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第百三十七話 冬の池


 

 水面を渡る風がさざなみを刻みながら、吾輩たちのもとへと押し寄せてくる。 

 冷え切った空気に全身を包まれた少年たちは、こぞって身震いしてみせた。


 剥き出しの手は赤くかじかみ、唇も軽く紫色に染まりつつある。

 しかし水っぱなをすすりながらも、子供たちは釣り竿を握る手により力を込めてみせた。

 白い息を吐きながら、水面をじっと見つめ続けている。


 必ず釣り上げてみせるという、その意気込みの表れに吾輩は静かに頷いた。


 年が明けて二週間。

 すでに丸芋の備蓄は残り四割を切っていた。

 種芋の分を残す必要もあるので、これ以上消費し続けるのはかなり厳しいと言える。


 どうしようかと思案した結果、吾輩はふと去年の夏前の出来事を思い出した。

 勝負を挑んだが、連敗し再戦を誓ったあの日のことを。

 それと先日、アル少年が語った上流ならもう少し釣れやすいのではとの言葉も。

 そうか、生き物の多くは姿を隠してしまったが、まだ確実に潜んでそうな場所があったな。

  

『よし、釣りに行こう!』 

『吾輩先輩、息抜きは大切ですけど……』

『倒す!』

『いやいや、煉瓦焼きに飽きたとかじゃないぞ。ほら、前に溜池に子供たちと行ったことがあるだろ』

『ああ、ありましたね。龍の雨季が終わった頃でしたっけ』

『あの時、池に大物がいて釣り糸を切られたんだが、それを釣れば食料の足しになるんじゃないかと思ってな』


 このところ、朝の水桶に薄っすらと氷が張ってしまう寒さ続きである。

 ちゃんと釣りが出来るかは怪しいが、試してみるくらいは良いだろう。


 そんなこんなで釣り弟子たちを引き連れた吾輩は、再びこの溜池に挑戦に来たというわけだ。

 参加者はアルと元農奴の子三人。

 チビっ子たちは寒いからと、欠席である。

 ロナも来たがったが、子守と宿屋の手伝いに追われて涙ながらに諦めていた。


 あとは見張り役として五十三番、用心棒としてロクちゃんが同行している。

 タイタスも誘おうかと思ったが、釣り竿に全く関心を示さなかったので止めておいた。

 ニーナはうるさいので置いてきた。


『それで、今回は大丈夫なんですか?』

『うむ、よくぞ聞いてくれたな。見てくれ、これを』


 まずは竿だが、いつも使っている物より一回りほど太い。

 頑丈だがしなりが悪く、当たりに関する感度も悪い。あと子供が持つには、少々重いかもしれない。

 だがこの太さであれば、折られることはまずないだろう。


 次に釣り針であるが、これは骨製から鉄製に変わった。

 鍛冶屋どもにあれこれ細かい注文をつけて、かなり困らせてしまったが、会心の物が出来がったと自負している。


 最後の釣り糸だが、これも特別な物を用意した。

 なんと水棲馬のたてがみの毛を、より合わせて作ったのだ。

 この青みがかった毛は、細いがとても丈夫で水に対してもかなりの耐性持ちである。

 まさに釣り糸になるために生えてきたと言っても過言ではない。


 この完璧な組み合わせにより、今日の釣果は確約済みだと言い切れよう。


 久々に訪れた池は、前よりももっと池らしくなっていた。

 いつの間に生えたのか、半枯れになった水草が岸をぐるりと覆っている。

 藻が混じった水は青緑色となって、底の様子を全く見せようとしない。

 しかし水底に潜む大物の気配は、ハッキリと伝わってきていた。


『ふむ、底のほうがやや水温が高いのか。ちょっと遠目に竿を振ったほうが良いな』

「この池、前よりも大きくなった気がしますね、師匠」

「こんな大きい水溜まり、初めて見たべ!」

「……うん、すごいね」

「今日は教母様にお魚、いっぱい届けるべさ」


 早速、持ってきたミミズを針に付け投げ込む吾輩たち。

 大量の冷えた水が近くにある上、風を遮ってくれそうな樹林もない。

 かなり寒いかと思ったが、子供たちは何とか耐えているな。


 それに今日は、やや厚着をしているようだしな。

 村人たちのお古の服が、元農奴たちにも行き渡ってきたか。


 気配はしているし、装備もやる気も十分だ。

 これで釣れないほうが不思議だと確信しつつ、竿を振ること一時間。 

 なぜか誰一人、当たりが来ない。


 そうそうに飽きたロクちゃんは、池の周りの散歩に出かけてしまった。

 五十三番と下僕骨たちは行儀よく待ってくれているが、何というか骨たちの視線に、なぜか分かるはずもない寒さを感じてしまう。

 違うぞ、遊んでるんじゃないぞ!

 これはれっきとした食べ物探しだから!


『倒す!!』


 不意に響いてき歯音に、吾輩は顔を上げた。

 声の主であるロクちゃんは、向こう岸で手を振り回している。


 その視線の先にいたものは――。

 茶色と白い毛の混じった水鳥であった。


 ニ羽が池の中央付近に悠々と浮かんでいる。

 釣りに夢中になって、飛んできたのに気づかなかったようだ。


 鳥の命数は、遠すぎてよく見えない。

 能力があるか仕留めて確認したいが、肝心の場所が不味い。


『……弓だと行けそうですが、沈んじゃいますね』 


 五十三番の指摘通り、広くなった池の真ん中だと回収方法がないのだ。

 ロクちゃんもそれを承知しているのか、悔しそうに地団駄を踏んでいる。


『岸に寄ったところを狙うしかなさそうだな。いや、ちょっと試してみるか』

 

 思いついた吾輩は、竿を下僕骨に渡し水面に手を伸ばす。

 たっぷりと溢れかえる水の精霊たちに、吾輩の手骨に集まるよう命じる。

 ――水凝。


 水を一点に集め、凝縮させていくイメージ。

 よし、こんなものか。


 固めた水の上に趾骨をそっと乗せてみる。

 うむ、沈まないな。

 水面に立ってみせた吾輩の姿に、次々と息を呑む音が聞こえてくる。


「……………………オラの目がおかしくなったべか?」

「ど、ど、どうなってるの?」

「団長様は神様の使いだって、ロナ様が言ってたべ! あれ、本当だったべな……」


 元農奴の子供たちは、竿を置いて一斉に地面に這いつくばってしまう。

 なんだか、これほど畏まられると新鮮さを感じるな。

 

 と、良い気になってみたが、実はこれ以上歩けそうにない。

 吾輩の体重を支えるのに、予想以上に精霊を集める必要があったのだ。

 

 おかげで次の足場を作る精霊分が、周りからなくなってしまっている。

 このまま水の塊を前にずらせばと思うが、固定されたかのように足元から動こうともしない。


 どうも水の精霊自体は動かしやすいが、引っ張ってこれる範囲はかなり狭いのか。

 それと一旦集めた位置から、自在に動かすのも難しいようだ。


 諦めた吾輩が岸に戻ろうとしたその時、水面が急に動いた。

 大きな波が伝わってきたことに気付き、急いで顔を上げる吾輩。

 が、事はすでに終わっていた。


 ニ羽の水鳥は跡形もなく消え去り、それらが居た場所にはただ赤く波紋が広がっている。

 わずかに目を離した一瞬の出来事であった。


『何があった?』

『水中から、何かが飛び出して……、剣先のような尖った物です』

『それで?』

『鳥の首を切り落とすと同時に、池の中に引きずり込みました』

『誰かが水の中に潜んでいたのか?』

『そのようにも見えたんですか。そこまでハッキリとは』

『倒す! 倒す!』


 獲物を横取りされたロクちゃんが、怒りの歯音を上げている。

 いや、相手は水中に居るっぽいから、戦いようがないだろう。


 というか、危うく吾輩も水鳥と同じ目にあうところだったな。

 この池には棘亀の他にも、ヤバそうな何かが潜んでいるらしい。

 そうか、前に糸を切っていたのは、それの仕業か!


『むむむ、残念だが、今は手の打ちようがないな』

『どうします? 吾輩先輩』

『普通の魚も食われてしまった可能性が高いな。仕方がない。今日は無念だが引き上げるとするか』


 道理で何も釣れないはずだ。 

 折角、とびっきりの釣具を用意したのにな。


 むなしく奥歯を擦り合わせながら、下僕骨に命じて崖を下る。

 無事、下まで辿り着けた吾輩を出迎えもせず、なぜか五十三番とロクちゃんは滝を指差して話し込んでいた。

 薄情な二体である。


『やっぱり、これって――』

『倒す!』

『そうですね。ちょっと確認してみましょうか』

『何をだ?』

『見てください、吾輩先輩。いや、聞いてくださいか』


 五十三番が、水飛沫を上げ続ける滝を指差す。

 あんまり景色を見たくないので、ほとんど滝の方には注意を向けていなかったのだが。


 む、あまり飛沫がないな。

 よく見ると寒さのせいか、滝のあちこちに大きな氷柱が出来ている。

 そのせいで水量も、いつもより減ってしまっているのか。


 おかげで滝壺を打つ音が、前よりもクリアに聞こえて――。


『…………何だ? あれは』


 薄くなった滝の流れの裏側。

 そこに水音の反響が浮かび上がらせていたのは、パックリと口を開けた洞窟の姿であった。



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