第百七十二話 告発の行方
真っ先に動いたのは、最前列の騎士たちだった。
革長靴に潜ませていた短剣を構えながら、主人である太った男をかばうように取り囲む。
この反応の早さはなかなかだな。
二呼吸ほどおいて、ようやく誰かの押し殺した悲鳴が上がった。
驚きと怯えの混じった声が、さざなみのように人混みに広がっていく。
騒動が起こる予兆に気付いたのか、村長とダルトンが慌てて椅子を蹴る姿が見えた。
だがこの状況で声を張り上げたところで――。
次の瞬間、吾輩たちの上に降り注いだのは、重々しい鐘の音色であった。
タイミングよく鳴らされた教会の鐘に、膨れ上がっていた危うい空気が瞬く間にしぼむ。
うむ、これは良い判断だな。
水を浴びせられた犬のように、広場に集まった人間どもは身を縮こませたまま押し黙った。
ジリジリと不安げに吾輩らを見ているが、ひとまず大きな混乱は避けられたようだ。
顔を元の位置に戻すと、こちらを眺めるサリークルに視線が重なった。
平然とした顔付きであるが、吾輩はしっかりと確認済みである。
鐘が鳴る寸前、その育ちの良い顔に、一瞬だけ歪な笑いが浮かんでいたことを。
聴衆が静まり返ったのを見計らって、サリークルは再び口を開いた。
「やはり告発は本当だったようだな。なんと嘆かわしいことだ。この村がすでにおぞましい化け物どもに、乗っ取られていたとは」
「お待ち下さい! この方たちは化け物ではありません」
「そうだよ、骨さんは良い骨だよ」
「うん、とっても仲良しだよ」
シュラーの否定の言葉に、双子が声を合わせる。
いつの間にか子供たちは吾輩らの前に立ち、互いに手を繋ぎ合って壁を作っていた。
うむ、打ち合わせ通りだな。
その様子に殺気が削がれたのか、護衛の騎士どもは短剣を仕舞ってあっさりと席に座り直す。
守られていた男爵の次男坊だけが、一人状況を飲み込めずキョロキョロしていたが。
子供を味方に付けた構図で形勢が変わるかと思いきや、サリークルはわざとらしく口元を覆いながら声を震わせた。
「おお、無垢な幼子たちの魂にまで、穢れが進んでいるとは……これは、なんという有り様だ」
「穢れじゃありません! この方たちは村を救ってくれた御使い様なんです!」
少女が一歩前に出て声を荒げた。
それに対しサリークルは、心配げな口調で言葉を返す。
もっともその眼には、小馬鹿にしたような光がわずかに浮かんでいたが。
「残念だが、少女よ。君はそう思い込まされているだけなのだ。見ろ! これが穢れというモノの恐ろしさだ。化け物に操られている自覚さえないのだ」
「違います! 私たちはここに居たいから、居るんです。御使い様と一緒に……」
声を掠れさせるロナの姿やサリークルの堂々した言葉は、他の子供たちに影響を与えたようだ。
特に新参である鍛冶屋や大工の子らは、自分たちに注がれる視線の多さに耐えきれなかったのか、思わず繋いだ手を離してしまう。
そこにすかさず、サリークルが言葉を重ねてきた。
「ならば教母シュラーにお尋ねしたい。その骨の姿をした者たちは、本当に創世の母神の御使いなのかね?」
「それは――、その……」
言葉に詰まるシュラー。
確かに吾輩たちを、神の使いと言い張るのは無理があるな。
「おい」
「はい、創聖記によると母たる神の御使いは、神秘の楕円像か光輝く球体状であったとされてます。骸骨の姿であるとの記述は一切見当たりません」
サリークルの脇に控えていた祭服の女が、呼び掛けにスラスラと答える。
その答えに聴衆はまたもざわめき、吾輩たちへ猜疑の目を向けてきた。
これは一方的な蹂躙に近いな。
もう少し吾輩たちに肯定的な流れにならないと、流石に不味いか。
しかし吾輩たちのこれまでの苦労は、そう無駄ではなかったようだ。
疑いの視線を押し退けるように、吾輩たちを真っ直ぐに見つめてくる一団があった。
子爵のすぐ後ろの席を占める村人たちだ。
村人らは何も言わず、ただ吾輩たちを見守っていた。
自然と子供たちの視線がそちらに向き、気持ちが通じあったかのように互いに頷き合う。
子供らは再び強く手を握りあった。
「み、見た目なんかで判断しないで下さい。大事なのはそこじゃありません。御使い様が何をしてくれたかなんです」
「一緒に種まきした。あ、あと麦踏みも!」
「私、骨の人が作ってくれたブランコで遊ぶの大好き! ね、お兄ちゃん」
「川にも行ったな。あと凍った池で遊ぶのも最高だった! 焼き魚も美味かったな」
おい、遊んでばっかりじゃないか。
もっと他にも色々あっただろう。ほら、畑を広げたり建物作ってやったりとか。
口々に声を上げ始めた子供に対し、サリークルは軽く手を広げて肩をすくめてみせた。
「それが滅神の下僕の罠だと、なぜ気付かない。穢れた魂を地獄へ引きずり込むために、そうやって人を堕落させるのだ」
「地獄! 本当に地獄へ行けるだべか?!」
不意に盾に加わっていた元農奴の子が、大きな声を上げた。
サリークルはわずかに眉をひそめながら、その子の質問に答える。
「ああ、そうだとも。穢れた魂の行き先は、呪われた地の底の地獄しかない。お前たちには想像もつかない恐ろしい場所だ」
「おらの母ちゃんもそこに行ってるはずだべ! 母ちゃん、あんまり働けねぇから、いっつも地獄に落ちるぞって言われてたべ」
予想外の返しだったのだろうか、サリークルは一瞬、言葉に詰まる。
元農奴の子は気にした素振りもなく話し続けた。
「じゃあ、このまま死んだら母ちゃんに会えるんかな。だったら、おれはこの村がええ。腹いっぱい食えるし、新しい着物も貰ったし、ここは話に聞いていた空の上の国みたいなとこだべ。おらはホンにこの村が大好きだべ。ここに連れてきてくれた母ちゃんにも、すごくありがとうって言いたいべ。でも母ちゃん、死んじまってもう話せねぇから…………」
そこまで話すと少年は、クルッと振り向いて吾輩を見上げた。
「だから、おらが死んだら地獄に連れて行って下さい。あ、でも……、できたら、教母様にお返しが終わるまでは待ってほしいです」
「おらも一緒だべ! お願いしますべ、骨の方」
「と、父ちゃんや母ちゃんに会えるなら、おらも同じが良いべ!」
三人の元農奴だった子供たちは、口々に声を上げ始めた。
うむ、魂の回収なら任せておけ。地獄とやらに行けるかどうかは保証せんがな。
「…………なにが地獄に落ちるだ。あの村のほうがよっぽど地獄だったべ」
子供の騒ぎに乗じるように、広場の中ほどからボソリと声が発せられた。
席の位置からして、発言者は同じく元農奴の一人のようだ。
「ああ、あのままだったら確実に冬越し出来ずに死んでたべ……」
「そうさね。子供ともども野垂れ死にさ」
「麦を全部持っていかれて、どうしろってんだ! ここに逃げて来なかったら、俺たちは――」
吹き出す泡のように、不満が次々と声に出される。
空気が再びざわめき、人混みに混じっていた誰かが殺気を放ち始めた。
おそらく不穏な雰囲気を、力ずくで止めようとする子爵の兵士どもだな。
その時、またも教会の鐘の音が大きく鳴り響いた。
荘厳な音色を前に、広場はあっさりと沈黙を取り戻す。
おお、これも良いタイミング。
しかしこの切れ間は、向こう側にもチャンスであったようだ。
再度、サリークルがよく通る声を放った。
「どうやら村人の多くは、すでに穢れた魂となってしまったようですな。しかも、聖なる神の祈りを受け継ぐ教母までとは……。彼女に助祭の資格を与えてしまったのは、教会の大きな失態と捉えるべきでは? ナリーバ司教」
ここでサリークルは矛先を変えたようだ。
いや、最初からそっちが真の狙いだったのか。
「この村が悪しき禍で汚染された地であるのが明らかになった以上、今すぐにでも浄化を始めるべきだと進言させて頂きます。ただしその後の統治については、教会は手を引いたほうが無難でしょうな。領地が隣接している手前、我々も再び同じようなことが起こる危険を見逃す気はありません」
ここが勝負所と判断したのか、サリークルは返答を待たぬまま喋り続ける。
「どうでしょう、この村の後始末については、我々に一任してみては? ええ、もちろん枢機卿団へのご報告については、そちらにお任せすると――」
「黙りなさい」
「えっ」
「私は黙りなさいと言ったのです」
サリークルを制したのは、ナリーバ司教の冷然な返答であった。
若造の言葉を二言で締め出した老婆は、元農奴の子らへ向き直る。
「お聞きなさい、子供たち。貴方たちの母親は地獄に居ませんよ。母として生を全うした者は、決して地獄に落ちません」
「じゃあ、おらたち母ちゃんと会えないんですか?」
「いいえ、貴方たちも地獄に落ちないでしょうね。ここの暮らしは好き?」
「はい、毎日、楽しいことばっかりです」
「そう、良いことね。母なる神のもっとも大事な教えはね、生を尊ぶこと。それだけなのよ。貴方たちは十分に、その資格を満たしているわ」
司教は広場へ顔を向けて、ハキハキとした声で話し始めた。
「私たちは時に何かの重荷を背負うことがあります。傷つき弱ること。病に倒れること。罪を犯し後悔に苛まれることもあるでしょう。光を失い闇の中を彷徨い続けることも。そんな時、重荷をともに持ってくれる手が有ればと、誰もが感じるでしょう。私たちはそのために日々を努めております。それでも救えぬ人々は数多くいます。されど、私たちは決して諦めたりはしません」
広場の人間どもは、老婆の言葉に何も言わず耳を傾けている。
「なぜなら手を差し伸べることは、同時に相手に手を握って貰えることなのですから。救いの手は誰かの助けとなりますが、誰かを助けることもまた救いとなるのです。私たちは互いに手を差し出し合い、助け合って生きているのです。そこに正邪など存在しません。ただ、生きようとすることこそが素晴らしいのです」
そこでようやく司教は、吾輩たちへ視線を寄越した。
「貴方たちの救いの手があったこそ、この地の多くの人々が助かりました。やはりその功績は称えられるべきでしょう。改めてここに宣言いたします。この者たちを教会の祈りを守る騎士に任ずると!」
賛同の拍手が、長椅子に座る一団から湧き起こる。
ナリーバ司教は静かに頷くと、優雅に手を差し出した。
「では代表の一名は前に。聖なる祝福の印を授けましょう」
名指しされた白いローブの骨は、ガチガチと歯を噛み合わせながら前に出る。
近付きながら老人は、複雑に手を組み合わせ叩き込むように言葉を発した。
「聖なる創世の女神の名において、われ汝を騎士とす。生かし、守り、救うことに忠実であれ」
シュラーや子爵の連れていた女とは比べ物にならないほどの、巨大な聖印が宙に浮かび上がる。
あ、これは不味いヤツだ。
まともに触れると、確実に消え去るな。うん、触れればだがな。
聖なる印は白いローブごと包み込みながら、眩しい光を周りに放つ。
数歩離れてその様子を観察しながら、吾輩は観客席を窺い見た。
サリークルは声も出さずに笑っていた。
端正な顔を醜く歪めて。
骨たちが消え去ることを確信しているのだろう。
……………………残念だったな。
数秒の後、光が消え去ったあとに姿を現したのは、全く無傷な骸骨の姿であった。
騎士の資格を拝領した骨は、不器用に腰を曲げ挨拶する。
その仕草に、司教は微かな笑みを浮かべながら会場に向けて言葉を放った。
「今ここに、彼らが邪悪な存在ではないとハッキリ証明されました。この村に悪しき穢れなどは一切、存在しません」
その発言に若造の口元が小さく開き、声にならない音が漏れた。
脇の祭服の女や執事も、同様にポカンと口を開けている。
うむ、何とも小気味の良い眺めだな。
「そうですね、やや誤解を招きそうな見た目ですから、これからは聖骨の騎士とでも名乗りなさい」
司教の言葉に、白いローブを着た骸骨は膝をついて頭を垂れた。
しばしの静寂の後、激しい喝采が渦のように巻き起こる。
同時に教会の鐘が激しく鳴りだした。
それに合わせるように、裏手に居た村人たちが楽器を奏で始める。
歌が始まった。
子供たち、村人たち、見物客らが立ち上がり声を合わせる。
感謝の賛歌が広場中に響き渡る中、青褪めた顔の三人が席を立ち、足早に立ち去っていく姿が見えた。
それに付き従うように、兵士たちも広場から姿を消す。
白い無地の旗が風に揺れるのを眺めた後、吾輩はいまだ鳴り響く教会の鐘を見上げた。
いつの間にかすっかり晴れ渡っていた青空を横切っていったのは、黒い翼を広げた一羽の鳥の姿だった。