第百七十七話 これまでとこれから 後編
「小さな聖骨騎士様ですか? あら? 御見送りの前には馬車のそばで踊ってらしたのですが……」
申し訳なさそうにうなだれるシュラーに、吾輩は気にするなと手を持ち上げて伝える。
ここでも一歩、遅かったようだ。
空振りに終わることは予想していたが、これほど捕まらないとなるとほぼ確実だな。
どうやら吾輩の分身は、ふたたび何かを企んでいるようだ。
人目につくように転々と移動しているのは、わざとらしい時間稼ぎであろう。
これは早急に見つけ出さんと、また厄介なことになりかねんぞ。
指骨をカチッと弾くと、教会の屋根にとまっていたカラスどもが軽やかに吾輩の両肩に舞い降りてくる。
『フー、ムー、至急、吾輩の分身を探し出してくれ。最後の目撃証言はこの辺りだ』
「ギャッギャ」
「ギャー」
返事をした二羽は、翼をはためかせて飛び立った。
そのまま鐘塔をくるりと一回転してから、二手に分かれて捜索に向かう。
さて、吾輩は最初の地点で待機するとするか。
黒棺様の待つ洞窟へ向かった吾輩は、人だかりを抜けて畑の小道に足を踏み入れた。
その後ろには、なぜか祭服姿のシュラーがついてくる。
『良いのか? 教会を空にして』
「ええ、お手伝いの方がしっかりしてくれてますから」
あぜ道を進む吾輩らに作業中の農夫たちが気付き、帽子や手ぬぐいを脱いで挨拶してくる。
白い服の組み合わせが目立つのか、かなり遠くの方でも深々と頭を下げる姿が見えた。
「素晴らしいですね。……聖骨騎士様」
『ああ、実りは順調のようだな。これなら収穫もかなり期待できるだろう』
腐葉土を埋め込んだせいで、今年はいつもよりも麦の出来栄えが良いらしい。
村長も穂がズッシリ重いと喜んでいたな。
「いえ、素晴らしいと思ったのは、作物の出来だけではありません。見てください、皆さんの顔」
『ああ、結構、日焼けしてるな。日差しが強くなってきたせいか』
「ふふ、違いますよ。そうではなく、誰もが心からの笑顔になってます」
『それは良いことなのか?』
吾輩の問い掛けに、教母は何も言わず振り返った。
不意の強い春風に、金の稲穂がさざなみのように揺れる。
その向こうには石造りの建物が、ずらりと立ち並んでいる光景が見えた。
「はい、とても良いことですよ。…………御使い様」
こちらへ向き直ったシュラーは、どこか吹っ切れたような顔になっていた。
「やはり、こちらの呼び方のほうがしっくりきますね。ええ、誰が何を疑おうとも私にとって御使い様であることには――あら?」
『親子とは似てくるものなのだな。前にも同じような言葉を聞いたぞ』
指摘の言葉を聞いたシュラーは、乙女のような笑顔を浮かべてみせた。
その顔も娘とよく似ているな。
森のすぐ際を歩きながら、教母は着いてきた理由を静かに明かし始めた。
「…………とても迷ったのですが、隠しておくのは苦手なので報告させて頂きますね」
前々から気になっていた吾輩たちの頭骨の紋章。
これが古い書物の中の記述と一致したというのが、シュラーの打ち明けた内容であった。
『"欲の獣"か……。大層な話になってきたな。それで、そいつらは一体、どんなモノなのだ?』
「詳しくは名状されておりません。とても強大で危うい存在であったとしか」
『なぜそんなモノを放ったのか、理由が気になるな。他の生き物を襲ったりしたのか?』
「それはありませんね。創世の母神によって、私たちがこの地に生まれ落ちたのは、獣が封じられてからですので」
『なら、余計に目的が分からんな。封じるのであれば、最初から自由にせずとも良かろう』
「諸説がありますが、一番有力なのは神性を得るために、不要な"欲"を切り離したのではないかと言われてますね」
ふむ、我欲や煩悩を捨てるというのは、よくある話だな。
それが巡り巡って吾輩たちの源になっているとは、おかしな話でもある。
ただ考えてみれば、下僕骨たちは魂を再利用して生み出される。
ならば封じられた力を地の底から引っ張り出して流用するのも、似たようなやり方なのかもしれんな。
「そんなわけですが、心当たりがございましたら、正直に教えて頂くと助かります」
『そう言われても、吾輩たちも初耳でサッパリ見当もつかん。むしろ、その辺りの文献をもっと調べてほしいところだぞ』
「はい、そう仰られると思っておりました。ですが今回の書物の閲覧に関しては、司教様の手助けがあってこそでして」
創聖教会の蔵書に関しては、叙階の高さが深く関係しているらしい。
重要かつ貴重な本をたくさん読むには、最低でも司祭以上になる必要があるのだとか。
そして叙階を上げるもっとも確実な方法であるが、信徒を増やす、つまり村の人口を増やすのが一番手っ取り早いと。
分かりやすく整理すると、吾輩たちの正体を知りたければ、村をもっと発展させろということである。
『ふむ、要するに今までと同じかそれ以上に、村へ貢献しろというわけか』
吾輩が言い切ると、シュラーは意味ありげにニッコリと微笑んだ。
そして顔を逸らすと、人差し指の先を合わせて擦る仕草を見せる。
「それでですが……。そのぅ……。お願いが一つありまして」
『なんだ?』
「実はエイサン様とも相談したのですが、夏頃までに是非作って頂きたい施設が……」
このところ村でよく見かける変化として、腹が膨らみかけの女が増えたというのがある。
豚鬼どもも子供が出来たと喜んでいたしな。
どうも蒸し風呂辺りが、着実に成果を上げてくれたようだ。
シュラーの要望は、その出産用の場所を用意してほしいというものだった。
本来なら創聖教会の領分なのだが、酒場と宿屋を兼任している状況では難しいらしい。
確かに出産向きの環境ではないな。
『なら各個人の家で、産めば良いのではないか?』
「ふぇっふぇ、それでもよろしいのですが、お産は何かと危のうございますからのう」
喋っているうちに、薬師の家のそばまで来ていたようだ。
水やりをしていた耳聡い老婆が、垣根越しに吾輩らの会話に口を挟んでくる。
「はい。出来れば母子ともに手助けできる場所があれば、助かる生命が確実に増えると思われますので」
『ふむ、出産の補助と治療を兼ねた建物が欲しいというわけか』
作りかけや予定にある建築物を思い出しながら、優先順位や必要な建材、人材を計算する。
革職人の建物に水車と火炉施設、騎士団の本営もあったな。
歯音を詰まらせる吾輩に、エイサン婆は言葉を続ける。
「お悩みでしたら、わしのこの家をお使い下され」
『ああ、そうか。ここも建て替える約束をしていたな……』
「それにこの場所でしたら、何かと近うございますからのう」
『うーむ、そう考えると便利ではあるな。よし、何とかしてやるか』
吾輩の返事に、シュラーはパァッと明るい表情に変わる。
こいつも随分と感情の表し方が豊かになったな。
「ありがとうございます! 御使い様」
「ふぇっふぇ、良かったですのう、教母様」
『ただし龍の雨季が終わるまでは着工出来んから、少しばかりの遅れは覚悟しておけよ』
なんだか上手い感じに、乗せられた気もしないではないな。
とはいえ死産なんかで魂の取りこぼしがあれば、勿体ないのも事実だ。
あの大木の側なら、ギリギリで黒棺様の領域になるからな。
仕事に戻る二人と分かれ、早速、吾輩は建設予定地の下見に向かう。
太い幹が見える位置まで近付くと、口々に騒ぐ声が頭骨に響いてきた。
「倒せ!」
「たおすー!」
「まだまだだよ!」
「にげろー!」
「まってー」
笑い声を上げながら丸太の杭の上を飛び跳ねるのは、双子とニルに小ニーナだ。
その近くではロクちゃんが、幼児たちの追いかけっこを見守っている。
…………最近は本当にいつ見ても、元気に遊んでいるな。
だがよく見ると前までは動きの鈍かったはずのニルが、ヒョイヒョイと地面に足をつけずに杭を渡っていた。
逃げる双子や小ニーナも前なら届かなかった高さの杭まで、平然と飛び上がってみせる。
おお、ちゃんと上達しているな。
「倒す?」
「あ、だんちょだ!」
「どうしたのー?」
「だんちょ!」
「こんにちは、団長様」
吾輩に気付いたロクちゃんが歯音を上げると、子供たちも気付いて一斉に挨拶してくる。
「あ、聖骨様、こんにちは」
「違うよ、お兄ちゃん、聖骨騎士様だよ」
「…………こんにちは」
ブランコで遊んでいた職人組の子供たちも、朗らかに声を上げてきた。
『おや、アルとロナは居ないのか?』
「お姉ちゃんはアル兄ちゃんと、しゅぎょうの旅にでたよ」
「なかよしさんだよ」
「たおした!」
「兄ちゃんたちなら、あっちへ行きましたよ」
洞窟の方角をおずおずと指差すニル。
ふむ、ニーナに剣の稽古でも付けて貰いにいったのか。
『そうか、邪魔をして悪かったな。そうそう、母親が探していたぞ。手伝いがまだとか言っていたな』
「き、きこえないー」
「このとっくんが終わったら、ちゃんとやるよ!」
一瞬だけ耳を塞ぐふりをした双子たちは、またも丸太に飛びついてよじ登りだした。
羽耳族の子とニルも、懸命にその後に続く。
しょうがないチビ助どもだな。
『お前たちは、まだ戻らなくて良いのか?』
「もうちょっとブランコしてからー!」
「えっと、妹が飽きたら帰ります」
『そのブランコを、相当気に入ったようだな』
昨日も皆の前で告白していたな。
我輩の指摘に互いの顔を見合った子供たちは、一斉に顔を綻ばせた。
「うん、これ大好き! この村に引っ越してきて本当に良かったって思う」
「僕は王都も結構、好きだったけど、ここも凄く好きです」
「…………うん、毎日楽しい」
『そうか』
またも不思議な可笑しさが込み上げてきた吾輩は、小さく歯を鳴らしながら大樹を後にした。
その足で洞窟に向かう。
ポッカリと暗く開ける洞窟の前に居たのは、少年と少女の二人だけであった。
木剣を素振りするアルを、ロナが楽しそうに見守っている。
「こんにちは、御使い様」
「師匠、こんにちは!」
軽く頷いて挨拶を受け取った吾輩は、空を見上げ鳥の影を探した。
まだ分身は見つからないようだな。
「良い天気ですね」
空模様を見ていると勘違いしたのか、ロナが弾んだ声で話しかけてくる。
今日の空はのっぺりとした青一色で、全くメリハリがない。
『良い天気なのか?』
「ええ、たぶん。晴れすぎていないし、曇りすぎてもいないですから」
穏やかという形容詞が、不意に吾輩の頭骨に浮かぶ。
『こんな空がずっと続けば良いと思うか?』
吾輩の問い掛けに、ロナは首を傾げて考え込む。
素振りを止めたアルも、息を整えながら吾輩へ向き直った。
そして口々に答えを述べる。
「いいえ、ずっと一緒だったら絶対に退屈しちゃうと思います」
「はい、ずっと春だったら良いですね」
二人は視線を交わしたあと、一斉に自論を主張し始める。
雨がずっと降らないと困るじゃないとか、風が強すぎたら麦穂が倒れるよなど。
仲良く口論する少年と少女を眺めながら、吾輩はそろそろこの湧き上がる情動を認めるべきだと考えていた。
バカ正直で懸命に働くかと思えば、時にしたたかで図太い大人ども。
無邪気で考えなしかと思えば、時に奇妙な発想を思いつく子供たち。
そう、この一年ほど村人らを観察していて気付いてしまった。
人間は意外と、興味深い対象でもあるなと。
色々と言い訳をしてきたが、人間どもを増やしてみたくなったのは、それが一番の理由だったのかもしれない。
そしてもう一つ。
実は先ほど"欲の獣"という単語を聞いた時から、ある言葉が思い出されて吾輩の頭骨内から離れようとしない。
それは吾輩が生み出されたときに、聞こえてきた誰かの声。
魂を――。
数多の魂を捧げよ――。
魂を集め、世界を――。
ひたすら魂を集めることは、黒棺様の命令ではある。
だが魂を集めた先、そこに待っているモノは何であろうか。
皆目、見当もつかない。
しかし骨の知らせのようなモノはある。
人間どもはきっとその時、必要になるに違いないと。
「何かおかしいですか? 御使い様」
「師匠が笑ってるなんて、凄く珍しいですね」
『……たまには良いだろう。ところで、ロナ、その髪飾りは中々似合っているぞ』
貝殻に似せた白い髪留めを褒めた瞬間、ロナは顔を真っ赤に染めてうつむいた。
同時にアルがしてやられたといった顔で、吾輩を見上げてくる。
やはり見ていて飽きないな。
「ギャッス!」
唐突に舞い降りてきた二羽のカラスが、吾輩の両肩を強く掴んだ。
そのくちばしからは、一本の白く長い毛がぶら下がっている。
『戻ったか、お前ら。……ふむ、これは手がかりのようだが。うーむ、こんな長い白髪の持ち主なぞ居たか?』
「あ、これって馬の毛じゃないでしょうか?」
『どこかで見覚えがあると思ったら、釣り糸で使っていた奴か。だが白い馬には心当たりがない――』
いや、白馬ばかりが繋がれた馬車を、昨日見たばかりだったな。
『まさか、教会の馬車に何かあったのか?』
「ギャッギャ」
「あ、御使い様、すみません。これをお渡しするのを忘れておりました」
ロナが慌てた顔で手紙を差し出してくる。
「ここに届けて欲しいって言われてたんです」
『誰にだ?』
「小さな御使い様です」
思わず下顎骨を開きながら、急いで手紙を開封する。
そこに書かれていたのは――。
『ちょっと王都見学してくる。後は任せた』
という一文であった。
おい、まさか!
ここまでお読み頂き有難うございます。
骨たちの一年間の暮らしぶりは如何でしたでしょうか?
もともとこの話は途中で何回か切りながら、続ける予定でございました。
村もどんどん世代が変わっていくお話ですので。
次回は村から町へ発展していく二年目の生活が描かれることとなります。
えっ? だんじょん? 最近、少し耳が遠くなってきた気がします。
では、軽い次回予告的な物を。
「ふぅ、パパは今日もお仕事頑張ったぞー、リン」
「お帰りなさい、パパ。ねぇ見て、新しいお友達が増えたのよ」
『ガッガ、今日からよろしく頼むぞ、パパ』
フレモリ商会に転がり込んだ道化師が巻き起こす騒動とは?
「どれ、軽く遊ばせてもらおうか、弟者よ」
「盾の借りも返してもらおうぞ、兄者」
『どっからでも掛かってくると良いっす! 俺っちが一番だと思い知らせてやるっすよ!』
結成したての聖骨騎士団に、早くも降りかかる火種!
「初めまして、聖なる骨の方々。不詳の兄がとんだご迷惑をおかけしたようで」
『ちょうど良い、小腹が空いてたんで助かったぜ』
「いえいえ、喜んで頂けて幸いです」
とうとう姿を現した子爵家の黒幕との行き詰まる交渉。
『倒す?』
『ふぁ~。眠いから後にして~』
「首主様はお疲れのご様子なので、私が代わりにご説明いたしましょう」
満を持して登場する六体目の変革者、その驚きの姿とは?
『吾輩先輩、見てください、アイツの眼!』
『一つ潰れているな。まさか!』
「プシュー(糸を吐く音)」
そしてついに明らかになる黒樹林の真実。
『馬鹿な……。下僕骨がひとりでに崩れ落ちただと…………』
まだまだ終わりそうにない災難の数々!
進化する骨たちを描く『骨々だんじょん 成長中!』鋭意製作中。
※次回作連載時にはここに追話しますので、ブックマークはそのままにして頂けると、分かりやすいかもしれません。
※先に進めたいお話が二つほどございますので、次作はそちらが終わってからとなります。




