第百六十七話 多数決の行方
『…………なるほど、確かに役には立ちそうだな』
吾輩の褒め言葉に、ネズミに乗ったまま小さい骨は下顎骨を持ち上げてみせた。
自分が有能な存在だと示すことで、今後の立場を強くしようという腹づもりだろう。
確かにコイツのやったことは小さな損害を伴いはしたが、それを上回る大きな成果をもたらした。
吾輩らの正体を暴こうとする子爵一味を遠ざけたことは、かなりの功績である。
だがしかし。
今回はたまたま上手くいっただけ、との疑いはどうしても捨てられない。
それに肝心なのは、コイツの行動原理である。
混沌の影響だの、精神汚染だの、胡散臭いことこの上ない。
吾輩たちを突き動かしているのは、魂を集めろという黒棺様の命令だ。
それと相反する可能性が少しでもあるのなら、この段階で徹底的に追求しておかねばならない。
『一つ良いですか? 小さな吾輩先輩』
『その呼び名は見た目を分かり易く言い表しているだけなので、今の吾輩にはあまり相応しくないな。よし、これからは混沌に目覚めし呪紋使いとでも呼んでくれ』
『そんな長いの呼んでたら腹が余計に減っちまうぜ。ワガチビさんか、チビワーさんで良いだろ』
『じゃあワガチビ先輩。さっきの"誘導"でしたっけ、あれをずっと使ってたほうが便利じゃないんですか?』
その点は吾輩も同じ疑問を感じていた。
複雑な図形をわざわざ毎回描くよりも、アレで注意を引きつけたほうが確実に早いしな。
『やはり説明が必要か。ウヤムヤにしておきたかったんだが』
『先輩は意外と合理的なはずですからね。そうしない理由があるなら、ハッキリさせておいた方が良いかと思いまして』
どうやら五十三番も、吾輩(狂)をあまり信用していないようだな。
あと意外という表現は、褒め言葉と受け取っておくぞ。
『分かり易く言い換えるのは難しいのだが、そうだな……溜池。呪紋の源を水の溜まった池だと考えてくれ。まず呪紋を描くには、溜池の水を外に流す必要があるのだが、そこでただ流せば良いというものでもない。細くチョロチョロと流しても、誰にも気づかれないだろう』
『なるほど、分かったっす! 滝みたいに目立てばイイっすね』
『そうだ。派手に流せば注意は簡単に引ける。ただ、そうすると今度は違う問題が出てくるという訳だ。力一杯、水を流しているとどうなる?』
『そうですね。溜め池に注ぎ込む流れがなければ、池が枯れてしまいますね。それが不味いということですか?』
『うむ。水が減ってくれば、池の底にある泥が混じってしまうだろう。その泥が混沌と呼ばれる存在だ』
『ああ、何となく分かったぜ。その泥が表に出てくるとヤバイってことか』
『理解が早くて助かるぞ、ガッガッ』
『倒した!』
ネズミの上で吾輩(狂)は、得意げに胸骨を突き出して笑ってみせた。
誤魔化そうとしているようだが、水を流しっぱなしの問題はもう一つあるぞ。
仮に溜池だとすれば、水量が増えると当然、そこから流れる川の勢いも増す。
ならば下流にある村はどうなる?
この場合は、呪紋を掛けられた側となるか。
泥水の影響を、少なからず受けてしまうのは間違いないだろう。
堰があるうちはまだ良いが、それがいつ崩壊してしまうかは本人次第だ。
そうなった場合、被害がどれほど大きくなることか……。
やはり、コイツは危険過ぎるな。
念のためもう少しだけ、確認しておくか。
『吾輩からも訊きたいことがある。今回の件は、どこまで狙って行ったものだ?』
『もちろん最初から、最後までだ。聞きたいか? 吾輩の数々の苦労を』
『いや、そんな詳しくは結構だ』
『まずはだな、どうすれば面白いかというのが――』
『いや、だから話さなくて良いぞ』
制止も聞かず、小さな骨は得意気に語り始めた。
なんとも困った性格である。
『吾輩たちが混乱を引き起こせば、子爵側に何かしらの対処が必要となるのは分かっていたからな。幸いにも向こうの領土は黒腐りの森と接している。成りすます相手としては格好だからな、小鬼どもは』
『それで豚鬼どもが使っていた兜を持っていったのか。ただ、あれだけでよく誤魔化せたな』
『抜かりはない。そのための呪紋だ。"恐怖"を感じていれば、まともな判断は下せんよ』
『子爵領の村の場所はどうして分かった?』
『それは予め、この村に逃げてきた連中から聞き取り済みだ。情報というものは、その気さえあれば簡単に集まるぞ』
う、少し肋骨に響くぞ。
そこまで手が回っていないのは、確かに吾輩の落ち度である。
『はい、俺っちも質問っす! 子爵の騎士って強そうっすか? ちょっと戦ってみたかったっす』
『倒す!』
『当然、一目散に逃げたぞ。まともにやれば、こちらが不利なのは明らかだしな』
『よく逃げられたな、ワガチビさん。相手は馬だろ?』
『ふ、その準備も抜かりないぞ』
何度目かの下顎骨持ち上げを見せてから、小さな骨は側に居た下僕骨の腰骨辺りを指差す。
そこにぶら下がっていたのは、懐かしい投擲紐であった。
ただしセットされていたのは石ではなく、やや大きめの白っぽい革袋のようなものだ。
『これは……、大ミミズの液嚢ですか』
『うむ、ミミズ溶解弾と名付けた。鉄鎧を着てようが、馬でも人でも当てれば効果抜群だったぞ』
うう、このミミズの消化液が詰まった器官は、あとで使い途を検討しようと思ったまま放置していたヤツか。
なるほど、これを集めるために大ミミズを狩っていたのだな。
そもそも吾輩がコイツを警戒するようになったのは、その報告を聞いてからである。
安全を重視する吾輩の分身なら、わざわざ下僕骨だけで危険な相手に挑む行為は怪しいと思っていたが……。
その目的にまで考えが至らなかったのは、吾輩の失敗だな。
『ミミズ溶解弾で騎兵を足止めして、絶対に追ってこれない川の水底へ逃げ込むか。さらにその間に本隊は痺れ毒で捕獲した捕虜を連れ去ると』
『この時期なら水棲馬も暖かい河口付近に移動しているから、襲われる心配もないしな。どうだ? なかなかの作戦だろう。だが、不満もかなり多い。特に騎兵が駆けつけるのが予想よりも早かったので、切り上げざるを得なかったことが非常に残念だよ。ガッガッ』
意味ありげな笑い歯音に、タイタスがニヤリと笑みを浮かべる。
『そうか。今回は無理だったって話か』
『うむ、聞き取りによると、最北街道付近にはあと三つほど――』
『待て! 待て待て!』
この流れは非常に不味い。
吾輩や五十三番はともかく、これ以上はタイタスやニーナに聞かせる訳にはいかんぞ。
『急にどうしたよ? 吾輩さん』
『そろそろ採決を取ろうと思ってな。この吾輩の分身の処遇をどうすべきか決めるぞ』
『どうやって決めるっすか? あ、勝負して一番になれば良いっすね!』
『倒す!』
『いや普通に反対か賛成を示すだけでいいぞ。コイツは危険過ぎると思うので、春来節まで地下通路の部屋に幽閉しようと思う。何か意見はあるか?』
歯音を発しながら、吾輩は皆の顔をグルリと見渡す。
最初に声を上げたのはニーナであった。
『分かる。分かるっすよ! その気持。自分を脅かす相手ってのは、遠ざけたくなるものっすよね。でも、その嫉妬心こそが、自分を高める最強の力になるっすよ! やっぱりライバルは側に居なくちゃ駄目っすね!』
『何か勘違いしているようだが、反対だというのは分かった。他はどうだ?』
『うーん、俺も閉じ込めるのは反対だな』
『さっきの子爵領襲撃の件に触発されたか?』
『面白そうだとは思ったが、それだけじゃねぇな。そもそも、そういった考えが、これまで出てこなかった方がヤバイと思ってな』
『吾輩らにはない発想ということか……』
『一体くらい、変わったことをしでかす奴が居たほうが楽しいだろ』
現状で賛成一、反対は二か。
チラリと顔を向けると、五十三番は静かに首を横に振った。
『今の状況では吾輩先輩の負担が大きいままです。村の人口も更に増えましたし、骨手が足りなくなるのは目に見えてます。でも先輩がそうしたいと望むのでしたら、僕は無条件で支持しますよ』
よし、ここまでは計算通りだ。
タイタスとニーナが転びそうなのは、元から予想していたからな。
そしてロクちゃんは先ほどの呪紋の実演に使われたことを、きっとまだ怒っているはずだ。
勝利を確信した吾輩は、安眠したままの小ニーナを抱きかかえる小柄な骨へ振り返る。
ロクちゃんは視線を一瞬だけ吾輩へ向けたあと、吾輩の分身に問い掛けるように歯音を発した。
『倒す?』
『ふむ、その子を先に寝かしつけた理由か? 簡単だ。吾輩は子供の怯える顔が大嫌いだからな』
『そのような感情は、吾輩にはないぞ。たまたまではないのか……まさか?』
『そうだ。吾輩の仕える混沌の幼神は、子供が大好きであらせられるからな。どうやら、どっぷりと影響を受けてしまったようだ』
その言葉を聞いた瞬間、ロクちゃんの顔が吾輩へ向き直る。
そして発せられた歯音は、たった一言であった。
『倒す!』
よって吾輩の分身の監禁案は賛成二、反対三で否決となった。