第百七十五話 教会の夕食会
ノルヴィート男爵家の次男に生まれたデロンは、基本的に小難しい話には興味がない。
彼の興味を引くものは、食べること。
趣味は食べ歩き。
そして仕事も、また食べることであった。
といっても、この場合は作ることも含まれていたりするが。
彼の外交的な役割は、こんな感じである。
父親が機嫌を取りたかったり不始末を詫びる相手のところへ、代わりに赴き料理を作りもてなす。
それだけだ。
なんとも馬鹿らしく思えるが、これが案外上手く行ったりもする。
たいていの人間は、いきなり食事を作らせてほしいという訳のわからない話に戸惑ってしまう。
毒を盛られたり、裏話があるのではと疑うものだ。
だが用心しながら迎え入れると、ニコニコと笑う太った男が普通に飯を作ってくれて、ただ一緒に食うだけでなのである。
そこで、ほとんどの人間は拍子抜けしてしまう。
そうなると、あとは簡単である。
他意が欠片もないおおらかな性格の男と、たわいもない話をしながらゆっくり料理を味わう。
これで不思議とその後の話が、何とかなってしまうのだ。
もっともデロン本人には、政治的な意図は一切ない。
ただ美味しい食事を作り、一緒に食べようというだけである。
その他人には容易く真似の出来ない働きぶり故、この呑気な次男坊は男爵家において大変重宝されていた。
「本日の晩餐会の出席者は、まず創聖教会から司教を筆頭に五人。村の方からは村長と教母の御家族六人。こちらからは騎士様四人で合わせて……」
「えっと、十五人ですね。あれ~、子爵家の方は食べないんですか~?」
デロンのお付きであるラッチナ司祭が、おっとりと首を傾ける。
彼女は男爵家に仕える教母の一人であり、デロンを公私にわたって支える存在でもあった。
短い茶髪を小さなおさげに編んで左右に垂らした、ふくよかな体つきをした女性である。
対するデロンも母親似のせいで、アクの強い父とは似ても似つかぬ穏やかな顔立ちをしている。
傍から見ると、とてもよく似た者同士の組み合わせとも言えた。
「サリークル君、なんか昼前に帰っちゃったみたいなんだよ」
「それは残念ですね~。ヘレナともゆっくりお話したかったです」
「うーん、お腹でも痛かったのかな。せっかく、今日は誘ってくれたのにね」
腹が痛ければお付きの教母に治療してもらえれば済むのだが、そういったことに気付かぬまま二人の会話は進んでいく。
「勿体ないですね。わざわざ騎士の方も一緒にどうぞって言われたんでしたっけ~?」
「ファルガスさんたちはお願いしなくても、僕がご飯を作る時はなぜかいつも付いてくるけどね」
「仲良しさんですね~」
微妙に噛み合わない会話を続けながら、二人は厨房の作業台に置かれた材料を入念に調べていく。
「春野菜は赤根人参と青豆か。それと丸芋。お、豚の脂身がこんなに。こっちから持ってきたのは、いつもの赤イチジクに、山羊乳とチーズ、玉ねぎと干し杏が少しか。む、これは……、何の燻製肉かな?」
「珍しい色をしてますね~?」
青味がかった肉を前にして興味津々で質問を投げかけてきた二人に対し、教会で下働きをしている元農奴の女性は喉を詰まらせる。
彼女の人生において貴族と名がつく人間から直に話しかけられたのは、これが初めてであったからだ。
「あ、あの、その、えっと……、う、馬の肉だと聞いております」
「馬! 馬を食べるの?」
「あ、いえ、か、川から、で、出てくる馬だと……」
「もしかして水棲馬~?」
ブンブンと縦に首を振る女性を前に、教母ラッチナは嬉しそうに頷く。
「なるほど、だからこの色なのか。うちのとこじゃ狩らないからねぇ。うん、美味い!」
「これ、少し癖があるのが、逆に良いですね~」
肉の端っこを削ぎ取って味見をした二人は、口々に感想を述べながら切れ端を下働きの女性にも差し出す。
「――えっ?」
「ほらほら、君もどうぞ」
「私たちだけ食べるのはズルいですからね~」
二人に促された女性は恐る恐る手を伸ばして、受け取った肉を口に運ぶ。
「どうかな?」
「お、おいしいです」
「もしかして、苦手だった~?」
「申し訳ありません。あまり食べ慣れてないので……」
その返答に二人は顔を見合わせた。
出張して料理を作る際、デロンたちは堅く決めていることがあった。
一つ目は出来るだけ、現地の素材に拘ること。
そしてもう一つは、それを食べ慣れている住民の声をしっかりと聞くことだ。
「この人参と丸芋はどうやって食べてるの?」
「それは一緒に煮込んで、塩を入れて食べます」
「豆も?」
「青豆はよく潰して、粥にして食べますね。その……、あまり味がありませんから」
馬の燻製肉を口にしたことを咎められなかった女性は、安堵の息を吐いて質問に答え始めた。
「肉はあんまり食べないの~?」
「お肉ですか? それなら――」
その瞬間、勝手口が開き、禿頭の壮年の男性が顔を覗かせた。
デロンたちの姿を見て、しゃちこ張った表情で近付いてくる。
「ざ、材料をお持ちしやした、男爵閣下」
「閣下は勘弁してほしいな、厨房長。僕は穀潰しの息子でしかないしね。普通に名前を呼んでくれれば良いよ。で、何を持ってきてくれたの?」
「は、はい! 聖骨騎士団からのお届け物です、デロン様」
厨房長が持ち上げたのは血抜きを済ませたトカゲ三匹と、カゴ一杯に詰め込まれた巨大なキノコであった。
それともう一つ、甘い匂いがする手桶も。
「これはこれは。うん! こういうのを待ってたんだ。来た甲斐があったよ」
「トカゲを食べるのは初めてですね~。こんな大きなキノコもですけど」
「普段はどうやって食べてるの?」
「トカゲは焼いても美味いですが、蒸すのも多いですね。全体的にあっさりした味ですな」
「あ、足とか尻尾は、野菜とまるごと煮込むと、味がしみて凄く美味しいですよ」
普段はほとんど喋らない下働きの女の発言に、厨房長は思わず目を見張る。
しかし来客の二人は、気にする素振りもなく話を振ってきた。
「なるほど、骨か。それは良いことを聞いたな。厨房長、手伝ってくれるかな」
「どうするおつもりで?」
「外した骨を炒めてから、玉ねぎと葡萄酒に漬け込んでおこう。きっと、素晴らしいソースになるよ」
デロンたちが歓迎されるのは、こういった点も大きい。
王都の有名な料理屋や、宮廷の厨房に足繁く通い、そこで仕入れた料理法を惜しげもなく披露するのだ。
皆の料理技術が向上すれば、次に来た時にもっと美味しいものが食べられる。
それが男爵家の食いしん坊の持論であった。
「では、私たちは前菜を考えましょう~」
「えっ! 私もですか?」
「はい、もちろんですよ~」
太った二人組の料理人によって、厨房はいつの間にか和気あいあいとした雰囲気へと変わっていった。
その夜。
テーブルを囲み母神への祈りを済ませた列席者に、次々と料理が運ばれてくる。
白いナプキンを首に巻いた双子たちは、最初の料理を見て素っ頓狂な叫びを上げた。
「え、これっぽっちだけ!」
「二口でおわっちゃうよ!」
「大丈夫よ、貴方たち。これは前菜と言って、主菜はこの後に運ばれてくるのよ」
ナリーバ司教の言葉に、双子は安心したように席に座りなおす。
その横の席の髭面の大男が、同意するように深く頷いた。
「うんうん、これは一口だよな。おチビちゃんが嘆くのもよく分かるぜ、兄者」
「うむ、いつも思うのだが、先に肉をドンッと出してほしいよな、弟者」
「もう、説明の前に食べないでくださいよ。これは茹でた人参を、薄く削いだ水棲場の燻製肉で巻いたものです。林檎酢と松の実の油が掛かってますから、そのままお召し上がり下さい」
テーブルのあちこちで、食器が擦れる音と感嘆の声が上がる。
「思ったよりもサッパリしてるわね。それに赤と青の彩りも素敵」
「燻製肉は意外とクセがあったので、臭み消しとして内側に大葉も一緒に巻いてあります」
「すっぱいけどおいしい!」
「うん、もっと食べたいね」
全員が食べ終わる頃に、新たな皿が運び込まれた。
「あ、スープだ」
「こちらは丸芋と山羊乳のスープとなります」
「おいも、入ってないよ?」
「茹でたあとに全部裏ごし、しちゃったからね」
「これも随分と飲みやすいですね。驚きました」
次の一品は、人目を引く一皿だった。
深めの皿にはゴロゴロした肉団子が転がり、その周りを真っ赤なスープが囲んでいる。
「トカゲの挽肉団子を豚脂で揚げてから、戻した乾燥赤イチジクと青豆で煮込みました。少し青辛子が入ってますので、苦手な人は気をつけて下さい。あ、子供のお皿には元から入れてないので安心して食べてね」
「これはピリッとして大変、美味しいですな。トカゲにこんな料理法があったのか……」
「ええ、素晴らしい料理ですね」
「そうだな、麦酒が猛烈に欲しくなるぞ」
「我慢してください、ダンド様。ここで酔われたら洒落になりませんよ」
フゥフゥと冷ましながら、ロナ姉妹とアル兄弟は無言で口に料理を運ぶ。
子どもたちは、随分と気に入ったようだ。
全員が食べ切ったのを見計らって、教母ラッチナと下働きの女性が湯気の上がる皿をテーブルに並べる。
大きめの皿に載せられていたのは、分厚く切られた肉のようなものに茶色のソースがかかっていた。
「はい、お待ちかねの主菜ですよ~。たんと召し上がれ~」
「ほっほう、やっと肉が来たぜ! 兄者」
「む、これは何だ……? 少し変わった味わいだが、この噛み心地は病み付きになるな」
「それ、実はキノコなんですよ」
いきなりのデロンの種明かしに、テーブルを囲む面々から驚きの声が漏れる。
「本当か? 言われてみても、そうとは思えんぞ」
「ここでしか採れない珍しい大キノコだそうです」
その言葉に、アルがビックリして反論する。
「でも、いつも食べてるのとは全然、歯応えが違いますよ」
「……うん、もっと硬いよね」
「ええ、それは厨房長に伺ってますよ。なのでこの村らしい工夫を凝らしてみたんです」
「僕らの村ですか?」
首をひねる少年に、気さくな男爵家の息子は両手を軽く広げてみせた。
「この村に来て大変驚きましたよ。うちの領都でも珍しい角石を敷き詰めた道や建物がズラリ。普通の村ではまず、あり得ない光景です。さらに豪華な蒸し風呂に、自由に使えるパン焼き窯まで!」
グルリとテーブルを見渡しながら、料理人は言葉を続けた。
「やはり人間は清潔な身なりで、たっぷりご飯を食べれば、こんな素晴らしい村を作れるんだと実感しましたよ。おっと、話がずれてしまいましたね。そうそう、それで蒸し風呂とパン焼き窯のセットを思い出して閃いたんです。そうか、一度蒸してから焼けば良いんだって」
「ああ、それでこんな噛みやすい歯応えになったんですね」
「上にかかってるのもおいしいよ!」
「チーズが中に挟んであったのも、すごく良いよ!」
「そのソースは厨房長の力作ですよ。あとで褒めてあげて下さいね」
にっこり微笑むデロンは、静かに最後の皿を置く。
「デザートの焼き桃です。まだ少し青かったので、種をくり抜いた場所に糖蜜を詰めて窯で焼き上げました」
「あまぁい!」
「熱々でおいしぃい!」
「晩餐会のメニューは以上ですが、お酒とツマミはまだまだ用意してあります。ごゆっくり、楽しんで下いってさい」
その夜、教会の灯りは深夜遅くまで消えることはなかった。