第百六十三話 不意の転落
三月になると忙しさが、転がる雪玉のように増し始めた。
まずは前々から進めてきた住民台帳作り。
村の人口は寒期に入ってから、ぱったりと増加が止まってしまった。
子爵側の監視が厳しくなったのか、それとも逃亡できる農奴の数が頭打ちになったのかは分からないが、修正作業をさほどしなくて済んだのは幸いである。
…………いや、その考えは何かおかしい。
本来なら魂が増え続けるのは歓迎すべき事態のはずだ。
管理の体制を作るのに手間がかかりすぎて、吾輩少しばかり混乱していたようだ。
話を戻そう。
近所組の組分けの方は、すでにあらかた終わっており告知も済ませてある。
こちらに関しては助け合いが大事という名目だったので、好意的に受け入れられたようだ。
うむ、存分に競い合いながら、監視し続けてくれ。
さらに元農奴たちへの農地の割当も、大半が終わっていた。
すでに指導員たちと一緒に作った畝には、分断された丸芋が大量に種付けされている。
龍の雨季が終わる頃に収穫できるとのことなので、これで少し安心できるな。
ただ畑の働き手は、女が半数を占めていた。
力仕事をさせるのはやや心許ないが、その分豚鬼どもが頑張っていたので良しとするか。
あいつらすっかり、この村に馴染んできたな。
とは言え豚鬼どもには、戦闘での役割もある。
代わりの労働力となるような家畜の購入も考えておかねばな。
村の元からの農地も一気に広げたせいで、すべてを活用出来ていないようだし。
そうだな、来月からは春小麦の種まきも始まることだし、それに合わせて考えておくか。
台帳記入作業をこなしつつ、吾輩が取り組んでいたのは村の土木作業である。
やや寒さが緩んだので、村外れになめし革作業用の工房を作り始めたのだ。
土台を固めて枠組みの柱や屋根は木で作り、壁は煉瓦で仕上げる予定だ。
急いではいるものの、まだ半分も出来上がってない。
これに関しては、元農奴の弟子たちに色々と仕込みながらの作業なので無理はできないというのが大きいか。
隣に作る予定の燻し小屋も、材料だけを積み上げて放置状態だ。
この辺りはもう諦めて、職人の要望を聞きながら作る予定を考えている。
勝手に作ってのやり直しは、色々と面倒だからな。
さらにこの家造りに並行して、村では道造りを進めていた。
今までの土が剥き出しの道路は、雪や雨が降るとぬかるんで大変であった。
さらにそこに馬糞が加わると、手がつけられない有り様になる。
なので主要な道は、石か煉瓦で覆うようにしてみたのだ。
うむ、これが思った以上に大変であった。
とりあえず煉瓦は日がな一日焼いても全く足りないので、元砦を完全に取り壊して石材を確保することにした。
春になればここの石を使って迷森修道騎士団の本部を作って貰う予定であったが、そんなことを気にかける余裕もない。
ま、おかげで、何とか四月までにはそれらしく仕上げられそうである。
なぜ今になってそんな工事をしているのかというと、見せつけるためである。
以前であれば注意をひくのを恐れて、あまり目立たないようにと考えていた。
しかし橋が出来て、この村を行き交う人間が倍増してしまった。
煉瓦の建物が並ぶ様が、通りすがりでバッチリ見られてしまっては隠しようもない。
それならば逆に、もう開き直ったほうが良いのではという結論になったのだ。
ちっぽけな村であれば、攻め込んだり取り込むのは簡単だと思うだろう。
だが短期間でいきなり発展した村であれば、周りはこう考えるに違いない。
この村は、何か強い力を持っているぞと。
現に二百近い下僕骨がいるしな。
よほどの軍隊でなければ、負ける気はしないというのが本音だったりもする。
四月初頭の春来節であるが、すでに来客の名簿が届いていた。
司教を含む訪問団は、護衛を含めて十二名。
さら同行者にはコールガム子爵の長子サリークルと、そのお付きの者が五名。
あとはノルヴィート男爵側からも、数名が出席するとの手紙が来ていた。
これは絶好の機会なので、存分に見せびらかしてやろうという魂胆である。
お前らがちょっかいを出そうとしている相手をよく見極めろという、吾輩の優しい心遣いとも言えよう。
正直、水棲馬くらいならもうちょっと送り込んでほしいなとも思っているが。
それはそうと肝心の叙階の儀への対策は、ほとんど進んでいなかった。
訪問を告げる司教の手紙には、やはり危惧したことが記されていた。
修道騎士の叙任式も、一緒に行いますという余計な一言が。
何度か村会議を開いて話し合ってはみたものの、良い解決案が出ることもなく、最近は只のソーセージ試食会になりつつある。
一応、まともそうな案として、事前に司教に全て打ち明けてみてはという話が出ていたが。
物分りはそれほど悪くない人物らしいが、果たして上手くいくか疑問もある。
なんせ問答無用で、吾輩を滅ぼしかけたシュラーの導師らしいからな。
そのための説得材料として、村の見栄えを精一杯良くしているというのもあるのだが……。
最悪の事態を想定して、子供たちを連れていくのもありか。
幼子の盾の有効性は、前に実証済みだからな。
色々と悩みながら、吾輩は元砦へと足を向けた。
吾輩(分)にも手伝って貰っているが、まだかなり石不足のようである。
早急に村まで運ばせないとな。
しかしこのところ村にかかりっきりで、魂集めの遠征にも行けてない有り様だ。
五十三番やロクちゃんたちとも、会話する機会が減ってしまっている。
はやくこの作業を終わらせて、皆と滝裏洞窟をがっつりと調査して――。
『む、何だ?』
砦の裏手から聞こえてきたのは、カラスのムーの鳴き声であった。
何やら助けを呼んでいるように聞こえる。
下僕骨に作業を命じて、吾輩一体でそちらへ向かう。
裏に回ると木の枝に止まったまま、もがいているカラスの姿が視界に映った。
糸のようなものに絡まってしまっているようだ。
もっとよく見ようと近付いた瞬間、吾輩の足元から地面の感触がなくなった。
『え?!』
唐突に襲ってきた浮遊感に、思わず吾輩は歯音を上げた。
踏み付けた地面に当然あるはずの固さがなく、どこまでも吾輩の足が沈んでいく。
為す術もなく下降する吾輩を待ち受けていたのは、ぽっかりと開いた空洞であった。
悲鳴を上げる間もなく、吾輩の体は地の底へ吸い込まれるように落ちていった。