第百四十一話 地底に潜むもの その三
吾輩たちが選んだのは左の通路であった。
理由は単純で、杖がそっちに倒れたからである。
ま、やや傾斜がついていたので、左側に倒れやすいかなとは思ったが。
なだらかな段差のついた通路を、ロクちゃんを先頭に一列になって下っていく。
壁や地面は相変わらず硬い岩に覆われており、人の手が入った形跡は見当たらない。
というか、立ち入った痕跡さえないな。
この洞窟を二足で歩いているのは、吾輩たちが最初かもしれん。
幸いにも通路の幅はそれなりに広い上、天井もときおり杖が届かないほど高い場所がある。
歩くのに不自由がないのは助かるが、多少都合良すぎるような気がしないでもない。
『…………段々と減ってきてるな』
最初は岩陰や天井から感じ取れていた気配も、奥底に潜るにつれじょじょに数が少なくなっていた。
『そういえばさっきのキノコ広場も、ダンゴ虫以外は居なさそうでしたね』
『縄張り的なモノでもあるのか?』
『そりゃあんな勢いでぶつかってこられちゃ、トカゲも寄り付かんだろうさ』
『ふむ、そうなるとトカゲやコウモリが居ない場所は――』
『む、チッサイさんが手を振ってるっす! おーい、どうしたっすか?』
気がつくと十五歩ほど前を先行していたロクちゃんが、吾輩たちに向けて静かに手を上げていた。
静止、警戒の合図だ。
しばし通路の先を覗き込んでいた小柄な骨は、状況の確認を終えたのか吾輩たちに手招きする。
近付いてみると、これまでよりも一層明るい光が、吾輩の頭頂に飛び込んできた。
『これは驚いたな……』
そこは上の広場よりも、さらに大きな空間が開けていた。
壁にはビッシリと緑の苔が生え揃い、淡い燐光をそこら中に投げかけている。
そして違いは、広さだけではなかった。
天井が高いのだ。
さらにその天井からは、長く伸びる影が大量にぶら下がっていた。
キラキラと光に照らされながら、白く輝くそれは――。
『氷柱じゃなさそうですね』
『うーむ。どうやら岩のようだが』
『面白いっすね! 天井から石の柱がいっぱい生えてるっす。あと、アイツら何してるっすか?』
『おい、言ってやるなよ。頑張って擬態してんだろ』
『倒す!』
天井から無数に伸びる細長い円錐状の石柱。
それらに混じって、そっくり同じような格好をした生き物がぶら下がっていたのだ。
多分、視覚に頼る生き物であれば、容易に誤魔化せたとは思う。
が、生命感知を持つ吾輩ら相手では、簡単にお見通しという奴である。
『ここからだと武器が届きそうにねぇな。頼んだぞ、ゴーさん』
『仕方ない。頼まれてやりますか』
さっと弓を持ち上げて、五十三番が石柱に混じる生き物へ的を絞る。
空気が揺れると同時に、風を切って真っ直ぐに矢が飛んで行く。
根元あたりを狙った矢は、鈍い音を発して目標に突き刺さることなく弾かれた。
ブルッと矢を射掛けられた石の柱が震え、その先端がグイッと吾輩たちに向けられる。
次の瞬間、石柱に擬態していた細長い生き物の口あたりから、ビュルビュルっと液体が吹き出した。
『何か白いのが出たっす!』
『下がれ!』
待ち構えていたタイタスが、黒磁鋼の盾で受け止める。
液体は盾の表面を滑り落ち、地面に落ちると薄い煙を上げ始めた。
『溶けているのか!』
液体をかぶった地面がへこんでいく有り様を目撃した吾輩は、急いで溶けていく部分へ手を伸ばす。
だが間に合わず、水の精霊たちを集める前に岩の奥へと染み込んでしまった。
『おい、危ねぇぞ、吾輩さん!』
咄嗟に首筋を掴まれて、後ろに引っ張られる吾輩。
一拍子遅れて、そこに新たな液体が命中し、またも溶かされた地面から煙が昇る。
『遠くからズルいっす! 長剣を持ってくるべきだったっす』
『倒す!』
『む、了解っす。チッサイさん!』
まぁ、あの高さならハンデにもならんか。
駆け寄ってきたロクちゃんは、ニーナの曲げた膝を踏み台にその肩へと一瞬で飛び移る。
そのまま膝を伸ばすニーナの動きに合わせ、ロクちゃんは軽々と跳躍した。
天井近くまで一気に詰め寄ったロクちゃんは、両手の短剣を交差させるように振り切った。
しかし、またも聞こえてきたのは、革袋を叩いたような鈍い音であった。
傷を負った様子もない石の柱は、続けざまに溶解液を空中に吹き付ける。
すかさず動かない普通の石柱を蹴って、液体を素早く回避するロクちゃん。
避けたせいで、足場にされた石柱はもろに白濁した液体を浴びる。
煙を上げながら、中ほどで溶かされた石柱の先端部分が吾輩たちへと落ちてくる。
ついでに宙にばら撒かれた溶解液も、雨のように降り注いできた。
『うわわっす! それ危ないっすよ』
片手剣で落ちてきた石柱を器用に薙ぎ払ったニーナだが、溶解液の雫を浴びた布地の部分からは煙が白く上がっている。
こちらの攻撃が通じないとなると、この距離はかなり不利だな。
下がれと命じようとした瞬間、ブスリと暴れる石の柱に矢が刺さる。
なるほど、刺さりそうな場所が一箇所だけあったか。
液体の噴出口に矢を突き立てられた細長い生き物は、狂ったように頭を振り始めた。
だが数秒もしない内にその動きがゆっくりとなり、やがて静かになる。
そしてズルリと天井から抜け落ちたソレは、地面にぶつかると動かなくなった。
『やるねぇ、ゴーさん』
『うむ。あの状況で、よく弱点を見抜いたな』
『ふぅ、麻痺毒が効いて助かりました。毒が無効化されてたら、逃げの一択でしたね』
『倒した!』
『なんか気持ち悪い生き物っす!』
地面に横たわる元石の柱は、手も足もなく蛇のような姿形をしていた。
ただし顔に当たる部分には眼球らしき物も見当たらず、口っぽい穴が開いているだけである。
太さはタイタスの背骨を超えるほどで、長さもその身長に達するほどだ。
『これって、もしかしてミミズか?』
『それっぽいですけど、ダンゴ虫に続いてかなり大きいですね』
『うむ、釣り餌にするのは難しそうだな』
『お、触ってみろよ。何だこれ、おもしれぇな』
タイタスに促されて、その白く滑る胴体に触れてみる。
指先が沈むのだが、ある一点を超えた瞬間に全体が硬くなってしまう。
なんとも形容し難い感触である。
あえて言うなら、柔らかな石といったとこか。
『この表皮のせいで、矢も剣も通じなかったんですね』
『倒す!』
『なかなか面倒な相手だったっす!』
命数は5、魂力は15ほど。
数値で見れば剣歯猫にも及ばないが、環境を味方につけるだけでその脅威は数倍に跳ね上がるのか。
『それはそうと平気なのか? ニーナ』
『あ! なんか溶けてたっすね』
慌てて小さな穴が開いた布のズボンをめくるニーナ。
見ると骨に少しだけくぼみが出来ている。
『骨まで溶けてるっすね。あとちょっと治りが悪いみたいっす』
『タイタスの盾は大丈夫のようだな』
『ニーナさんの鉄鎧も、ほんの少しだけ溶けてますね』
一部の金属まで溶かせるのか。
うむむ、もしかしてこの洞窟を作ったのは、こいつらの仲間かもしれんぞ。
『ところでさっきから、ちょっと変な臭いしません?』
『倒す!』
『あ、それ、俺っちも感じてたっす。てっきりデッカイさんがオナラでもしたかと』
『なんでだよ! そりゃ俺は腹が空くが、屁なんぞしたこともないぞ』
確かにこのミミズ広場に入った時から、奇妙な臭いは漂っていたな。
どこかに臭いの発生源があるのかもしれん。
振り向いて広場の奥へ顔を向けたその時、唐突に吾輩の胸の内で甲走った音が鳴り始めた。