第百四十六話 新たな分岐路
右の通路は上り坂になったか思えば、数歩も進まない内に下り坂に変わった。
と思ったら、少し進む内になだらかな上り坂に戻る。
このまま行くのかと思えば、いきなり下り段差が現れたりと、なんとも気まぐれな構造をしていた。
壁の方も相変わらず一面岩ばかりで、かなり見飽きてきた感があるな。
どこからか湿気が忍び込んでくるのか、天井からは絶え間なく雫がポタポタと滴り落ちてくる。
おかげで滑りやすく、なかなか速度を上げることも出来ない。
一応、岩壁には光り苔が良い感じで生えてくれているので、視界の確保に困らないのだけは救いである。
『何でこんなにうねってやがるんだ? ……いい加減、腹が減ってきたぜ』
『自然にできたのは確実なんですが、ここまで起伏があると逆に不自然に感じますね』
『めっちゃ退屈っす! もうコウモリとトカゲは飽きたっすよ』
ニーナの言葉通り、こちらの通路のめぼしい生き物はその二種類だけだった。
『どうしたんですか? 吾輩先輩。いつもならここでお説教なり、励ましの一言が出てくるはずですが』
『ふむ、ここの生き物の関係を少し考えていてな』
『引っ掛かることでもありましたか?』
『まずトカゲの餌はコウモリで間違いないだろう。コウモリの方は光り苔に集まる羽虫辺りを食べていると思う。で、トカゲやコウモリの排泄物や死骸が、苔の養分になると』
『それがどうかしたのか? 別におかしいことはねぇと思うがな』
『こちらの通路はそれで良いと思うのだが……。問題はキノコ広間と大ミミズが居た洞窟だ』
『ああ、そういや天井のミミズとか何食ってやがんだ? キノコの方は、ダンゴ虫の糞とかだろ』
『それだがな。薬師の婆さんが知ってる舞乱茸というのは、本来ならもっと小さいらしい』
『俺っちの知ってるダンゴ虫やミミズだって、もっと小さいっすよ!』
『つまり何を食ってるかよく分からんくせに、馬鹿デカくなってるってことか?』
まれに迷い込んだトカゲやコウモリが、食われることはあり得るだろう。
しかしそれでは餌として少なすぎる。
あの異常な生育ぶりは、他に大きな理由があるとしか考えらない。
それともう一つ。
似たような場所が、森の中にも存在していたな。
そう、巨大な花と芋虫と大カマキリが闊歩する花園だ。
『ここももしかして、異様に温度が高い場所があるのかもしれんな』
『暑さ寒さは分かんないっすね。そいや、今日はカラスちゃん連れてこなかったすか?』
ニーナの疑問に思わず、舌打ちならぬ奥歯打ちをしてしまう。
今日の探索にムーを同行させようとしたのだが、吾輩の顔を見るなり逃げてしまったのだ。
多分、昨夜の地下温泉辺りで、文字通り危険な空気を察したのだろう。
仕方なく逆さまにした大きなカゴにつっかえ棒をして、トカゲ肉の切れ端を置いた罠を仕掛けてみたのだが……。
ムーがカゴの周りをウロウロする間に、手桶に入れておいた塊肉をまるごとフーに持って行かれてしまったのだ。
しかも肉を盗まれたことに気付いて吾輩の注意が逸れた瞬間、切れ端のほうも掠め取られる始末。
アイツらもしかしたら、ロクちゃんやニーナより頭が良いかもしれん。
『なんか今、凄くバカにされた気がしたっすよ!』
『倒す!!』
『…………勘の良さは互角か』
なぜか先行していてこの場に居ないロクちゃんまで、怒りの歯音を響かせてくる。
『じゃ、ネズミで良かったんじゃないっすか?』
『ネズミか……。ネズミは今はちょっとな』
『ああ、ネズミはなぁ。何でああ、なっちまったんだ?』
溜息代わりに顎の関節を鳴らしながら、吾輩とタイタスは眼窩を合わせる。
実はネズミに関しては、ちょっと面倒なことになっていた。
専用の部屋で飼いながら、偵察とかをさせているうちは良かったのだ。
しかしカラスたちが使役できる仲間に加わったあたりで、話が少し変わってくる。
うむ、フーとムーが便利過ぎたのだ。
上空から広い範囲を偵察出来る上に、連絡なども空を飛ぶのでとてつもなく早い。
ネズミたちの警戒網もそれなりに優秀ではあったが、それでもカバーできる範囲が違い過ぎた。
そのせいで自然と、カラスたちばかり使うようになってしまったのだ。
ま、これは投石紐を弓矢に持ち替えたように、必然な流れともいえよう。
最初の部屋を騎士退治で一緒に潰した辺りから、ネズミどもの出番はほぼなくなってしまう。
タイタスが一角猪やニワトリの世話ばかりにかまけて、あまり顧みなかったのも大きい。
『え、そこを俺に振るのか? 吾輩さんも放置してたじゃねぇか!』
『倒す!』
ここでもっとちゃんと世話をしていたら、話は変わってきただろう。
しかしこの時期、吾輩は畑仕事でとても忙しかったのだ!
で、地下通路に新たに部屋を作って、そこにネズミたちを押し込んだまま、つい忘れてしまったという訳だ。
そして気がつくと、奴らはそこで大繁殖していた。
うん、増えてくれるのは大変結構な話だ。
問題は盗賊どもの砦から連れてきたネズミたちが、完全に代替わりしてしまったことである。
おかげで吾輩やタイタスの命令を、受け付けなくなったのだ。
なら再び捕まえて躾け直せば良いだけの話だが、それはコストに対し労力が釣り合わない。
今さらネズミを使役しても、出来る仕事はあんまりないというのが本音である。
ま、そろそろ何とかしようとは思ってはいるのだが。
穴掘り作業中の下僕骨が齧られるという弊害も出てきているしな。
アイツら、今も昔も骨好きは変わってないようだ。
『たおーす!』
『さっきから何をそんなに怒ってるんだ? ロクちゃんは』
『いえ、僕たちを呼んでるみたいですよ』
気がつくとロクちゃんの声は、すぐ近くから響いてきていた。
慌てて話を止めて先を急ぐ。
吾輩らの姿に気付いたロクちゃんは、早く来いといった感じで手招きしてくる。
どうやらそこで、通路が二手に分かれているようだった。
『今、だいたい北に5447歩か。ここからさらに北に進むか、東に向きを変えるかだな』
『位置的にここから東だと、黒樹林らへんですかね』
『このまま北へ行くなら、火山の方角に進むことになるな』
ここは議論しても仕方がないので、杖を倒して決めることにする。
結果はこのまま北へ行くこととなった。
どうも北行きの通路は、やや下り坂になっているようだ。
しばらく進む内に、洞窟はその大きさを増していく。
もっとも光り苔とコウモリとトカゲにしか出会わない点は、一切変わりなかったが。
やがて高くなりすぎて、天井に手を伸ばしても全く届かなくなる頃、吾輩たちを新たな変化が出迎えてくれる。
そこでいきなり洞窟の地面は、遥か遠くまで真っ黒で平らな物に覆われていた。
間近で見るまでもなく、吾輩はそれの正体を瞬時に理解する。
なぜなら大量の水の精霊どもの気配が、その周囲から溢れ出していたからだ。
『ふーむ、今度は地底湖か…………』