第百三十二話 小さな改善
『その前に今更だが、お前たち仮面はどうした?』
亜人だとバレないように、豚鬼たちも顔を隠していたはずだが。
「あれ、喋りにくいです」
「暑くて、鼻に汗かく」
「角、見せてない。ばれない」
『そんなものなのか……』
確かに目立つ鼻であるが、そういった顔立ちだと言い切れば誤魔化せる気がしないでもない。
現に騒ぎになっていない時点で、大丈夫なようだしな。
『今回は許すが勝手な真似はするな。次からはちゃんと吾輩の判断を仰げよ』
「分かりましたです」
「肝に銘じた」
『それと今後のことだが……』
逃げてきた農奴から、鉄製品の臭いがしたというのはどうも怪しい。
子爵領の農奴たちは木製の農具しか与えられてないと、村長が語っていたしな。
『鉄の臭いがしたって男たちの顔を覚えておけ。ただ、それ以上は無理に探ろうとするな。お前たちは目立つからな』
まず考えられるとすれば、たまたま流れ者が農奴に混じって逃げ込んできた線だ。
しかし、豚鬼たちが気付いただけでも、七人から八人は居たという。
流石にこれまでの事件を考えて、偶然で片付ける訳にも行くまい。
そうなると盗賊どもが性懲りもなく忍び込んできた可能性か、もしくは農奴に逃げられ過ぎて業を煮やした子爵側が手先を潜り込ませてきたか。
どっちにしろ、ちゃんと数を把握するまでは下手に動きにくい。
逃げられたり、人質騒ぎになると勿体ないしな。
「でも、みんな、あまり外出てこないです」
『ふむ。それなら、ここの食料の配給はお前たちに任せるか。家に届ける時に中を覗くことくらいは出来るだろ』
「たぶん、出来ますです」
『いいか。くれぐれも贔屓したり、横取りしたりするんじゃないぞ。それと煉瓦の家だが、あといくつ建てれば良い?』
「えっと、十、……八、いえ、五軒です」
『なら五軒分の煉瓦を焼いてやろう。ただし組み上げるのは、お前たちだけでやれ。下僕骨は出さんぞ』
吾輩の宣言に、グニルたちは小さな目をまん丸にする。
今回の件を許してやるんだ。
むしろ、この程度の罰で済んでありがたく思えよ。
それに怪しい輩が潜んでいる場所に、下僕骨たちをあまりウロウロさせたくないというのもあるがな。
『よし、話は以上だ。吾輩は焼き場に戻るとするか』
『じゃあ、俺っちも一緒に帰るっす』
明らかにホッとした顔になる豚鬼たち。
もうちょっと釘を刺しておくか。
『良いか、調子に乗って、女どもに余計な話をするなよ。また首輪付きの生活に戻りたくはないだろ』
吾輩の言葉に生唾を飲み込みながら、豚鬼どもはゆっくりと顔を縦に振った。
でも、こいつら欲望に忠実だから、きっとまた何かやらかすだろうな……。
踵骨を返した吾輩は、石橋を渡り広場へ向かい――。
その途中、川の少し上流でたむろする見慣れた面々に気付く。
橋を渡りきった吾輩は左へ曲がり、子供たちが集まる場所へと足を向けた。
「こんにちわ、み……団長様」
「こ、こんにちわ」
「えっと、こんにちわ」
川の流れに面した石段のところに居たのは、ロナと鍛冶屋のアンソニーとネリーナ兄妹、あと大工の息子ベルスであった。
赤毛のベルスだけ、声に出さず無言で頭を下げてくる。
『何をして……、洗濯か』
「はい、綺麗にしてます」
少女の傍らの木の籠に山と積まれていたのは、汚れた衣類やシーツたちだった。
それらを冷たい川の水に浸した後、平たい大きな石に押し付けて、上から木のヘラでこするようにして汚れを落としている。
洗濯を続ける子供たちの手は、寒さのせいか真っ赤になっていた。
「うう、もう駄目! ロナちゃんお願い」
「はーい」
音を上げた妹がかじかむ手を差し出すと、ロナがそっと両手で包み込んだ。
見る見るうちにネリーナの手の血色が元に戻っていく。
痛みが薄れていくのが心地良いのか、少女はとろけたような表情を浮かべていた。
「はい、これで平気?」
「うん! ありがとう」
「次、僕も良いかな?」
「はい、手を出して」
「ああ、気持ち良い。いつも、ありがとう……ロナ」
少女に手を握って貰った兄の方は頬を赤く染めている。
これはウカウカしている場合じゃないぞ、アル。
しかし、この時期に川で洗濯とは、中々に大変そうだ。
下僕骨を貸してやりたいところだが、汚れを落とせという曖昧な命令では失敗するのは目に見えている。
『ダメダメっすね。もう効率よくやったほうがイイっすよ』
『洗濯に効率とかあるのか?』
『上から擦るだけじゃなくて、下からも擦れば良いんすよ』
『言いたいことは分かったが、説明が下手過ぎるぞ』
要は木ベラで擦り付けるなら、平たい石よりも突起があった石のほうが裏からも擦れて、汚れが落ちやすいってことだな。
『小さな棘を一杯、付けたような石か。それは加工が難しいな』
「棘だと洗濯物が引っ掛かって、破れてしまうかもしれません」
『ならもっとなだらかな波状の……。そうだな、吾輩たちの肋骨のような感じか』
段々の形に曲線を重ねていけば、木べらでもスムーズに擦りやすいしな。
ふむ、ちょっとやってみるか。
子供たちを脇にどかし、洗濯に使っていた洗い石へ手をつける。
綺麗に並ぶ肋骨をイメージして……、土の精霊を一気にかき集める。
むむ、やはり硬い石だとそう簡単には動かんか。
それでも強引に石をへこませていく。
出来上がりは思っていたよりも浅かったが、何とか溝らしきものを刻むことができた。
「す、凄いね。お兄ちゃん」
「う、うん。どういう仕組みなんだろう」
「ありがとうございます。御使い様」
子供たちは、キラキラした目で吾輩を見上げてくる。
ただ赤毛の少年だけが、食い入るように溝がついた石を見つめていた。
「あの、これ、木で作っても……?」
『うん、その石をか?』
初めて声を聞いた気がするぞ。
なるほど、大工の子ならではの発想か。
持ち運びができると、何かと楽かもしれんな。
『好きにすると良い。村のためになることなら吾輩は何でも歓迎するぞ』
そう言いながら、ロクちゃんの真似をして少年の頭を優しく撫でてやる。
たちまち少年は、頬まで赤く染めて俯いた。
同時にロナの目が急に細くなる。
少女は割り込むように、いきなり声を上げた。
「あの、み……あ、団長様。新奉祭には来られるんですか?」
『シュラーが言っていた年明けの集まりか。うむ、寄らせてもらうぞ』
『なんすかそれ? 俺っちも行きたいっす』
吾輩の返事に、少女は嬉しそうに顔を綻ばせた。
うむ、洗濯用の施設というのも有りだな。
暖かなお湯で洗えるような場所を考えておくか。
『ところで、どこへ行く気だ? ニーナ』
『チッサイさんのとこっす。お祭りがあるって、教えてやらないとっす』
『そうか。場所は分かっているのか?』
『今頃なら、川原に集まって釣りしてるっすよ』
それは聞き捨てならんな。
吾輩も少し顔を出しておくか。
子供たちに手を振って別れを告げた吾輩たちは、そのまま川の上流へ足を向けた。