第百六十五話 後の祭り
『……………………踊ったのは、百歩、いや千歩譲るとしてだな。なんで…………糞をぶちまけた?』
『面白そうだったからな』
スッキリとやり切った顔で小さな骨が答える。
その顔面に、間を置かず吾輩の手が伸びた。
こめかみをガシリと鷲掴みにして、そのまま宙高く持ち上げる。
小さな吾輩はポタポタと雫を垂らしながら、忙しなく下顎骨を打ち付けてみせた。
本骨曰く、笑い歯音らしいが、耳障りで仕方ないぞ。
「実際、楽しかったですぜ、王様。最初はてっきり気が狂ったかと心配して――」
『黙って手を動かせ、鍛冶屋。鎧の方は元通りになりそうか?』
「金物以外は、よく分からんってのが本音でさ。とりあえず水気をよく拭いてから、油を擦り込んで様子を見ますか」
『じゃあ、さっさと取り掛かれ。全員分を頼むぞ』
吾輩の命令にわざとらしく目玉を丸くするウンド。
まだ浮かれ気分な有り様に、吾輩の手に思わず力が入る。
『おいおい、吾輩には再生能力はないのだぞ。大切に扱ってくれ。大事な切り札だろう?』
『勝手に喋る許可は与えてないぞ、吾輩。これ以上、戯言を抜かすならこのまま握りつぶすだけだ』
「おやおや、物騒なお話のようですな、骨王様」
揉め事中の吾輩たちの仲裁なのか、今度は村長が会話に割り込んでくる。
顔にぶつけられた馬糞は洗い落とせたようだが、その短い髪にはまだかすかに臭いが残っていた。
『壁の掃除はもう終わったのか? と、その樽はなんだ?』
「高いところのは諦めましたよ。そのうち雨が流してくれるでしょうし。これですか? 昨日、たっぷり踊って疲れた連中に一杯振る舞ってやろうと思いましてね」
『……もしかして、ダルトンが持ってる鍋もか?』
「ええ、ソーセージの煮込み鍋を、皆と一緒に食べようかと。こんなに楽しかったのは、種まき祭り以来ですよ」
「おお、そうだ。これ、毎年やらねぇか? 春来節はちょっと地味だしよ」
「いいな、春の踊り祭りか。骨王様にも是非、参加していただかねばな」
「ハッハ、馬糞を投げ合うのは、もう勘弁してほしいですがね」
『大好評で何よりだな。ガッガッガ』
…………駄目だ。
こいつは吾輩の分身のはずだが、まったくもって考えていることが分からんぞ。
「こんなところに居られたんですね、御使い様。連れてこられた方への聞き取りは終わりましたよ」
『それはご苦労だったな。希望者はどれほどだ?』
「最初はなかなか条件を信じて頂けなかったのですが、最後はほぼ全員が居残りに同意してくれました」
『そうか。帰りたがってる連中は、吾輩が後で説得しよう。部屋に残しておいてくれ』
「分かりました。今は豚鬼の方たちに、家の割り振りをして頂いてます。台帳の方は明日にでも付け加えておきますね。……あとは、その、そちらの小さい骨の方ですが、お着替えされたほうがよろしいのでは? 濡れたままではお体に障りますよ」
にこやかに話す教母であるが、その白い祭服には茶色いシミがべっとりと残っている。
自分のことを後回しにして、加害者の心配とは随分と広い心だな。
『ガッガ、骨が風邪を引くとか、吾輩を笑い死にさせる気か? いやいや、もうこれ以上は死にようがないぞ』
『こいつのことは気にしないでくれ。少しばかり、頭がおかしくなっているようでな』
「ふぇっふぇっふぇ。これはまた、面白いことになっておられますのう、骨の方」
『今度はエイサン婆か。入れ代わり立ち代わりだな』
「おや、ご機嫌は今ひとつのご様子ですな」
『こいつが起こした今回の騒動を考えれば、良くなるはずもなかろう。しかも、なぜそうしたのか、さっぱり分からんのだぞ』
「ふぇっふぇ。その小さき骨の方は、もしかしたら悪戯神の寵愛でも、お受けになられたのではございませんかのう」
唐突に奇妙なことを言い出した老婆に、吾輩は疑いの目を向ける。
もしやこの老人まで、頭がおかしくなってしまったのか?
『なるほど、これが神の力の影響か。道理で抗えんはずだ』
「ええ、幼き神様は思う以上に、気ままで強引なお方ですからのう」
『ガッガッガ、まるで知り合いのような口ぶりだぞ、婆さん』
「いえいえ、これはお言葉が過ぎましたな。畏れ多いことで」
淡々と謎の会話を進める一体と一人の様子に、歯音を失った吾輩へシュラーがそっと助言をくれる。
「悪戯神というのは、混沌を司る幼神様の俗称ですよ」
『混沌……、混乱か。もしや、こいつの言動の可笑しさは、その混沌の神とやらの影響なのか。一体、どこから――そうか、呪紋を使った代償か!』
『ようやく正解したのか、吾輩。同じ骨とは思えぬ鈍さだな』
そこで器用に身を捻った小さな骨は、吾輩の手をスルリと抜け出して地面へ降り立ってみせた。
『先に忠告しておくぞ。どうやら吾輩は、かなり混沌の汚染が進んでいるようだ。同化は諦めておけ』
『なんだと!』
『強欲が疼いて堪らんのだろう。ガッガ、いい気味だ』
踏ん反り返るように、小さな骨は胸を張ってみせる。
『だからといって、お前を野放しには出来んぞ。手足を外すか、いや、もう紋章だけにしておくか……』
『良いのか? 春来節に来る司教をどうにか出来そうなのは、吾輩のこの呪紋だけだぞ』
見透かすような口振りに、吾輩は反論できずに顎を閉じた。
確かにあの呪紋とやらには、切り札と自称するだけの効果はありそうである。
だからこそ余計に、こいつの態度は腹立たしい。
しかし混沌神の影響とやらを、このまま放置しておくほうが非常に危険だとも思える。
実際にこの小さな骨が二日間にしでかした行為は、悪戯で許せる範囲を軽く通り越しているぞ。
吾輩が頭だけにされてカラスに連れ回されている間、分身の目論見通り村ではすでに騒動が始まっていた。
吾輩の格好をした下僕骨が、村の広場に辿り着いてしまったのだ。
そこから先は村長に聞いた話である。
急に現れた吾輩の偽物は、杖を振り回しながら広場の中央でいきなり踊り始めたらしい。
呆気にとられる村人の前に、元農奴の群れが手を叩きながら踊りに加わる。
混乱状態の観客の前に、今度は手桶を下げた騎士団員が登場する。
そしておもむろに手桶の中の馬糞を掴んで、周囲に投げ始めたらしい。
逃げ惑う村人と、踊り狂う吾輩と元農奴たち。
阿鼻叫喚な状況であったと。
吾輩の方は金縛りが解けたニーナとロクちゃんがムーと追いかけっこを始め、二時間後にタイタスが連れてきたフーが説得してくれて、ようやく体を取り戻す始末。
急いで村へ行くと、ヤケになった村人全員が馬糞まみれで広場で踊っている状況に出くわしたという有り様だ。
何とか事態を収拾し村人を落ち着けるのに成功したが、そこで新たな事実が明るみになる。
武装した下僕骨六十体が、吾輩の分身とともに姿を消していたのだ。
追跡に出た五十三番が足跡を探したところ、骨たちが向かったのは何と子爵領だと判明した。
その翌日、痺れ毒で身動きが取れない人間どもを抱えた下僕骨が、次から次へと村へ戻ってきたのだ。
毒が消えた男から事情を聞くと、どうやら分身は子爵領にある農奴の村を襲って、住人を無理やりさらってきたことが判明した。
そしてつい先ほど、川底から分身率いる二十体の下僕骨が姿を現したと報告を受けて、慌てて捕まえたという次第である。
分身の話によると調子に乗って次の村を探していたら、騎兵に追いかけられたので、川へ入って逃げてきたんだそうだ。
本当に、何てことをしてくれたんだ、こいつは……。
この事件から三日後、村に一通の手紙が届く。
差出人はコールガム子爵であり、その文面にはこう記されていた。
領内の村が小鬼の襲撃にあったため、今は警戒を厳重にする必要があり、残念ながら教母シュラーの助祭受任の儀には出席出来かねますと。