第百五十四話 地下通路
吾輩が地上でのんびりしていた頃、もう一体の吾輩は地面の下を徘徊中であった。
『これで苔は最後ですよ、吾輩先輩』
『うむ、ご苦労様。罠はもう少し仕掛けるのか?』
『いえ、道具はもうないので、作業は一通り終わりましたね』
『なら、確認がてら戻るとするか。…………何をしている?』
『この方が、早く移動できますからね。うん、軽くて持ちやすい先輩も可愛いですよ』
五十三番に抱きかかえられた吾輩は、身の危険を感じてジタバタと暴れてみた。
が、この小さな骨格では、遊んでいるようにしか思われなかったのだろう。
意味なく頭を撫でられた吾輩は、ぐったりと力を抜いた。
それに抱っこしてもらったほうが早いというのも、事実その通りであったしな。
ほぼ五歳児ほどの体つき。
これが現在の吾輩の姿である。
そして今現在、成体の骨格を持った吾輩も違う場所に存在している。
こうなった理由は、滝裏洞窟の地底湖で見つけた黒い泥にあった。
魂力らしきものは全くなかったが、動き回って下僕骨を溶かすなどの生き物っぽさもある奇妙な存在。
水の精霊を多大に含んでいたので、吾輩はそれを精霊生命体を名付けた。
で、持ち帰った泥を、試しに黒棺様に投げ込んでみたのだ。
当然ながら総命数に変化なし。
だが、能力欄に現れた文字に、吾輩たちは驚きの歯音を上げた。
それがこの"分裂"という能力だった。
やり方自体は簡単で、角骨生成をぎゅぅぅぅっともっと長く続ける感じである。
能力の段階が不足してるのか、もとよりこれが限界なのかは不明だが、そうやって一時間ほど頑張れば背骨から子供のような骨が分離できる。
そして何とも不思議なことに、この分裂で生まれたもう一体の吾輩には吾輩の自我が宿っていたのだ。
記憶などは分かれる寸前まで同じ。
ただ体の容量のせいなのか、能力はほぼ使えないという状態である。
なので再生能力どころか念糸も使えず、首が取れれば即おしまいのポン骨だったりする。
では何の役に立つかというと、この分身をまた吸収できるのだ。
こっちは多肢制御で手を増やしたりする時に似ている。
分身骨の頭骨部分を頸骨に当ててくっつけておくと、いつの間にか形が崩れて同化してしまう。
同時にその骨が経験した事柄が、吾輩の中に流れ込んでくるといった感じである。
ハッキリ言って分裂の文字を見た時は、肋骨が互いにぶつかって音がするほど気持ちが高ぶったものだ。
けれども頑張って生み出してみたら、吾輩の劣化存在ときた。
このガッカリ感は、内通者が居たと聞いた時の数倍は軽くあったぞ。
ま、後ろ向きに捉えても仕方ないか。
分身が壊れても吾輩本体の方にはダメージが全くないから、危険な行為をさせておいて失敗したら後で回収というのも出来るしな。
そう色々と考えているのが、分身である方の吾輩だというのは、なんとも奇妙な感覚であるが。
ちなみに今日は分身の練習として、地下通路のネズミ退治に参加、もとい見学中である。
五十三番と吾輩の担当は、滝裏洞窟から岩ごと削って持ってきた光り苔を、地下通路のあちこちに植えること。
それとネズミが通る壁際にくくり罠や、黒粘水入りの落とし穴を仕掛ける役割である。
『うむ、これで通路はかなり見やすくなったな』
『このまま、苔が定着してくれれば良いんですが』
『薬師の婆さんは、運次第だとか適当なことを言っていたがな』
不意に空気を裂くような音と同時に、通路を横切る影が鋭い悲鳴を上げた。
見るとネズミの横腹を貫いた短剣が、そのまま地面に突き刺さっていた。
何気ない会話をしながらも、しっかり周囲の確認をしていたとは流石だな。
五十三番の放った短剣で地面に縫い止められたネズミは、キィキィと耳障りな声を上げながら血を撒き散らして暴れる。
以前であれば、即死に近い状態だったのだが……。
『やっぱり、こいつもですね』
『うーむ、原因が特定できればなぁ。数が増えたからか? 生活環境が良いから? それとも――』
『やはり霊域が一番怪しいですよね』
その結論が一番、しっくり来るか。
足元でジタバタともがくネズミだが、命数が2に増えていた。
魂力も4と、命数の二倍近くを発揮中である。
ずっと命数は固定なものだと、漠然と思っていたのが……。
ここに来て、その根底が崩されるとはな。
面白いのは同じネズミで、命数1と2のが入り混じっている点である。
こいつらの生態について詳しくないのだが、命数2の方が比較的、若いようにも思える。
つまりこの地下通路に来てから、生まれた世代と言えるかもしれない。
その辺りは、もう少し要調査な案件だな。
もし仮に霊域内で生き物を育てると強くなるという説が実証できれば、かなり面白いことになりそうだ。
そんなことを考えているうちに、ネズミの魂力が尽きる。
死体を空いた手桶に入れて通路を戻っていると、騒がしい物音が聞こえてきた。
掃討組のお出ましである。
先頭を歩くタイタスは、珍しく盾を持っていない。
代わりにその手にあるのは、鋳鉄の穂先が付いた木の槍であった。
『よう、ワガチビさん。抱っこして貰って楽そうだな』
『うん、タイタスもコレがしてほしいのか。仕方ない、変わってやるか』
『本気で勘弁してください。おっさん抱っことか何の拷問ですか』
『頑張れば何とかなるんじゃないか。で、戦果の方はどうだ?』
『五十匹超えた辺りから数えてねぇな。……しっかし、弱い奴らを仕留めるのは、どうにも性が合わねぇぜ』
『それは、すまなかったな。ただニーナやロクちゃんに、お守りはちょいと無理だからな』
「お手数をおかけしてます…………」
タイタスの後ろから顔を出したのは、小鬼の革鎧を着て口元を布で覆ったアル少年だった。
同じように槍を持っているが、その先端が血でヌラヌラと濡れているのを見るに奮闘はしているようだ。
『おう、この坊主、かなり頑張っていたぜ。ただ、そろそろ限界ぽくってな』
「ま、まだ、行けますよ!」
『それを決めるのは、吾輩らだぞ。アル』
やはり人間には、生き物を殺し続ける行為に抵抗があるようだ。
少年の顔色は悪く、額には汗がにじみ出している。
体を覆う魂力も、それなりに減っているようだ。
『経験もそれなりに積めたようだし。そろそろアルは引き上げ時だな。吾輩も黒棺様の確認がしたいし、地上まで護衛を頼めるか』
ピョンと地面に下りて歩き出すと、少年はガッカリした顔つきで吾輩についてくる。
体力は残っているようだが、この先は空気が濁ってきて危ないからな。
いきなり倒れられたら、面倒なことになってしまう。
『五十三番とタイタスも切りが良いところで切り上げてくれ。こんだけ殺しておけば、しばらくは悪さもしないだろう』
『分かりました。気をつけてくださいね、吾輩先輩』
『んじゃあと一踏ん張りすっか、ゴーさん』
さて、最近はじっくり数値を見ていなかったので、新奉祭からどれだけ伸びたか楽しみだな。