第百三十八話 滝裏の潜窟
滝の裏に隠されていた穴の大きさは、吾輩の背丈よりもやや大きいくらいか。
反響定位で浮かぶのは洞窟の入口の位置だけで、奥行きがどうなっているのかはここからでは分からない。
生命感知に引っ掛かるような気配もないようだ。
『どうやら、この寒さのせいで滝の水が凍り、水量が減ったことで……』
『水の壁が薄くなって、その奥まで見えるようになったということですかね』
薄いといっても、落ちてくる水の量はまだそれなりに多い。
音が視れる吾輩たちだからこそ、気付けたというべきか。
現に子供たちは、滝を眺める吾輩たちを不思議そうに眺めている。
と思ったら、坊主頭の元農奴の子が大きなくしゃみをした。
『滝の側は寒いか。風邪をひかれでもしたら不味いな。お前たちは先に戻れ』
「師匠たちはどうされるんですか?」
『少し用事ができてな。釣りはまた暖かくなってから再挑戦するぞ』
「はい、楽しみにしてます」
下僕骨二体に、アル達を村まで送り届けるよう指示する。
連れてきた骨は、これで残り六体か。
全く見知らぬ場所を探検するのは、やや戦力が足りないな。
そう、すでに吾輩はやる気になっていた。
『でも、ただの窪みかもしれませんよ』
『そうか、滝の落水で削られた可能性もあり得るな。それで確認しようと話していたのか。よし、頼むぞ、ロクちゃん!』
『たおーす!』
間延びした歯音とともに、小柄な骨は助走もなく水平に跳ねた。
滝壺を簡単に飛び越えた骨の体は、やすやすと滝を突き抜けその奥へと辿り着く。
体重を鮮やかに殺し、音もなく穴の縁に取り付くロクちゃん。
そのまま首の骨を伸ばし、そっと洞窟の奥を覗き込む。
ロクちゃんの視界を共有し、吾輩たちも中の様子を窺った。
横穴は奥の方まで続いていた。
床は水平ではなく、なだらかに隆起している。
天井や壁も均一ではないので、人が作ったものとは明らかに違うようだ。
『自然の洞窟みたいですね』
『それにしては、少々変わっているな』
洞窟の壁は剥き出しの土でなく、岩が固まったような感じである。
どのような経緯で出来上がったのか、非常に気になるな。
『ロクちゃん、ちょっとだけ中を探ってきてくれ』
『倒す!』
腰の短剣を抜いたロクちゃんは、スタスタと洞窟の中へ足を踏み入れた。
恐れも油断も全く見せない、その平常運転な姿は大変頼もしい。
数分もしない内に、滝の裏側にスイっと小柄な頭骨が覗く。
戻ってきたロクちゃんの手に握られていたのは、小さな生き物の気配だった。
キーキーと懐かしい鳴き声を放つそれは――。
『コウモリか!』
『こんなところを棲み家にしてたんですね』
『生き物が居るということは、中は暖かいようだな』
『かなり期待できますね。で、どうしましょう?』
五十三番が疑問を抱くのは当然である。
すでに洞窟内を探検するのは確定済みだ。
ただ問題があるとすれば、その探検隊員の選抜方法だろう。
滝壺の幅は、軽く見ても十五歩前後。
滝を迂回して、裏側に回れるような径路は見当たらない。
つまりこのままでは、下僕骨たちには辿り着けない場所なのである。
『木を切り倒して橋は……、難しいか』
滝の左右はゴツゴツした岩場のため、橋を架けるのは無理そうだ。
平たい地面である岸の部分からだと、ちょいと遠すぎて安定しないだろう。
それに滝の水飛沫を浴びながら、滑りやすい木の上を渡れというのは下僕骨には厳しすぎる。
『洞窟側から縄で引っ張る……、壊れてしまうか』
勢いのある水の流れに逆らって、無理やり引き上げたりすればバラバラになってそうだな。
それに装備を含めると、下僕骨たちは結構重い。
途中で縄が切れてしまう可能性もある。
『面倒な場所ですね。今回は三体だけで行きますか?』
『いや、安易な判断で痛い目に遭ってきたからな。先行きが分からん場合は、可能な限り最大限の戦力を注ぐべきだ』
吾輩はローブをはだけて、胸部を表にさらす。
そこに居たのは、吾輩の肋骨内で居眠り中のカラスであった。
軽く指で突いて起こすと、ムーは白い膜を開いて吾輩を見上げる。
『ムー、タイタスとニーナをここに呼んできてくれるか』
『…………ギャァ』
拒否の鳴き声を上げるカラス。
ふむ、外は寒いから仕方ないな。………なんて吾輩が許すと思うか。
止まり木にさせていた骨角を背骨の中に引っ込める。
足場を失ったムーは、諦め顔のままストンと地面に降り立った。
『ほら、急いでくれ』
釣り餌のミミズを投げると渋々といった感じで一呑し、カラスはそのまま空へ舞い上がった。
しばらく待っていると、こちらに近付いてくる揺れを足元から感じ取る。
次いで白い息を吐きながら巨大な一角猪が、川沿いの岩場を駆け抜けてくる姿が見えた。
その背中に跨る二体の大きな骨たちも。
吾輩らに気付いたのか、長剣を背負った骨がブンブンと手を振ってくる。
『何かあったのか? 吾輩さん』
『こんなところで何してたっすか? あちこち探してたっすよ!』
『ああ、今日は溜池に釣りに行ってたんだが――』
『釣り! なんで俺っちも誘ってくれてないんっすか!』
『うるさいから』
『う、うるさくないっすよ!』
『魚が逃げるだろ』
『逃げる方が悪いんすよ!』
『それじゃ、釣りにならんだろ!』
『落ち着け、二体とも。釣りはともかく俺たちを呼んだ理由はなんだ?』
タイタスの言葉に我を取り戻した吾輩は、肩甲骨から力を抜く。
そして背後の滝をクイッと指差した。
『釣りは戦果なしだったが、ロクちゃんが面白いものを見つけてな』
『お、何っすか、アレ!』
『ほほう、隠し洞窟か。……美味そうな匂いが漂ってきてるな』
好評なようで何よりだ。
ニーナの肩に留まっていたムーを肋骨内に収納しながら、分かっていることをザッと説明する。
『なるほど、これは下僕骨を連れて行き辛いな』
『洞窟っすか。長剣だとキツイっすね。よし剣を交換するっす!』
下僕骨から片手剣を奪い取るニーナ。
確かにあの天井の高さでは、長い剣を振りかぶるのは不向きだな。
『で、俺たちはどうやってあそこまで行くんだ?』
『ふむ、それなんだが』
岸から直接、飛び移れるのは、ロクちゃんくらいである。
だから吾輩たちは、もっと近く――。
滝の横の岩場が、洞窟への最短距離であるが……。
正直、他に方法がないかと色々と考えてみた。
土の足場を造ろうにも、滝の周りは堅い岩ばかりで動かせない。
水の足場は、流れが激しすぎてもっと無理。
縄を張ることも考えたが、洞窟側に結んでおける場所もない。
『…………結局、この方法が早いということになってな』
タイタスの背中にしがみつき、周囲の景色を全く見ないよう心掛ける吾輩。
こんな時、目蓋さえあれば本当に助かるのだが。
骨の体に生まれたことを呪うしかない。
ゆらりと揺れるたびに、吾輩の失った心臓が音を立てる。
だが大きな骨は全く気にする素振りもなく、岩のわずかな突起を手掛かりに滝の裏へと近付いていく。
ほんの数歩の距離だが、手を滑らすと落下する水に巻き込まれて真っ逆さまだ。
だがタイタスは吾輩を背負ったまま、岩壁を伝って洞窟に到着してみせた。
やはり頼りになる骨だな、タイタスは。信じてたぞ!
ちなみに五十三番とニーナは、岩場から飛び下りてすでに洞窟に到着済みだ。
『よし、気を取り直して、探索を始めるぞ!』
『もうとっくに行っちまってるぞ、あいつら』