第百十七話 欲する望み その一
五十六番目に生まれた五十三番と呼ばれる骨にとって、もっとも優先すべきことは他の骨たちの幸せだった。
何かを倒したいと、常に憤る小さな骨。
絶えず競争を挑み、他者に打ち勝ちたいと望む長身の骨。
そして魂を集めることで自らを高め、生き延びようと苦心する麗しい骨。
そのどれもが愛おしく、大切な存在たちだ。
だからこそ五十三番にとって、他の骨たちのやりたいことを日々手伝うのは当たり前の行為でもあった。
そして出来ればもっともっと仲良くなって、互いを必要とする深い関係を築けたらと――。
「だったら俺の腹減りも満たしてくれよ、ゴーさん」
「ハァ?」
舌打ちならぬ、奥歯打ちをしながら、五十三番は露骨に顔を逸らした。
可能なら距離も置きたいところであったが、残念ながら一角猪の背中はそう広くはない。
「そこらの木の樹液でも、舐めてたらどうですか?」
「虫扱いはあんまり過ぎねぇか。……ふう、喋ってると余計に腹が空いてくるぜ」
「だったら黙っといて下さい。おっさんの腹具合なんて、どうでも良い話ですし」
素っ気ない同乗者の言葉に、巨骨はわざとらしく肩をすくめてみせた。
もっともタイタスも、和やかな会話などは元から期待してない。
空腹を紛らわすためだけの、ただの座興である。
そんな二骨を乗せた猪は、のっそりと樹林の中の道なき道を進んでいた。
黒腐りの森の西側に設置した括り罠が仕掛けごと外されていた形跡に、五十三番が気付いてからすでに一月が経過している。
その間、タイタスと五十三番は、毎日のように森を巡り警戒に努めてきた。
何度かそれらしい足跡だけは見つけていたが、未だにその正体を掴むまでには至っていない。
どうやら複数の人間が、何かをコソコソと企んでいるとしか分かっていなかった。
大きな手掛かりを掴めないまま、次第に二体の捜索範囲はどんどん拡大していく。
そしていつしか、かなりの奥地にまで踏み込むようになっていた。
体の芯を止めどなく揺さぶってくる飢えの感覚に、再び大きな骨が口を開こうとしたその時、背後に座っていた五十三番が不意に小さく歯音を鳴らす。
「今、何かが動きました」
「どの辺りだ?」
「あの木の枝のところですね。一瞬だけ不自然にしなりました」
森が深いこの辺りは木が密集しており、見通しはかなり悪い。
よく気付いたなと感心しつつ、タイタスは五十三番の視線の先を視界共有で確認した。
葉が生い茂る太めの枝が見えるが、指摘された変化は分からない。
気配を探ろうにも、まだ少し距離があるようだ。
「何か潜んでいると思うか?」
「探ってみましょう。速度はこのままでお願いします」
一角猪には手綱や鐙はついていない。
タイタスが横腹を蹴るだけで、大体の指示は伝わるからだ。
猪の背中に揺られながら、五十三番は腰の矢筒から静かに矢を抜き取ると、大きな骨の背中に隠れたまま弓弦を絞った。
そのままタイタスの肋骨の合間を通して、ヒョイと矢を放つ。
完全に不意を突けたのか、枝が大きく揺れ葉が舞い落ちてきた。
同時に枝の上からも、矢が飛んでくる。
待ち構えていたタイタスが、即座に盾を持ち上げて応戦した。
五十三番が続けざまに二本の矢を撃ち込むと、反撃は止まり小柄な影が枝上から落下してくる。
だがタイタスたちは地面に落ちた人影には近付かず、その場で猪を止めた。
「…………まだ居そうだな」
「来ます!」
五十三番の歯音と同時に、数本の矢が複数の方角から飛んでくる。
咄嗟にタイタスは猪の向きを変え、斜め前へと突っ込ませた。
角を生やした獣は一気に速度を上げると、矢の追撃を避け木々の間を走り抜ける。
だが茂みを抜けた先で、猪は唐突に足を止めた。
そこに広がっていたのは、ポッカリと開けた草むらだった。
グルリと木立に囲まれた空き地の中央には、焚き火をしたような跡が残っている。
そして広場の反対側に立っていたのは、真っ黒な全身鎧を身に着けた男たちだった。
「おい、ここ見覚えがあるぞ」
「どうも誘い込まれたようですね」
矢の誘導によって二体が逃げ込んだ先は、かつて土を操る小鬼どもと死闘を繰り広げた場所であった。
周囲の様子を見定めながら、タイタスは小さく歯を鳴らした。
「相手も同じかと思ったが、前よりも手強そうだな」
等間隔に並ぶ鎧姿の戦士たちは、全身をほぼ覆うほどの巨大な黒い長盾を両手で支えていた。
身長はタイタスよりやや低いくらいで、ガッシリとした体つきをしている。
しかしその顔は黒い継ぎ目の見えない兜で隠されており、表情どころか顔の造形すら分からない。
兜の額に当たる部分からは黒い突起がこれみよがしに突き出していて、黒色に染め上げた鎧と相まって鬼を強く連想させた。
もっとも黒鬼の一箇所だけ、違う色が目立つ部分があった。
鎧と兜の間、喉当てだけが銀色となっていたのだ。
さらにその喉当てには、細い銀色の鎖がつながっていた。
六人の黒鎧の男たちの首元から伸びる六本の鎖は、その背後に立つ男の手元に握られている。
それはまさに猛獣たちの首輪そのものに見えた。
黒鬼たちの飼い主である男もまた鬼であった。
小柄な体躯に、毛髪のない頭部と目立つ大きな一本角。
黒い衣を身に着け、細い杖を手にしている。
黒い服の小鬼は、何も語らずタイタスと五十三番を見据えていた。
「こう、何か喋ってくれたら、もうちっと事情が分かるのにな」
「普通は戦う前にベラベラと語り合ったりしませんよ。どうするかさっさと決めましょう」
「弓使いは四人まで確認できたな。背後から撃って来られると面倒だぞ」
「後ろ側には逃げにくい状況ですね」
「なら、正面を突っ切るか」
「では、それで」
短いやり取りを済ませた骨たちは、一角猪を迷うことなく真っ直ぐ突進させた。
狙いは並んでる鎧男たちの間隙だ。
上手くやれば、首の鎖を絡め取って混乱を引き起こすことも出来る。
猪が動き出したと同時に、木立の奥から続けざまに矢が飛んできた。
すかさず振り向いた五十三番が、飛んできた方向へ向けて撃ち返す。
時を置かずして、黒鬼どもも反応する。
突っ込んでくる猪を前に、二体が肩を並べ盾を寄せ合って迎え撃つ。
大きな衝突音が響いた。
鎧の男たちは、猪の角を両側から盾で挟むことで勢いを殺すことに成功していた。
ぐっと腰を落とし、突進の力を完璧に受け切ってみせる。
そこに猪に跨ったままであったタイタスが、連接鎚矛を力一杯振り下ろす。
だがその一撃が届く前に、黒い衣の小鬼はすでに杖を伸ばしていた。
足元の大地が急激に盛り上がり、巨大な円錐が飛び出してくる。
それは無防備な一角猪の腹部を、恐ろしい勢いで突き上げた。
角を固定されていた猪は逃げることも出来す、血を吹き出しながら宙に浮かぶ。
乗っていた二体の骨も、耐えきれず放り出された。
地面に降り立った二体は、すぐさま武器を構えて距離を取った。
またもそこに間髪入れずに、木立の中から矢が飛んでくる。
転がって矢を避けた五十三番が、直後に撃ち返したが手応えはない。
発射と同時に、すぐさま移動しているようだ。
「前門には黒ずくめの盾に土の槍、後門には鬱陶しい射手たちか」
「猪は諦めて、おっさんの盾で守りながら後ろに逃げましょう。あんなの相手にできませんよ」
「それは厳しそうだぜ!」
そう言いながら大きな骨は、持ち上げた盾で五十三番を突き飛ばした。
直後、五十三番が居た場所を、地面から伸びた土の槍が貫く。
「思った以上に、この槍は射程が広いぞ」
気がつくと、黒鬼たちも前進を始めていた。
ゆっくりと一歩ずつだが、距離を縮めようとしている。
その背後には、鎖を握った小鬼の男が油断のない顔付きで控えていた。
「おっさん、無事に戻れたら、その腹を満たすのちょっとだけなら手伝ってやりますよ」
「おう、期待しとくぜ!」