第百四十話 地底に潜むもの そのニ
こっちに飛んでくる黒い塊。
このままだと吾輩の胴体にもろに当たるな。
胴を構成する骨は、末端再生の対象外だ。
今、破損すれば探索を中断する羽目になってしまう。
それに肋骨内で寝てるカラスのムーも何気に危ないか。
――間に合うか。
咄嗟に革袋を持ち上げて球体の進路を塞ぐ。
同時に袋の中身に、集中力を注ぎ込む。
真っ直ぐ突っ込んできた黒い影は、水のたっぷり入った革袋に激突した。
水面を叩くような派手な音と同時に、押し出された空気が吾輩のローブを揺らす。
ここだ!
ぶつかった瞬間、水の精霊を一点に集め――水凝!
空中に固定されたことで、衝突の力は革袋全体に走り抜ける。
耐えきれず破裂する袋。
だがその中身は、吾輩の命令によって空中に留まっていた。
固まった水は飛来した球体を、ガッチリ食い止めてくれている。
勢いを止められた物体は、球体を解きながら真下へボタッと落ちた。
その後を追うように、水の塊も地面へ降り注ぐ。
ふぅ、上手くいったな。
危機と呼ぶほどでもないが、何とか無傷で切り抜けられたか。
『大丈夫ですか? 吾輩先輩』
『ああ、矢の援護のおかげだ。ありがとう』
一矢目を弾かれた五十三番だが、球体が壁に跳ね返った瞬間、すかさず二矢目を撃ち込んでくれていたのだ。
真横から射抜かれたことで球体の形が崩れ、そのせいで威力が落ちたようだ。
『水を固めて盾を作ったのか。やるな、吾輩さん』
『ここでは土の壁は作れんからな』
硬い岩を瞬時に動かすのは、まだ吾輩には不可能である。
なので代わりに池の水を固めた技を防御に応用してみようと、革袋に水を汲んできたのは正解だったな。
『ご、ごめんなさいっす――』
『すまなかった、ニーナ』
『なんでワーさんが謝るっすか! 今のは俺っちが悪いっすよ!』
『いや、その前に釣りに誘わなかった件を謝っておこうと思ってな。次からはちゃんとお前にも確認しよう』
常に一番に拘るニーナであるが、その競争意識は相手が居るからこそ成立する。
つまり集団に属してこそ、ニーナの欲求は初めて満たされるのだ。
だから集団から外される行為は、ニーナにとってかなり嫌なことだと言える。
そうならないために必要以上に張り切ったり、実力を見せつけようとして、さっきのような失態を招いてしまったのだろう。
つまり今回の原因の出どころは、吾輩自身にあると言っても過言ではない。
吾輩もまだまだ指導者として、不足してる部分が多いということか。
うむ、精進せねばな。
『良いか、ニーナ。お前は吾輩たちの中でも一番か二番目に強い』
現在の時点では多分、タイタスが最強だと思うが、ややこしくなるので言葉を濁しておく。
脱いだ兜を脇に抱えたまま、キョトンとするニーナに言葉を続ける。
『しかしだな、今の注意力の欠けた様では最下位だと言って良い』
『う、その通りっす。今の俺っちはダメダメっす』
『そう焦るな、ニーナ。お前が本来の力を出せば、必ず一番の活躍を見せてくれるはずだと吾輩は信じているぞ』
『そこまで褒められると照れるっす。やっぱ俺っちが一番に一番だから、しょうがないっすね』
『おいおい、そんな調子に乗せるとまた絶対にやらかすぞ』
呆れた歯音を上げるタイタスに、吾輩はこっそり奥歯を打ち鳴らす。
『この中で消滅しそうな目に合ってないのは、ニーナだけだからな。どうせなら立ち直せるついでに、あれを一度くらい経験させておきたい』
『また面倒なことを……。まぁ、確かにその意図はわかるがな』
走馬灯を見ろとまでは言わないが、今の力では敵わない相手が居ることだけは絶対に学んでおいてほしいからな。
吾輩たちも数々の失敗を経て、今の慎重さがようやく持てたのだ。
『倒した!』
『おっと忘れてたな。さっきの奴の正体は何だったんだ?』
地面に落ちた黒い何かは、ロクちゃんが剣の先で押さえつけてくれていた。
早速、ジタバタと暴れるソレを覗き込む。
でっかい虫だった。
ロクちゃんの頭骨ほどの体は楕円形をしており、仰向けになった腹の部分からは短い足が十本以上生えている。
剣を収めたロクちゃんが、虫の体を持ち上げて見せてくれた。
途端に虫は背を丸めて、球形に戻ろうと足掻き出す。
あらためて見ると虫の背中の部分は、黒い甲殻がつなぎ合わさったようになっていた。
『これって、ダンゴ虫か?』
『やけに大きいですけどね。こいつも黒いのか……』
命数は3で魂力は5だが、飛んできた瞬間はもっと魂の影は大きかったな。
『瞬発力型って感じですか。あの体当たりさえ防げれば、そう怖くはないと思いますね』
『見ろよ、キノコに齧った跡があるぜ。これが餌なんだろう。……食い物取られそうになったんだ。そりゃ怒るぜ』
『キノコの気配と混じり合って、どうにも居場所が分かりにくいな』
『倒す?』
『正体さえ分かれば余裕っす! ここは俺っちにお任せあれっす!』
いきなり踏み出すと同時に、ニーナは両手で握った片手剣を地面スレスレに横薙ぎに走らせた。
根本を切断され、バタバタと倒れるキノコたち。
次の瞬間、数匹の黒い塊が一斉に飛び出してくる。
『ちょっ! おい!』
腰を落とし右手で剣先を突き出すように構えていたニーナは、即座に虫どもを迎え撃った。
捻りを加えた突きのような一撃が、次々と飛来する球体を切り落とす。
正直、動きが速すぎて、後半はほぼ捉えることが出来なかったほどだ。
鮮やかな一撃を側面から加えられたダンゴ虫どもは、地面にぶつかると同時にその防御姿勢が解けてしまう。
五十三番が矢を横から撃ち込んで、丸まっているのを解いたのをちゃんと見ていたか。
飛び出してきた五匹のダンゴ虫は、一瞬の内に半死状態となって全て地面に転がってしまった。
その景色を眺めながら、吾輩はそっと歯音を鳴らす。
『本気になると凄いんだがな……』
『調子に乗せた吾輩先輩のせいですよ。ああなったら、もう手がつけられませんね』
『その時はその時だ。大丈夫、きっとタイタスが何とかしてくれるさ』
『俺かよ!』
『倒す!』
『ああ、ロクちゃんもダンゴ虫叩きやりたかったのか。でも、今日はこれくらいにしておこうか』
キノコが食用になるかどうか、まだ分からんしな。
一旦、滝のところまで戻った吾輩たちは、下僕骨たちにダンゴ虫とキノコを洞窟まで運ぶよう命じる。
ついでに新しい革袋に、滝の水も詰め込んでおいた。
再び、三叉路まで戻った吾輩は、左右に別れた道を見ながら皆に問い掛ける。
『…………さて、どっちに進もうか、諸君』