第百七十話 予期した来客
箱馬車から降りてきたのは、金のかかってそうな身なりの男だった。
少し顔をしかめながら、その男は教会の前に居た吾輩らに不躾な視線を向けてくる。
そして横柄さを隠そうともしない口振りで話しかけてきた。
「気の利かん下男どもだな。お前らの主人はどこにいる? さっさと客が来たことを伝えてこい」
「失礼ですが、どちら様でしょうか?」
「この馬車を見て、何も気付かないのか……これだから田舎に来るのは……まったく」
「ヒューレ、まだか?」
「失礼しました!」
馬車の中の人物に名前を呼ばれた男は、いきなり姿勢を正しすらすらと口上を述べ始めた。
「こちらにおわすのは、コールガム子爵ロイバッハ卿の嫡子サリークル様である。本日は教母シュラー殿の叙階の儀に出席のためお越しになられたのだが、村の代表はどこにおられる?」
「俺がこの村の長を務めておりますゾーゲンと申します。本日は、ようこそおいで下さいました、若君様」
「私はサリークル様の執事を務めるヒューレと申す。まずは部屋に案内を頼もう」
「お待ち下さい、ヒューレ殿。先日、子爵家の使者の方には、本日の式典には欠席との書状を承っておりますが」
「何かの手違いであろう。御主人様は長旅でお疲れの様子だ。湯浴みの用意も急いでくれ」
「しかし、その部屋割りが……。今日はもう満室になっておりまして」
「ふむ、それならば仕方あるまい」
口ひげを軽く引っ張りながら、執事の男はわざとらしく鼻から息を吐いてみせた。
そして肩をなでおろしたばかりの村長へ、言葉を続ける。
「五分だけ待ってやろう。部屋の空気を入れ替えるのだから、それくらいは掛かるだろうしな」
なるほど、権力を笠に着るとはこういう風にやるのだな。少し勉強になったぞ。
邪魔な先客をサッサと追い出せと言われた村長は、無理矢理何かを飲み込んだような顔になった。
その視線が目の前の男から、馬車に描かれた紋章に移り、最後にわずかだけ吾輩を映す。
押し黙ったまま、村長は踵を返した。
その肩を、執事の手が軽く叩く。
「……まだ何か?」
「気難しい御主人様へ執り成しをせねばならない私に、何か忘れてはないかね」
声を潜めた男は背後から見られないよう上手く隠しながら、手の平を村長へ突き出す。
その手と執事の顔を交互に眺めた村長は、今度は侮蔑の色を隠そうともせず言い切った。
「田舎住まいのせいで、どうにも物忘れが激しいようです。さっぱり思い出せませんな。急いでおりますので、これで失礼致しますよ」
そのまま教会の戸をくぐり抜けて姿を消した村長に、執事の男はねちっこい舌打ちを浴びせた。
そんな男の背中に、馬車の中からまたも声が響いてくる。
「……どうなっている?」
「申し訳ありません、若様! 村の者がヘマをしでかしたようで。今、準備を急がせております」
短い問い掛けの言葉には、執事とは比べ物にならないほど尊大さが溢れていた。
なるほど、本当に子爵の息子本人がやってきたようだな。
きっかり五分後に息を切らした村長が再び現れ、部屋の準備が整ったことを告げる。
馬車の中から姿を表したのは、線の細い若造だった。
その背後には白い祭服を着た若い女。教会関係者のようだな。
二人は連れ立って教会へ入ろうとして、扉の横に立っていた吾輩に気付く。
「……おい」
「かしこまりました」
サリークルが顎で指し示すと、女は吾輩の方へ向き直って両手を軽く持ち上げた。
短い祈りの言葉と指を組み合わせる動作。
宙に現れたのは見覚えのある光の図形、聖印だ。
放たれた印は、吾輩の鎧の胸元に吸い込まれるように消えた。
同時に肋骨が、激しく震えるのが伝わってくる。
しかしそれを態度に表さず、吾輩は腕を持ち上げて敬礼の姿勢を取った。
興味深そうにこちらを見ていた若造は、少しだけ意外そうな顔になる。
だが、それ以上は何も言わず、教会の内へ足を向けた。
吾輩を消そうとした女も、こちらを一瞥もせずその後ろに続く。
扉が閉まり二人の姿が消えたことを確認した吾輩は、小さく歯ぎしりを漏らした。
ふぅ、鍛えてなければ、上半身が溶けていたぞ。
…………今の行為は、完全に吾輩たちの正体を疑っている感じだな。
となると、やはり一騒動起こるのは確実か。
もしかしたらと予測はしていたが、本当に子爵側が来るとはな……。
貴族は予想以上にしつこいという事実を、吾輩らに教えてくれた男爵に感謝すべきか。
いや、それは不要だな。
よし、急いで計画を対子爵用に切り替えるとしよう。
五十三番とタイタスにも連絡して、配置を変えて貰わねばな。
押しかけてきた来客どもだが、自分たちが持ち込んだパンと葡萄酒で軽い食事は済ませている間に、吾輩らと村人たちは最後の準備を急ぐ。
すでに広場には、村人たちが総出で用意した長椅子が所狭しと並べられていた。
教会を背にして木製の祭壇が設けられ、大きな車輪のようなものが掲げられているのが見える。
シュラーに聞いたところ、神々がおわす天上の回廊をかたどっているらしい。
午前を半ば過ぎたころ、ようやく出席者が揃い始めた。
祭壇の横の席には、三人の祭服の女性が並ぶ。
ベールのせいで顔付きは見えないが、魂力の減り具合からみてそれなりに高齢のようだ。
最前列の席には、まず子爵家の面々。
サリークルとお付きの教母、その横に執事が座っている。
隣りの長椅子に腰掛けているのは、でっぷりと太った男性だった。
名前はデロン。ノルヴィート男爵オーラン卿の次男である。
父親は強欲で名高いようだが、こっちは垂れ目でかなり穏やかそうな風貌をしている。
次男坊の横にも子爵家と同じように、白い祭服を着た女性が座っていた。
ただし比べてみると、明らかに横幅が違っている。
デロンよりもややマシではあるが、かなりふっくらした体型のようだ。
疑問に思ってシュラーに尋ねてみたが、高貴な人間に教会が派遣した教母たちが付き添うのは当たり前であるらしい。
なるほど、傷や病気を治してくれる有能な薬箱のようなものか。
シュラーは心なしか言葉を濁していたが、どうも教会と貴族どもにはそういった繋がりがあるようだ。
太った女性の横には鎧姿の男たちが四人。
心当たりがあると思っていたら、こいつらの正体は昨年、川に流れ着いた灰色狼を持ち去った盗人どもだった。
村長が話していたが、かなり高名な騎士たちらしい。
言われてみれば、まとっている魂力が明らかにずば抜けている。
今は武器を帯びてないようだが、あの位置は要注意だな。
貴族の後ろの長椅子には、着飾った村人たちが腰を下ろしていた。
村長やダルトンたちの緊張しきった顔が見える。
エイサン婆は、いつものひょうひょうとした感じであったが。
ちなみに豚鬼どもは出席していない。
ばれたら子爵が連れてきた兵どもに叩き殺される心配があるからな。
その兵士たちだが、こっそりと人混みに紛れて、祭壇にすぐに駆け寄れる位置に待機しているようだった
すでに座れなかった村人や見物客は、椅子の背後で立ち見状態となっている。
本日の広場は馬車の立ち入りはすでに制限済みなため、かなりの容量があったはずだが、それでも足りないほどに集まっているようだ。
やがて時間になったのか、高らかに教会の鐘が鳴り響いた。
同時に教会の扉が開き、中から子供たちが次々と姿を現した。
白い花びらを撒きながら、声を揃えて入祭の歌を合唱し始める。
その中でも特に目立っていたのは、赤と黒の布を組み合わせた帽子と服を着た小柄な影であった。
先頭で飛んだり跳ねたりする姿は、どうみても道化師そのものである。
五十三番と一緒になって作っていたのは、この衣装だったのか!
そして子供たちの最後に現れたのは、真っ白な装束に身を固めた教母シュラーであった。
吾輩の分身が引き起こしていたクスクスとした笑い声がピタリと静まり、代わりに感嘆の声が一斉に上がる。
賑やかでどこか厳かな空気の中、子供たちとシュラーは祭壇の前まで進む。
そして歌い終わると同時に、聴衆に拍手で迎え入れられた。
春来節の始まりである。