第百三十一話 モテ期
年の瀬が迫り、随分と風も冷え込んできたようである。
……もっとも吾輩には、さっぱり感じ取れないが。
久しぶりに顔を出した村の広場では、何枚も重ね着した村人たちが足早に行き交っていた。
川が近くにあるせいで余計に寒いのだろうか。
皆、一様に前屈みで、少しでも顔に当たる風を減らそうとしている。
寒さが増したことで、明らかに人通りは減っていた。
そういえば橋造りの石工たちも、今は王都に帰ってしまっているな。
次の騎士団用の建物は、春から取り掛かる予定だそうだ。
教会前の長椅子に腰掛けたまま、吾輩は肩のカラスとともに人々の様子を眺めていた。
意外な発見や改善点は、地道な観察からもたらされることが多いからな。
どうも一番の人気場所は井戸のようだ。
ひっきりなしに誰かが訪れては、汲み上げた井戸水を水桶に流しこんでいく。
忙しいながらも吾輩に気付いた村人たちは、立ち止まり丁寧に頭を下げて去っていった。
だが橋の向こうからやってきた数人は視線を寄越そうともせず、水を汲み終わると急ぎ足で引き返していく。
厚着とは程遠い薄汚れた服装に、この寒空で裸足の者さえいた。
逃げてくるのに手一杯で、あまり荷物を持ってこれなかったのだろう。
村長に古着を融通してやるよう言っておくか。
ただどうにも元からの村人と逃亡農奴の間柄は、上手くいってないと報告を受けていた。
互いに交われるような場もないので、理解が進まないのも仕方がないといえるが……。
考え事をしていると、橋を渡って大きな人影が現れた。
かっしりと横に太い体型は、豚鬼の一人だな。
鼻の上に傷があるのはゾトだったか。
水桶を両手に複数ぶら下げたゾトは、鼻先から白い空気を吐き出しながら、のっしりと井戸へ向かった。
なぜかその背後には、三人の女が付き従っている。
投げ入れた釣瓶を軽々と手繰り寄せ、あっという間に水を汲み終わる豚鬼。
満杯になった水桶に、女どもが頭を下げて手を伸ばす。
それを軽く制したゾトは、気取った身のこなしで桶を持ち上げて歩き出した。
またも女どもが、その後ろをゾロゾロと追いかける。
興味が湧いたので、吾輩もついて行くことにした。
流石に数は減ったようだが、それでも石橋を往来する馬車はそれなりに多い。
橋の欄干にそって歩きながら、ゾトはわざとらしく後ろの女たちを庇う仕草をする。
それを見せられた女たちも、非常に喜んでいるようだ。
何度も豚鬼の背中や肩に手を伸ばしては、さり気なく触れている。
よく分からず首を捻っていた吾輩であるが、橋を渡りきって現れた風景に歯音を失った。
まず目に入るのは、煉瓦建ての平屋だ。
ざっと見ただけで、十軒ほど並んでいる。
おい、こんなに作れと命じた覚えはないぞ……。
さらに川沿いを走る道は、全て煉瓦で埋め尽くされていた。
いや、確かに煉瓦道を作る気はあったが、目立つのを避けるために当分は控えておく予定だったような……。
視線を伸ばすと下流には煉瓦で作られた塀があり、煉瓦製の門柱と門番小屋らしきものまで備わっている。
壁は必要といったが、木の杭で十分だろう。
何でわざわざ煉瓦で作ってるんだ……。
唖然とする吾輩の背に、聞き慣れた歯音が響く。
『あれ、ワーさん、こんなとこに珍しいっすね。そうそう、新しい煉瓦が来てないっすよ』
『…………これ、もしかして今までの煉瓦を全部使ったのか?』
『ふふん、俺っちの素晴らしい働きっぷりに感動したっすか? 煉瓦を使わせても一番って呼び名は伊達じゃないっすよ!』
『焼いても焼いてもキリがないから、いい加減どうなったのか見に来たんだが……』
『家はあと五軒、欲しいってお願いされたっす。まだまだ煉瓦必要っすよ!』
歯音を失った吾輩は、何も言わずニーナへ近付いた。
そして長身の骨の兜の面頬を、杖の先でクイッと持ち上げる。
『やれ』
『ギャッス!』
飛び上がったムーが空中で身を翻し、その排泄物を鮮やかに兜の隙間へと撃ち込んだ。
『うわ、なんすか! 目が、目がぁ! しかも臭いっす!』
『どうしてこうなったのか、さっさと説明しろ、ニーナ』
『何でって、煉瓦があるから作るっすよ。俺っちが一番っすから!』
『吾輩はあまり目立つ真似はするなと、言っておいたはずだぞ』
『でも豚ちゃんたちも大喜びしてたっすよ。ワーさんの命令じゃなかったっすか?』
『ああ、それは豚鬼どもにも理由を聞かんとな……』
背後で短く鼻息を吸い込む音が聞こえた。
振り向くと、ちょうど家から一人、もとい一匹の豚鬼が出てきたところであった。
しかも両の手を、左右に立つ女どもの肩に乗せている。
『ほう、エラく楽しそうだな、ルグ』
「……ホ、ホネ様。なぜここに?!」
『煉瓦を焼き続けるにも、少しばかり飽きてな。とりあえず話を聞かせて貰おうか』
「えっと、その、グニル隊長。今ちょっと忙しい」
『ほう、吾輩に説明するよりもか?』
肩を抱かれた女どもが、訝しげに豚鬼と吾輩たちを見比べている。
その視線に気を強くしたのか、額に汗の粒を浮かべていたルグは声を震わせて言い放った。
「あ、あとで説明、伺う。待って欲しい」
『吾輩は今すぐと言ったぞ』
杖で軽く地面を突く。
途端、煉瓦を押しのけながら、大きな土の牙が飛び出してきた。
女どもの悲鳴が響き渡る。
そして首元に黒い先端を突き付けられた豚鬼は、慌てて仲間どもを呼びに走った。
土下座する三匹と一体を前に、改めて事情を聞いてみる。
確認してみると、なんとも馬鹿げた話であった。
「俺たち、モテたです」
「チヤホヤされた」
「初めて。嬉しい」
どうも逃亡してきた農奴と豚鬼たちと間で、大きな勘違いがあったらしい。
こいつら豚鬼どもは元戦奴だけあって体格が良いのだが、人によっては太って見えるようだ。
実際、筋肉に適度な脂肪が乗っており、固太りと言われる体型である。
食糧事情がさほど良くない中、この見た目は誤解を生んでしまった。
このご時世、よく食べて太っているのは、あまり働かないで済む人である。
つまり、この村の偉い人であると。
煉瓦積みの方法も、豚鬼が考案してニーナがそれを下僕骨に伝えるという構図だったのが、間違いに拍車をかける要因になったようだ。
鎧姿の騎士に命令しているから、きっと凄く偉い人だと。
で、権力に従順な元農奴たちは、この似非権力者である豚鬼たちに、精一杯媚を売ろうという流れになったのだろう。
機嫌を損なえば、ここから追い出される怖さもあったのかもしれない。
『なるほど。それで嬉しくなったお前らは調子に乗って、色々と造ってしまったと』
「怯えて可哀想。気持分かる」
「良くしてやりたい。同じ」
「でも、本当はもっと鼻が大きい方が好み。人族は不細工」
最後に余計な一言をいったルグの膝に、煉瓦を追加しておく。
『で、ニーナは止めずに一緒になって造ったと』
「ニーナ様、おだてると簡単に木に登る」
「正直、ちょろい」
『な! 豚ちゃんたち、そんなこと思ってたっすか!』
「でも、とても感謝してる」
「ニーナ様、最高」
「煉瓦積ませたら、ニーナ様の右に出る奴いない」
『うんうん、仕方ないっすね。やっぱり俺っちが一番過ぎるからっすね』
ニーナの膝の上にも、煉瓦を積み重ねておく。
『道理で橋の向こうとこっちで、温度差が出来る訳だ。やりすぎだぞ、お前ら』
見た目からして、こっち側が村の中心としか思えないぞ。
元からいた村人からすれば、実に面白くないだろう。
『至急、向こう側にも煉瓦の建物を造ってやらんとな。出来れば皆が使えるような、大きく派手な施設が良いか』
となると、また煉瓦造りの毎日か……。
ふと疑問が湧いた吾輩は、豚どもに問いただす。
『お前たち、人妻とかには手を出してないだろうな? 面倒事は御免だぞ』
「大丈夫。夫いない女ばかり」
「男いるのは、寄ってこない」
「うん、あとちょっと変な男たち居た。鉄の臭いしてる」
む、今のは、聞き捨てならない言葉だったような。