第百二十四話 三倍の強さ
まるで殺意がそのまま全身を覆ったかのような、紅のカマキリは吾輩たちを見下ろしていた。
逆三角形の頭部から突き出した長い管のような触覚が、張り詰めた空気の中で音もなく揺れる。
口からはみ出した四本の牙は、獲物を求めるかのように忙しなく蠢いている。
最大限に伸ばされた六本の鎌。
翅を広げながら、極端に持ち上げられた腹部の先端。
絶えず体を前後に揺り動かす四本の脚。
うーむ、完全にお怒りの様子だな。
お目当ての赤いカマキリに出会えたのは良いが、ここからは少々キツそうだ。
『では打ち合わせ通り、タイタス、ニーナは右側を!』
『こっちは任せとけ。……良い感じに腹も減ってきたぜ』
『ふっふーん。あの鎌全部、叩き切ってやるっすよ!』
吾輩の指示に盾を持ち上げたタイタスと、両手剣を肩に背負ったニーナが右の鎌の前に立つ。
『吾輩たちは左側だ。行くぞ、グニル、ゾト、ルグ』
「ホ、ホンキですか? ホネ様」
『ああ、お前たちはタイタスと互角だったんだろ? なら多分、大丈夫だ』
青褪めた顔を見合わせた豚鬼たちは、覚悟を決めたのか盾を持ち上げて動き出す。
遅れぬよう、その背後に吾輩も続く。
大カマキリの攻撃で一番、警戒すべきは鎌の連撃ではなく跳躍である。
あの巨体で自在に動き回られると、体格が違いすぎる吾輩たちは簡単に蹴散らされてしまう。
その動きを封じるために考えたのが、目の前の餌作戦だ。
常時、すぐ側で吾輩たちがカマキリの注意を引き付けておけば、暴れられて陣形が崩れる恐れもない。
いくら大きいとはいえ中身は所詮、虫である。
本能には抗えまい。
この状態を維持したまま、ひたすらカマキリの体力をちまちまと削り取る。
それが強力な再生の力を持つ相手に対し、吾輩が辿り着いた攻略法だった。
『来い! カマ野郎!!』
タイタスの歯音にこめられた気迫に、カマキリの真っ赤な鎌が次々と振り下ろされる。
金属音が続け様に響き、右の三本の鎌は盾と剣で見事に弾き飛ばされた。
『こちらも続くぞ、やれ』
「ブヒィ!」
「ブヒヒィ!」
「ブヒン!」
左側でも、豚鬼たちの激しい鼻息が鳴り響く。
腹の虫ならぬ、腹の外の虫に障ったのか、カマキリの無機質な目が吾輩たちへ向けられた。
即座に杖で地面を叩く――地壁三連。
黒い鎧たちの前に、三枚の土の壁が一気に持ち上がる。
次の瞬間、初動もなく突き出された鎌の先端が、土砂を飛び散らして地壁を貫いた。
そのまま鎌の先は、黒磁鋼の盾へとぶち当たる。
グニルたちはやや後退はしたが、それだけで済んだようだ。
地壁で勢いを削っておけば、豚鬼たちでも十分に耐えられるな。
『頭部狙え、撃て!』
三十本の矢が、一斉にカマキリの頭部へ降り注ぐ。
瞬時に持ち上がった赤い鎌が、飛翔する矢を一振りで打ち払った。
が、その刃をくぐり抜けた数本が、目や顎に突き刺さる。
さらにその頭部に音もなく降り立つ小柄な影。
両手の剣が互いに交差し、触覚を鮮やかに切り飛ばす――鋏切り。
苛立たしげに頭部を振るカマキリ。
しかしロクちゃんは、すでに近場の茎へと飛び移っていた。
獲物の位置を探る触覚を片方失ったことで、カマキリは吾輩たちの位置を把握しにくくなったはず。
矢を受けた目では、距離感も掴みにくい。
感覚系を先に潰すことによって、攻撃をしのぎやすくする狙いだが……。
そう、甘くはないか。
内部から肉が盛り上がり、撃ち込まれた矢は次々と押し出されて落ちる。
切り落とされた触覚も、すでに新たな部分が生え始めていた。
『うう、元に戻りやがったっす!』
『大丈夫だ、無限に回復するわけじゃない。このまま続けるぞ!』
大カマキリの命数は40、魂力は60から70。
腹から出てきた虫と融合し赤くなった時点で、命数は120、魂力も200近い。
だが触覚を再び生やした時点で、魂力は10ほど減っていた。
これをあと二十回もやれば、力尽きて動けなくなるはずだ
とは言っても、おいそれと簡単にいかないのがいつものパターンである。
シュッと風を切って伸ばされた赤い鎌が、タイタスの盾の上部へと引っ掛かる。
カマキリの鎌の刃の内側には、鋭い突起がびっしりと生え揃っている。
盾に突起を絡めたまま、獲物を持ち上げようとする大カマキリ。
この引き寄せは、斬りつけるよりも厄介な動きである。
大きな骨は踵に前向きの角を生やし、地面に食い込ませて耐える。
すかさず近寄ったニーナの両手剣が、鎌の先端を叩き折った。
向こうは大丈夫そうだが、こっちはそうもいかない。
盾を引っ張られ前のめりになった豚鬼の一人に、後の二人が慌ててしがみつく。
三頭、じゃない三人の重さは無理だったようで、鎌の突起が音を立てて折れた。
間を置かず地面に倒れ込んだ豚鬼たちへ、残った二本の鎌が振り下ろされる。
地壁――では威力を殺せないか。
ならばもっと精霊を集めて、ギュウギュウに詰め込む!
地面から突き出した土の塊は、黒味がかり滑らかな表面を見せる。
先端に凝縮されたせいか、形も尖った円錐形である。
ガチィンと土らしからぬ音が響き渡る。
新たな黒い地壁は、鎌の一撃を真っ向から受け止めていた。
その隙に立ち上がる三体。
「た、た、助かりました、ホネ様」
「ありがとう、です」
「ブフゥ! 土の牙スゴイです!」
『うむ。これがタイタスの言っていた地双牙か。コツを掴めば簡単だな』
お約束だが、そう骨だけに!
その後、何度か引き寄せはあったが、無難にやり過ごすことが出来た。
そうこうしている内に、戦闘は大詰めを迎える。
魂力が残りわずかとなった大カマキリであるが、まだ隠し玉を持っていたようだ。
背中の翅が不意に激しく動き出したかと思うと、耳障りな音が凄まじい音量で放たれる。
生身であれば、地面に倒れのたうつような不快な音の攻撃だ。
現にグニルたちは盾を投げ出して、耳を抑えたまま転げ回っている。
でもまぁ痛覚がない吾輩たちには、全く効果はないな。
しかし、こちらの盾が役立たずになったのは痛い。
土の精霊もかなり減ってきているし、ここは勝負所と考えるべきか。
『よし、仕掛けるぞ。槍構え! 放て!』
吾輩の号令に弓から持ち替えた下僕骨たちが、一時に先を尖らせた木の槍を放つ。
宙を貫いた槍は幾本かは切り落とされたが、大半がカマキリの胴体へ突き刺さった。
何とか抜こうと足掻くカマキリだが、生命が尽きかけているせいか、食い込んだ槍はほとんど動かない。
動きが鈍ってきたカマキリは、槍のせいでさらに衰えたようだ。
となると、ここは追撃の一手だな。
『もう一度、槍構え! 放て!』
『倒す!』
『俺っちもやるっすよ!』
吹き荒れる投槍の嵐。
カマキリの上に飛び移ったロクちゃんは、その真っ直ぐな背中に二本の剣を突き立てたまま滑り降りる。
腹の下では長い剣を存分に振り回して、四本の足先を刈り取っていくニーナ。
足をやられ槍の重みで跳び上がることも出来ぬまま、大カマキリは崩れるように倒れ込んだ。
その全身から、真っ赤な血飛沫が一度に溢れ出す。
だが、この生き物は最後の一瞬まで、戦うために生まれてきたようだ。
杖をおろした吾輩目掛けて、腹部から伸びる赤い紐が飛びかかってくる。
不味いと思ったその時、吾輩の前に白い骨が立ち塞がってた。
黒い長盾が赤い紐の先端を弾き、その伸びた手が紐の途中をガッツリと掴む。
『…………ふう、やっと食えるぜ』
タイタスに生気を残らず吸い上げられた赤い紐は、しばらく痙攣していたが、やがてぐったりと動かなくなった。
『よし速やかに撤収するぞ! こっちへ集合して担ぎ上げろ』
『ごっそさんっと。最高に旨い生気だったぜ』
『今日も俺っちが一番に活躍したっすね。まだまだ戦えるっすよ!』
『倒した! 倒した!』
『おい、立てるか? 引き上げるぞ』
ようやく身を起こした豚鬼たちへ、吾輩は優しく声をかける。
『初の戦闘だったがどうだ? やっていけそうか?』
滴り落ちる汗を拭おうともせず、三人はまたも顔を付き合わせる。
そして返事を期待する吾輩へ、ゆっくりと顔を横に振ってみせた。
『えっ、何でだ?』
「ホネ様、頭オカシイ。ついていけません」
『大丈夫、すぐに慣れるぞ』
「慣れません。小鬼酷かった。ここもっと酷い」
『いやいや、今回はたまたま強敵に当たっただけだって。次はもっと弱い相手だから』
思いっきり不審そうな目を向けてくる三人。
初戦なのにちょっとばかり、厳し目な相手過ぎたか。
ま、最初はキツめな仕事の方が、後々で楽になっていくもんだ。
『しばらく我慢すれば、楽になるから、な。そうだ、今日は帰ったらニワトリでも食うか? 丸焼きしていいぞ』
「ニワトリ! 一羽食べて良いです?」
『ああ、思う存分食べていいぞ』
「ありがとうです、ホネ様。もっと頑張ります」
「腹減ったです。卵もつきますか?」
「次、頑張ったら猪、また食べれますか?」
…………本当に現金な奴らだな。




