくられている事を知る。
「え……?私………どうなってるの?」
状況を知ってからは混乱するばかりだ。後ろは海、下に落ちれば死にはしないだろうが、怪我は免れない。
「…………い、いや………助けて!如月君!!」
風が吹く度、十字架のオブジェが前後左右にしなる。
「待ってろ!今助ける!」
そう言ってはみたが、十字架をよじ登ったとして、美紀は一人では降りれないだろう。その前に、登る事すら難しい。
「くそっ!なんかいい方法ないのか!?」
模索する手段など高々知れてる。
「いい方法も何もないわよ。あんな高いところ………空でも飛べない限りは………」
「ディボルトしたらなんとかならいか?」
「ディボルトしても、真音は二ノ宮みたいに自在に力を使えないじゃないの。無理よ」
ユキの言う通りだ。ディボルトしても思ったような力は真音には使えない。戦う事を前提に使って来た力だ、人を救う為にどう使うかなんて考えた事がない。
「どうしたらいいんだ……!」
見上げた先では、美紀が今にも泣き出しそうな顔をしているのが、僅かに周囲を飾るスポットライトでわかる。
「きゃあっ!」
そうこうしてる間にも、美紀が危険に晒される。焦る真音を煽るように強風が吹き荒れ、十字架のオブジェの根本に亀裂が入る。
「赤木!」
思わず飛び出した真音だったが、なんと目の前に突然、火柱が立つ。
「な………!!」
火柱が真音と美紀とを遮り、救出不可能を予感させてしまう。
「如月君……………」
絶望。美紀は生まれて初めてどうにもならないと悟る。最悪な事に、それは生死を左右する。
往生する真音とユキを更に追い込むように、あちこちで爆発が起こり出す。
「爆発!?」
「真音!ここにいたら危ないわ!」
「んな事言ったって……」
ユキの言う通りだが、美紀を見捨てるわけにはいかない。
その時だった。高く上がった火柱の熱で、美紀の手足を縛っていたロープが切れ、十字架にぶら下がっている。
「いや…………助けて………如月君ーーっ!!」
根本に亀裂の入った十字架は、美紀がぶら下がった事によって少しずつ傾き出した。
「どうしたらいいんだっ!?どうしたら……………」
視界から消えて行く美紀をただ見ているしかない。もどかしい気持ちが欝陶しいくらいに纏わり付く。
そして真音は、
「クソッたれっ!!」
火柱の隙間を縫い、走り出した。
「真音!!」
ユキの声に振り返りもせず、一心不乱に走る。距離はたった数メートル。
だが、十字架は真音を待たずに折れた。
「嫌アアアアアアッーーーー!!!」
倒れる十字架から美紀は手を離し、ビルの裏、海側へ落ちていく。
「赤木ーーっ!!」
どうにかなるなんて思わなかった。何の考えもなく走り出しただけだった。
スローモーションで美紀が落ちていく。まだ間に合う。そう思って真音はダイブした。
「き………如月君………!!」
「へへ………間に合ったな」
真音の手が美紀の腕を掴んでいた。美紀はビルからぶら下がってはいるが、まだ生きてる。
「待ってろよ………今引き上げてやる」
美紀の腕を掴んだまま、ゆっくりと体勢を整える。
「ぐあっ………!」
しかし、ダイブした時に打った右肘に激痛が走り、危うく手を離しそうになった。
「とことん追い詰める気かよ………」
神様を恨む。悪い奴らを倒しに来ただけなのに、何一つ都合のいい事が起こらない。
左手は身体を持って行かれないように、僅かなコンクリートの突起物を掴んでいるし、これ以上はどうにも出来ない。
「如月君………血が出てる……」
右肘は深く切れ、かなりの流血がある。
真音の血が、真音の腕から美紀の腕へと伝い落ちる。
苦悶の表情を浮かべながら、必死に自分を引き上げようとする真音の姿が痛い。
「もういいよ………離して……」
「何バカ言ってんだ………離せるわけないだろ………」
「だって………」
「もう誰にも死んで欲しくないんだよ!」
肘からちぎれそうになる腕。ダメかもしれない。そう思った時、真音の脇から美紀の腕を掴む手が伸びる。
「ユキ!」
「いい迷惑なんだから。後でケーキ10個よ」
ユキが真音に言うと、
「その話乗った!」
「トーマス!!」
トーマスと、
「私はモンブランでお願いするわ」
「エメラ!!」
エメラがいて、美紀のもう片方の腕を掴んだ。
「さあ、一気に引き上げるぞ!」
トーマスが掛け声を描けると、一斉に美紀を引き上げた。
しかし、不運は更に真音達を襲う。
爆発が足元で起き、ビルが崩れ落ちる。
「嘘だろ……!!」
トーマスは踏ん張りが利かず、投げ出された。それに続くように真音達も。
急降下。もはやどうする事も出来ない。ただ地面に激突するのを待つのみ。
「キャアァァァァァッ!!」
「うわあぁぁぁぁっ!!」
全員が叫びながら落下してると、突然、落下速度が落ちた。
「間一髪だったな」
「二ノ宮さん!!」
真音達の前に、翼を広げた二ノ宮がいた。いや、広げたというよりは身につけた?銀髪で、天使とはお世辞にも言えない顔付きだが、それでも優しく微笑んでいた。
『セイイチ!上!』
ディボルトしたロザリアが訴える。瓦礫が落下して来たのだ。
「心配するな。わかってる」
そう言ってテレポートして瓦礫をかわすと、全員いつの間にかビルから離れた場所にいた。
「どうやら全員無事みたいだな」
二ノ宮はディボルトを解いた。
「ふぅ〜………死ぬかと思ったぜ」
トーマスはへたれ込む。緊張の糸が切れたようだ。
「たいしたもんね。人間じゃないみたい」
ユキが皮肉たっぷりに二ノ宮に言ったが、二ノ宮の姿は元に戻っている。
「言ったろ、望んだようになるのさ。それがガーディアン・ガールの力だ」
二ノ宮はロザリアの頭を撫でて言った。
「赤木、大丈夫か?」
真音はというと、美紀の肩を掴んで案じていた。
「うん。私………鈴木さんに…………」
「その事は後だ。二ノ宮さん、早くここから避難しましょう」
詳しくは聞いてないが、二ノ宮の余裕を見てれば、レジスタンスが壊滅、自分達もとりあえず役目を終えたのだとわかる。
「まあ慌てるな。じきに眠れる獅子が来る。それまでは少し休憩だ」
「手回しがいいのね」
エメラにまで皮肉を言われる始末だ。
「時間がないんだよ。博士も動き出してるし、一刻も早くマスターブレーンの破壊をしたい。こんなところで一秒足りとも無駄にはしたくないんだ」
「その口振りだとマスターブレーンの場所………わかってるのね?」
「帰ったら話すよ」
二ノ宮はエメラに攻められそうになるのを察して、一応終わりにした。
「セイイチ、リオって女の事も話してよ」
ロザリアはそれだけらしい。
「わかったって……はぁ」
「何その溜め息」
「いや………なんでもない」
二人のやり取りに全員が耐え切れず吹き出した。何の話かはわからなくても、雰囲気でなんとなく想像出来た。とくに、ロザリアの態度はジェラシー以外の何物でもない。
そして、レジスタンスのビルが激しい炎に包まれ崩壊して行く。
一先ず、戦いが終結したのだ。レジスタンスは壊滅、呆気なかったと言えば呆気なかったが、濃密な戦いだったと誰もが思っていた。
「真音、すまない。李の奴…………」
トーマスは李を助けてやれなかった事を告げた。
「君のせいじゃないよトーマス」
「……………サンキュ」
何かに怯えていた李奨劉。真音もトーマスも、闇に落ちていく李を本気で想っていた事は確かだ。結果はどうあれ、その想いはまだ燻っていた。
「それに俺だって…………」
真音はめぐみを殺してしまった事を、美紀に伝えるか悩んだが、今は何も言わないでおこうと決めた。
「でもなんで急に爆発なんかしたのかな?」
ロザリアが言った。どうやら二ノ宮の仕業でもないらしい。
そう思った時だった、ロザリアが目を見開いて口を開けたまま動きを止めた。
「ロザリア?」
二ノ宮だけでなく、一瞬何が起きたのか誰にもわからなかった。それがわかったのはほんの十秒程度。ロザリアは両膝を地面に着き、前のめりになる。
「お、おい!」
二ノ宮はロザリアを受け止めた。だが、次には凍り付いた。ロザリアの背中に矢が刺さっていたのだ。
「セ………………セイイチ……………」
苦しそうに震えるロザリアの後ろの方に、
「あっははははは!!誰も生きて返すものかぁっ!!」
めぐみが弓を手に立っていた。
「鈴木!!!」
真音も慌てて弓を構える。
「どいつもこいつも………憎たらしい奴らだ。死に損ないめ!!」
めぐみにかつての美少女の面影はない。憎しみや怒りで歪んだ顔付きになっている。
「貴様ァ………よくもロザリアを!!」
「黙れッ!!!お前らさえいなければ、如月や他の選定者達なんてどうとでも出来たんだ!!そう………お前らさえいなければなっ!!」
めぐみは二ノ宮を睨んだ。
「あのリオって女もそうだ!憎らしい…………私の邪魔ばかりして!」
大きな手振りで怒りを表現する。
「鈴木さん…………」
美紀は、豹変した同級生に困惑の色を隠せない。
めぐみは弓を構え、矢を引く。
「鈴木!止せ!もう終わったんだ!!」
「如月………終わっただって?フン、終わってなどいるものか!お前らを殺さない限り終わらないんだよ!せっかくビルを爆破させたのに………誰ひとり死んでないなんて!!!どこまで私を虚仮にするんだっ!!」
「ビルを爆破させたの鈴木だったのか………」
「まずはお前からだ!如月っ!!」
目一杯引いた弦が矢を放つ。
ディボルトしていない真音はただの人間。簡単に殺せると読んだはずだった。
「真音!」
ユキは機敏な動作で真音とディボルトする。
めぐみの手元から矢が放たれ、真音に届くまで数秒。その僅かな間にディボルトを済ませ、
「今度は………仕留める!!」
真音は光の矢を弾いた。
勝敗は明らか。物体として存在するめぐみの放った矢よりも、光の粒子で形成される真音の放った矢の方が断然強い。
光の矢は、めぐみの放った矢を灰にしてめぐみの喉に刺さる。
「くほっ………がはっ………」
よたよたと血を吐き出しながらよろける。
「は………はは………私は…………負け………ない……」
めぐみが携帯電話を取り出しキーを押す。それは自爆のボタン。どこかにダイナマイトでも仕込んでいたのか、めぐみは爆発して姿を消した。
一部始終を誰もが黙って見届けた。
「ロザリアッ!!しっかりしろっ!!」
二ノ宮の声に全員が振り返る。
まだ背中に矢を刺したまま、二ノ宮の腕の中にロザリアはいる。
「…………セイイチ…………」
「喋るな!大丈夫だ、助かるから気をしっかり持て!」
決して確信のあるセリフではなかった。むしろ気休めに過ぎない。いや、気休めにもならない事は、ロザリアが一番わかっていた。
「ううん…………もう………ダメ………かなぁ……」
「何をバカな事を…………」
弱々しく力を無くしたロザリアの手を握る。
「ゴメンね…………また…一人ぼっちにさせちゃう………」
涙を浮かべて二ノ宮を案じる姿は、健気でせつない。
「言うな。俺にはお前が必要なんだ。だから………」
「嬉しい…………ありがとう………」
「ロザリア………頼む、弱気にならないでくれ」
ロザリアが弱気になればなるほど、それは死期が近付いて来るという事。受け入れられるわけがない。
「私…………幸せ……だったよ………」
「もういい。頼むから………頼むから何も話さないでくれ」
ロザリアは首を横に振り、
「きっと………また会えるよね……?今度は……ガーディアン・ガールじゃなくて…………普通の女として………」
「ガーディアンだろうとなんだろうと、お前はお前だよ………ロザリア」
その言葉に、ロザリアは微笑んだ。
「よかった…………」
二ノ宮の手を水のように擦り抜けるロザリアの手。
「ロザリア…………?」
真音達は何も言わずにただ………ただじっと見守った。
「ロザリア…………ロザリアぁーーーーーーーッ!!!!!!!!!」
しっかりと抱きしめた二ノ宮。
もうその声に反応する事はなかった。