第百六十二話 溜池遊び
気がつけば滝の横の崖には歩きやすそうな岩が階段状に積まれ、登り道らしきものが出来上がっていた。
さらに上からはツタが垂らしてあり、それに掴まりながら登れるようになっている。
『こんなもの、いつの間に作ったんだ?』
『滝裏洞窟に来た際に、少しずつ整備したんですよ』
滝の裏の洞窟へ出入りするのに、何度も崖途中まで登り降りする必要がある。
それが意外と時間を食っていたので、岩を組み合わせて道を作ったみたのだと。
で、ついでだから、崖の上までそのままつなげたらしい。
見ていると子供たちがスイスイ登っていくので、中々に良い仕事をしたようだ。
ただ雪がかなり岩の上に残っているせいで、ここが初めての子は戸惑ってしまっている。
仕方がないので下僕骨に命じて、崖の上まで抱えて運んでやることにした。
何事もなく上に着いたので、安全と判断して次は吾輩を運ばせる。
最後に全員を見守っていた五十三番が、軽々と岩場を駆け上がってきた。
『……少し風がキツイようだな』
『ええ、遮蔽物が何もありませんからね』
溜池、いやこの大きさだと、もう小さな湖と呼んでも差し支えはないかもしれんな。
視界を埋める湖面は鮮やかに静止していた。
寒風の中、さざなみ一つ浮かばない。
緑色に濁る水はところどころを白く染めたまま、完璧に身動ぎを忘れていた。
透き通る平面がどこまでも広がる様は、なんとも奇妙な光景である。
『これツルツルっすよ! めっちゃ面白いっす!』
「うわっ、すべるよー!」
「ほんとだ、すべるね!」
「ツルツル!」
『倒す!』
警戒する素振りもなく、すでにニルを除いた年少組と骨二体は氷の上ではしゃいでた。
おいおい、少しくらいはためらったらどうだ。
双子や小ニーナの楽しそうな声に誘われて、アルが湖に足を踏み入れながらロナへ手を差し出す。
恐る恐るといった感じで、手をつなぎながら二人は氷の上を歩き出した。
そして数歩も進まないうちにロナがバランスを崩し、それをアルがかばう感じで倒れ込む。
「ごめん、大丈夫?! アル」
「ううん、平気だよ。ロナこそ怪我はなかった?」
立ち上がりながら、少年少女は自然と微笑み合う。
ふむふむ、いい感じじゃないか。
『さ、吾輩先輩もどうぞ』
『いや、助けは別にいらんぞ』
なぜか五十三番が、手を差し出してくる。
吾輩はそんなに頼りなく見えるのか。失礼なやつだ。
なるほど、革長靴では思った以上に滑るな。
もっとも平衡制御があるので、吾輩らにすれば歩き難いだけとも言えるが。
水際では元農奴の子供たちが、おっかなびっくりといった感じで氷を踏みつけて確かめていた。
その横で、鍛冶屋の子供のアンソニーとネリーナ、それと大工のとこのベルスが目を丸くしながら皆の姿を眺めている。
そんな岸組を横目に、双子たちは全力で氷を楽しんでいた。
ニーナに力強く投げ飛ばして貰い、腹ばいや仰向けのまま笑い声を上げて勢い良く湖面を滑っていく。
隣ではスイスイとアメンボのように、ロクちゃんが小ニーナの手を引いたまま湖面を走っていた。
羽耳族の子は、器用に足を突っ張って氷の滑りを楽しんでいる。
どうも転びそうになる度に、ロクちゃんが絶妙の支えで立て直しているようだ。
「あの、師匠……。氷が割れたりしませんか?」
『それなら大丈夫だろう。かなり分厚く張っているようだしな』
見破りや鑑定を持ってしても、氷が割れそうな場所は見当たらない。
それに鋭敏になった聴覚にも、それらしい亀裂音は聞こえてこないな。
ただし中央の方は、やや氷が薄いようにも思える。
そっちには近付かせないよう注意しておくか。
『ところで、かなり大変そうだな、ロナ』
「はい、何だか上手く立てなくて……」
今日のロナは普段の前向きな感じが、すっかり鳴りを潜めてしまっている。
落ち着かなくアルの肩をギュッと掴む様子は、しおらしくて少し新鮮でもあるな。
『ふむ、擦れ合う部分が少ないから滑るのだろうな。何か工夫すれば……』
見回すと元農奴の子供たちは、恐怖を克服したのか、尻をぺたんと付けた状態で氷の上を進んでいた。
職人組の子供たちはと目を向けると、そっちは木の枝を杖代わりにしてヨロヨロと歩いている。
接地面を増やすというのが正解のようだが、直では冷たかろう。
かと言って杖では心許ないか。
では、吾輩らしく骨で解決するとしよう。
脇の下につけていた予備の腕を外し、さらに肘関節で上下に分ける。
次に橈骨の方をロナの靴の裏にそれぞれあてがい、外れないよう紐で括り付ける。
アルの靴には上腕骨を結んでやる。
『これでどうだ?』
「前よりもしっくり来ます。うん、これ凄く良いですね。ありがとうございます、御使い様!」
「ロナ、ちょっと走ってみようよ」
嬉しそうに弾んだ声を上げて、二人は氷の上を滑り始めた。
そのまま数歩進んで派手に尻餅をつくが、白い息を吐き出しながらすぐに立ち上がる。
すっかり気に入ってしまったようだな。
『どれ、お前たちにも、付けてやろうか?』
吾輩が呼びつけると、元農奴の子らは慌てた顔でゴロゴロと氷の上を転がってきた。
と言っても、予備の腕はもうないが。
まずは残っていた手の甲部分の指を組み合わせて、尻の下に敷かせてみる。
これで冷たくはないだろう。
あとは角骨を背骨から生やして、適当な長さでもぎ取って靴の裏に結んでやる。
うーむ、二人分が限界か。
「ありがとうございます、団長さま!」
「ホンに感謝いたします!」
ややバランスが悪いものの、遊ぶには十分だったようだ。
目をキラキラさせながら、子供たちは押し合いつつ氷の上を進んでいった。
『さて吾輩は湖の中を調べるとしよう。子供たちの面倒は任せていいか?』
『はい、では火の支度でもしておきますね』
燃えそうな枝を集め始めた五十三番に後を託して、吾輩は湖の中央へと移動する。
この辺りも完全に凍ってしまっているな。
中央付近で氷に手を付けて、中の様子を探る。
水の精霊の気配は、やや下の方か。
その下に無数の小さな生き物の気配があるな。
そのまま針状に固めて、こちらへと引き上げる。
少し手こずったものの、何度か試すと氷を破って水が噴き出した。
あとは釣り竿に骨片を結んでと――。
コツンと突くような当たりが数度。
確実に食らいついたのを見計らって、竿を一気に上げる。
掛かっていたのは、手の平に乗るほどの白い魚であった。
命数は1以下か。
…………子供らに食わすとするか。
しかし凍りつくような水の中で、よく平気なものだ。
試しに手を水中へ差し込んで見る。
しばらくして持ち上げてみると、微妙に関節の動きが悪い。
それと湖上を吹く風のせいで、見る見るうちに手が固まってしまった。
寒さは全く感じないが、影響がないという訳でもないのか。
その後、三十匹ほど白魚を片手で釣り上げてから岸へと戻る。
子供たちは吾輩の骨を交代で靴に結んで遊んでいたようだ。
ハァハァと息を弾ませながら、楽しそうに氷の上を懸命に滑っている。
それと大工の息子は、長い木の枝を杖のように両の手で握り、交互に氷を押しながら進んでいた。
あれならコケにくいな。よく考えるものだ。
『おかえりなさい、吾輩先輩』
『薪を集めてくれたのか。よし、魚でも焼いて食わせてやるか』
火打ち石で集めた火の精霊を纏わせて、積み上げてある枯れ木を燃やす。
あとは小枝に指した白魚に塩をまぶして、火にかざしながらゆっくり炙る。
暖かな気配と匂いに誘われたのか、即座に双子が氷の上を滑って近付いてきた。
「お魚の匂いだ!」
「だんちょ、お腹すいたー」
『お前たちは本当に目敏いな。順番に焼いてやるから、火にあたって待っていろ』
「お手伝いします、だんちょうさま」
『うむ、ニルはよく気がつくな』
魚が焼き上がりだすと、休憩中の子供たちが群がるように集まってきた。
体も冷え切っていたのだろう。
差し出した焼き魚を、飛びつくように受け取ると夢中で頬張り始める。
「うう、なんて美味さだべ」
「こんなに美味しい魚は、初めてだべ……」
「寒いところで食べると、凄く美味しく感じますね、師匠」
「おかわりー!」
「早く焼いて、ニル!」
「うまい!」
湖に目を向けるとロクちゃんとニーナ、職人組の子供たちが一緒になって走り回っていた。
うむ、滑るのにもすっかり慣れたようだな。
『あの骨付き靴を改良すれば、氷上でも速やかに移動できそうだな』
『出番自体は、そんなになさそうですけどね』
湖面限定だと考えれば、その通りだな。
それならむしろ娯楽の一種として、氷滑り靴として売り出すのはどうだろう。
……………………いやいや、こんなのん気にしている場合じゃないぞ、吾輩!