第百四十三話 幻覚キノコ
村外れの薬師のエイサン婆の家の裏手からは、すでに薄く煙が上がっていた。
どうやら、かまどにもう火が入っているようだ。
住人の起床を確認できた吾輩は、扉を叩こうと近付く。
『婆ちゃん、お早うっす! 手土産持ってきたっすよ!』
その前に大きな歯音を立てながら、いきなりニーナが扉を開く。
入ってすぐの場所は、土間になっているようだった。
突き当りの場所にかまどがあり、誰かがしゃがみ込んでいるのが見える。
声に反応してのんびりと振り向いたのは、湯を沸かし中の老婆であった。
やけに動作が遅いと思ったら、異様なほどに重ね着している。
よく見ればその足元にしがみつく羽耳族の子も、もこもこに服を着込んでいた。
「ふぇっふぇ、こんな朝早くから、この婆に御用ですかのう?」
「バァバ、めし?」
「はいはい、ほら、お湯を飲みなせ」
カップに入れてもらったお湯を、フゥフゥと冷ましてもらいながら幼子はゆっくりと飲み干す。
温まってようやく余裕が出たのか、小ニーナは吾輩たちに気付いて目を大きく開いた。
「たおす!」
『倒す!』
白い息を吐きながら駆け寄ってきた小ニーナは、早速ロクちゃんとじゃれ合い始めた。
少しだけ目を細くしてその様子を眺めていたエイサン婆だが、吾輩が小脇にしていた物に視線を移した途端、首に巻いていた布を口元まで素早く持ち上げた。
『このキノコを知っているのか?』
「ええ、存じておりますが、わしが覚えておるのとは少々大きさが違っておりまして」
くぐもった声で老婆が答える。
わざわざ呼吸器を隠したということは、やはり有害ということか。
背後に控えさせていた下僕骨にキノコを手渡し、外で待つよう命じる。
『……食用に出来るかと思ったのだが、どうやら危険なようだな』
「さて、毒と言われれば毒かもしれませんが、人によっては薬にも成りますからのう」
『回りくどい言い方は結構だ。知っていることを教えてくれ』
『その前に、ほら、トカゲ持ってきてやったっすよ、婆ちゃん! 美味しい朝ごはんにすると良いっす!』
急に会話に割り込んできたニーナが、手桶に入れた皮を剥きたてのトカゲの肉を突き出す。
む、そういえばまだ朝飯を作りかけだったな。
『そうだな、先に食事を済ませるといい』
「ふぇっふぇ、では、支度しながらお話させて頂きますよ」
包丁でトカゲの腹を開いて取り出した臓物を、さっと水洗いしてかまどの上の鍋に入れる。
ついでに尻尾の部分をまるごと放り込んで、塩と乾燥させた香草も投げ込む。
「この尻尾から良い味が出ましてのう。それで、先ほどのキノコですが……」
スライスした黒パンをかまどの手前の網に乗せて、チーズをたっぷりとその上に削り落としながら老婆は小首を傾げる。
どうやらエイサン婆が知っているのは、吾輩たちが取ってきたキノコの三割にも満たないほどの大きさだとか。
名前は舞乱茸。
その胞子を吸い込むと、強烈な幻覚作用が引き起こされるらしい。
そのままだと危険であるが、胞子を含む傘の部分は乾燥させると、かなり効果を抑えることが出来るのだと。
で、干したキノコをどうするのかと思えば、少量を煎じて飲めば強壮剤や興奮剤の効能があるのだそうだ。
それと足の部分は普通に食べても、全く問題はないらしい。あとかなり美味しいとも。
『なるほど。加工すれば薬として使えると言うことか』
「はいな。ただし、あれが舞乱茸と同じであればですがのう」
『幻覚毒を持っているのは確認済みだ。おそらく生えている環境が良いので、大きく成長したのだろう。よし、傘の部分を渡しておこう。薬作りを頼まれてくれるか?』
「ふぇっふぇっふぇ、お安い御用ですじゃ。その代わり、ええ、ちょっとしたお願いがありまして」
片目を器用に閉じながら、老婆は出来上がったトカゲのスープを皿に注ぎ、温まったチーズ乗せ黒パンを横に添える。
「冷めてしまいますから、話は飯の後で良いですかのう?」
『うむ。では吾輩は、外でキノコを処理しておこう』
「メシ?!」
「はいはい、出来ましたよ。ちゃんと手を洗っておいで」
奥のテープルで楽しそうに朝食を食べ始めた二人を置いて、吾輩は一旦外に出る。
そして下僕骨たちに、森の中に入ってキノコの傘と足の部分を切り離してくるように命じる。
人家の近くで胞子を無駄に飛び散らせるのは、避けておいたほうが良さそうだしな。
しかしこのキノコどもが、薬になるとは……。
金に替わるのも良いが、他の使い途にも応用が効きそうだ。
しばらく待つと、ニーナとロクちゃんと小ニーナが家から飛び出してくる。
『食事は終わったのか?』
「たおす!」
『ちょっとおっきな木まで行ってくるっす! ブランコで特訓するっす!』
『倒す!』
『そうか。昼から滝の洞窟に行くから、遅れないようにしろよ』
小ニーナに風邪を引かさないよう気をつけろと付け加えかけたが、よく見ると羽耳族の子供はさらに厚着になっていた。
毛糸の帽子をかぶり、首元も布でぐるぐる巻きされて完全防備のようだ。
老婆の家に再び足を踏み入れた吾輩は、内装をじっくりと眺めてみる。
入り口だけかと思ったら、床は全て硬く踏みしめられた土で覆われていた。
部屋の中ほどに柱が立っており、その手前に食事用のテーブルがある。
奥には寝心地の悪そうな木製のベッドと小さな机があり、机の上には数冊の本やすり鉢などが置いてあった。
その横の棚には、壺や木箱が程よく並べられている。
しかし家具よりも目立っていたのは、梁や壁に大量に掛けられた草たちだった。
カラカラに乾燥しているが、なんとも言えない匂いを発している。
「ふぇっふぇ、このあばら家になんぞ珍しい物でもありましたかのう」
『少しその厚着が気になってな。もしかして、この家はかなり冷えるのか?』
「この格好ですかのう。ええ、年を食うと、寒さがちょいとばかり骨身に染みまして」
『お主は有能な人間だ。病気になられては作業が滞る。早急に対処しておこう』
この村の家はどこも明かり取りの窓がある以上、完全に密封して暖まるということが難しい。
木の格子を嵌めれば、寒風が吹き込んでくるのは多少防げるが、その分とても薄暗くなってしまう。
効率よく光だけを取り入れる仕組みがあれば良いのだが。
と、光といえば――。
『そうそう、まずは苔を移植する方法を聞いておこうと思ってな』
ついでに滝の裏に洞窟があった件と、その中の生態系も説明しておく。
もっともこれはエイサン婆だから明かしたのであって、他の人間には口外しないよう言い含める。
「苔の住み替えは少々難しいですのう。出来れば根っこごと持ってきて、似たような場所を用意しておけばと思いますが……」
『ふむ、それで試してみるか。それと洞窟にトカゲが多いようだが、アイツらの皮は利用出来ないか?』
「その辺りはわしの手には少々余ります。ひとまず、塩漬けにでもしておきますかのう。ほら、春になれば――」
『そうか、革職人を呼んであるのだったな。あとキノコの傘はどうすればいい?』
「そちらは燻製小屋へお願いしますのう。ええ、今はちょっと使っておりませんから」
こちらからの依頼はこれくらいか。
『よし、次はそっちの番だ。頼みというのは何だ?』
「ええ、ちょうどこの時期がピッタリなんですじゃ」
老婆がいい出したのは、意外な頼みごとであった。
森に残っている白桃の木の樹液を、集めてきてほしいと言うのである。
「白桃の木の樹液は、煮詰めると砂糖になりましてのう」
『どうやって採取すればいい?』
「樹皮を少し切って、管を差し込んで手桶に流し込みますのじゃ」
『ふむ、大工に梯子を頼むついで、作ってもらうとするか』
「ふぇっふぇ、お願いしましたのじゃ」
話が終わったので、依頼の成果に関しては次の村会議で報告するよう言い残して家を出る。
さてと、次は村へ依頼に出向くとするか。




