第百五十二話 豚の飼い方
子爵側に通じていた女の家だが、実は門衛に命じて密かに見張らせておいたのだ。
夜間にはカラスのフーに、警戒もさせていた。
女に異変が起きた場合、それをさらに察知する役割の人間が居るかと思っての用心である。
しかし、それらしく家に近付いた者はいないという報告であった。
だが女の家に上がり込んだ者は密かに居た。
あまりにも自然で目に止まりにくい行為だったので、つい吾輩も今まで失念していたが。
それはゴミの収集人である。
各家にある生ゴミは集められ、豚の餌として利用されている。
つまり豚飼いなら、疑われることなく誰の家でも回ることが出来たのだ。
そしてこの村で豚を飼っているのは、ダルトンの家だけであった。
『どうした、ダルトン。腹でも壊したのか?』
小太りの男の顔は、血の気を失いすぎて白くなっていた。
もっとも吾輩の美白な骸骨肌に比べると、まだまだであるが。
吾輩の問い掛けに目を見開いたまま、ダルトンはゆっくりと首を横に振る。
そして喉元を大きく鳴らすと、絞り出すように声を発した。
「その、あの……先ほどのやましいといった話ですが……」
『それはもう終わった話題だぞ』
「いえ、是非、ご相談したいことがございまして。よろしければ、後ほどお時間を頂ければと」
『この場では出来ない話なのか?』
「えっ、はい、骨王様に折り入っての話ですので」
時間を無理に稼ぐといった感じではなさそうだが……。
小刻みに肩が震えているようだし、どうにもよく分からん態度だな。
『良いだろう。準備が整ったら呼びに来るが良い』
「はい、誠にありがとうございます」
ムーを監視につけておけば、逃げたり連絡を取ろうとしてもすぐに対処できるだろう。
もし内通に一枚噛んでいるとすれば、さらに仲間をあぶり出すことが出来るかもしれんしな。
ま、その可能性はかなり低いと思ってはいるが。
『では子爵の件に関しては、ここだけに留めておいてくれ。以上で本日の報告会議を終わるとしよう』
吾輩の一声で、集まりは解散となる。
その後、大工の家に行き樹液集めの道具の出来具合を確認したり、新たに調達したダンゴ虫の殻を豚鬼どもも交えて鍛冶屋と話し合っていると、辺りはやや暗くなってくる。
そろそろどうなったかと思っていたら、ダルトン本人が吾輩を呼びに来た。
短い挨拶の後は、押し黙ったまま家の方へ吾輩を案内する。
ダルトンの家は村の南側にあり、柵に囲まれた広めの庭には数頭の豚が放し飼いにされていた。
と言っても姿は見えず、小屋の方から騒がしい鳴き声が聞こえてくるだけであったが。
かなり冷え込む時期なので、表には出てこないのだろう。
「実は打ち明けておきたいと言ったのは、こちらのことでして」
家の裏に回り込んだダルトンは、真新しい小屋の戸を開けて吾輩を招き入れる。
そこにあったのは、ズラリと大小の樽が並んだ光景であった。
奥には小さな暖炉があり、脇の鉄製のタライには水がたっぷり張られている。
その横には木製のテーブルがあり、赤く汚れたまな板と包丁が置かれていた。
しかし血の匂いは、ほとんど嗅ぎ取れない。
テーブルの上を横切るように渡された紐には乾燥させた何かの葉がずらりと干してあり、それから漂う香りが小屋の中に満ちていたせいだ。
うーむ、この匂いは最近、嗅いだことがあるな。
『この小屋はただの貯蔵庫ではなさそうだな。肉の加工でもしていたのか?』
「はい、こっそりとこれを作っておりました」
ダルトンはテーブルの下にあった手桶を持ち上げ、その中身を吾輩へと見せる。
蛇のようにとぐろを巻くそれは、赤黒い色をした豚の腸詰めであった。
「村の特産物を増やしてみたいと、色々試しておったのです。まだ売り物になるほどの量は作れておりませんが」
『ふむ。この香草はエイサン婆の家で見たことがある奴だな』
「ええ、婆さんにも手助けしてもらって、ようやくここまで作れるようになりました」
『こんな物を作っていたとは驚いたな。てっきりお前は、馬と行商に夢中なものかと』
「そう見えたかもしれませんが、やはり私は慣れ親しんだ豚が大好きなのですよ、骨王様」
少しだけ顔を綻ばせた男は、手桶を戻すと吾輩へ向き直った。
「豚というものは、良い乳首が決まっておるのです」
真面目な顔のまま、ダルトンは唐突に語りだす。
意味不明な流れに、吾輩は思わず頸骨をかしげかけた。
「母豚の顔に近いほうが、より沢山乳が出るようになってまして。子豚はその乳首の取り合いになるのです」
『そういう意味か。ふむ、競争とはどこにでもあるものだな』
「ただしばらくすると、乳首の場所は子豚ごとの固定になります。その後はもうどうしようもありません。乳離れするまで、ずっとそのままです」
何となくであるが、今の村の状況に似ている気がしないでもない。
沈黙する吾輩に構う様子もなく、ダルトンは言葉を続ける。
「尾の方に近い乳首に回された子豚は、半数ほどが途中で死んでしまいます。頑張れなかった者は、そうなる定めなのでしょう。……だからこそ私は、どんなことをしてでも、機会を狙い成り上がるべきだと。そう、義弟にも言い聞かせてまいりました。だがアイツはそれを、誤った意味で捉えてしまったようです」
話しながらダルトンは、小屋の奥の扉に近付く。
そこは豚小屋につながっているのか、入った時からずっと騒がしい響きが漏れ聞こえていた。
扉を開けて、吾輩を招き入れるダルトン。
複数の豚の気配に混じって現れたのは、かなり魂力が薄れた男の姿であった。
年は二十代ほどだろうか。
体つきは痩せており、顔の方にもあまり見覚えがない。
と言っても手酷く殴られたのかひどく腫れ上がっており、人相の見分けがつかないというのも大きいが。
男の体は豚小屋の柱にきつく縛り付けてあり、その周囲を興奮気味な豚どもが歩き回っている。
今までうるさかったのは、このせいだったのか。
「妻の弟です。半年ほど前に良い機会だと思って、王都に勉強にやらせていたのを呼び戻したのです。私の代わりに豚の面倒を見させておったのですが……」
そこで青筋が浮かぶほどに、ダルトンは強く拳を握りしめた。
「前々から態度が怪しい上に、よく手紙をしたためてまして。てっきり恋人でもいるのかと思っておりましが、今日のお話を伺って、もしやと思い部屋を調べてみたらコレが出てきました」
そう言いながらダルトンは、懐から封が開けられた一通の手紙を取り出す。
何も言わず手渡してきたので、素早く内容に目を通してみた。
そこにくどくどと書かれていたのは、吾輩への恨み辛みばかりであった。
そして何度も口汚く罵りながら、手下の兵や女の姿が消えたことまで事細かに記してある。
視線を戻した吾輩に頷くと、ダルトンは内通者の横に並んでひざまずいた。
「どうぞ、いかようにも処分してください。ただこれだけは誓わせてください。私と妻はこのことに関しては、何一つ知りませんでした。それだけはどうか信じてほしいのです」
『ああ、それはないだろうなと思っていた。安心しろ。お前に関しては、厳しい処分をするつもりはない』
利に聡いダルトンが、わざわざ儲かる機会を失うような振る舞いをするはずがないと、すでに結論は出ていたからな。
ただ豚飼いとつながりがあり、読み書きできる人物であるなら、ダルトンの関係者の可能性は高いとは睨んでいたが。
「本当に感謝の言葉もありません、骨王様。どうかこれからも変わらぬ忠誠を誓わせて頂きます」
「……義兄さん、正気を取り戻せ。そんな……化け物に尻尾を振るなんて――」
「黙れ!」
激高した声を上げて、小太りの男は義弟の顔を容赦なく殴りつけた。
そうか、ダルトンの顔から血の気が引いたり、肩を震わせていたのは怒りのせいだったのか。
「お前のような馬鹿な人間に、兄と呼ばれると虫酸が走るわ。どこの世界に乳の味が気に入らないからと、母豚を足蹴にしようとする子豚が居る!」
真剣な表情と言葉の落差に、吾輩はつい顎を震わせた。
いつから吾輩は、母豚になったんだ。
『そうだな。ソイツは吾輩が引き取ろう。色々と尋ねたいこともあるしな』
その一言を理解したのか、義弟の顔が真っ青になっていく。
「…………本気なのか? 義兄さん。俺を、俺を見捨てるのか?!」
「俺には義弟なぞ、最初からおりませぬ。妻も納得済みです」
『ふむ、ではお前たちの処分だが、しばらくは豚肉を無料で村人に振る舞って貰おうか』
吾輩の宣言に、ダルトンは深々と頭を下げてみせた。
先にわざわざ塩漬け肉の樽や腸詰めを見せてきたのは、村が食糧不足気味であると知っていての計算だろう。
小賢しい売り込みだが、まだまだこの男が村の役に立つのは間違いない。
下僕骨に命じて、裏切り者を洞窟前へ連行する。
そうそう、黒棺様に捧げる前に、手紙をちゃんと書き直させておかないとな。