第百十五話 水際の攻防
長い首と鼻面、蹄の生えた前足と真っ直ぐに生え揃ったたてがみ。
どう見ても馬である。
のん気に水遊びを楽しむ五頭、いや六頭の馬たち。
と言われたら、簡単に信じそうな風景だ。
だが吾輩の知る馬は、川の中で臓物を奪い合ったりはしなかったはずだ。
それに肌も、あんな真っ青な色はしてなかったぞ。
前に聞いた水棲馬の情報を、急いで空っぽの頭骨から引っ張り出す。
えっと上半身は馬そっくりだが、下半身はエビの尻尾のような尾ひれになっているって話だったな。
普段は流れの深間に棲息していて、水辺の鳥や家畜、挙句に人までも襲って食べる肉食性であると。
確かこの辺りだと、街道橋を越えた流域にしか居なかったはずだが……。
吾輩の中で先日聞いた情報と、先ほどの男の行為が結びついて答えとなる。
わざわざ街道橋の向こうから、あの小舟に積んだ臓物を餌にして水棲馬を引っ張ってきたのか!
多分、衛士を総動員したのは、途中にある橋を壊されないよう守るためだろうな。
厄介なことに水棲馬には、水の流れを遮る建造物を嫌う傾向もあるらしい。
すでに馬に乗った男の姿は、豆粒ほどの小ささになっていた。
ロクちゃんでも追いつくのは無理っぽいな。
小舟の方にも、それらしい証拠は残ってないだろう。
――これはまた、面倒なことをしてくれたものだ。
『ニーナ、ロクちゃんを援護して、あの馬どもを橋に近付けさせるな!』
『了解っす! やっと俺っちの出番っすね!』
『親父殿、ここは危険だ。さっさと職人どもを引き上げさせろ。あ、ついでに見物客も頼む』
「お、おう、任しとけ」
「僕もお手伝いします!」
『そうか、子供たちの避難も頼んだぞ、アル。ロナは村長とシュラーへ知らせてきてくれ』
「はい、御使い様。警戒の鐘も鳴らしますか?」
『む、鐘か。そちらを先に頼む』
指示を矢継ぎ早に飛ばした吾輩は、小ニーナとニルを少年に手渡しながら次の行動を考える。
ここの下僕骨たちは、未だ木台の取り付け作業中だ。
ただでさえ水の中では動きが鈍い上に、彼らには武装を一切持たせていない。
男爵が攻めて来るなら、村の正面から歩兵だろうと睨んでいたからだ。
まさか川をこんな風に利用してくるとはな……。
今、支保工が壊されると、橋の完成が大幅に遅れてしまう。
ここは一度、作業を中断して、木台を安全な場所に戻しておくか。
「なあ、団長よ!」
『む、どうした? 親父殿』
「ここはアレが役に立つんじゃねぇか?」
『おお、そうだな。よし、お前たち、木台を急いで岸に戻せ! それから親父殿についていって同じ物を運んでこい。親父殿、すまないがアレを吾輩の側まで持ってきてくれるか』
「お安い御用だぜ。折角ここまで作った橋だ。ぶっ壊されてたまるかってんだ!」
水の抵抗に逆らいながら、川底をノロノロと歩く下僕骨たち。
時間はまだまだ掛かりそうなので、それまで何とかあの馬どもを遠ざけておかないとな。
走り出した吾輩の頭骨に、教会の鐘の音が聞こえてくる。
重々しい響きは、三度続けざまに鳴り渡った。
よし、いいタイミングだ。
吾輩が急いで駆け付けた先は、村の正門だった。
すでに盾と弓を身に着けた守備隊たちが集まりつつある。
こいつらは教会か門の鐘が三回連続で鳴った場合、正門を狙ってくる敵を全力で排除しろと命令してあったのだ。
集める手間がなくなったので、これで少しは時間を省略できたな。
『よし、吾輩について来い!』
武装した下僕骨八体を引き連れて川へと向かう。
どうやら食事を終えた水棲馬たちは、案の定、吾輩たちの造りかけの橋に気付いたようだ。
歯を剥き出しにして荒々しく鼻息を吹かすと、流れに逆らって移動し始めた。
川岸まで伸びる柵の内側で、侵入者を待ち受けるのは二体の骨だ。
だが今回は相手が悪い。
水棲馬の命数は10、魂力はだいたい25。
灰色狼よりやや強い程度なので、ロクちゃんとニーナなら足止めくらいは余裕である。
だがそれは地上であればの話だ。
水の中に潜む水棲馬に、こちらの剣は全く届かない。
かといって鎧を身に着けたまま川に入れば、まともに身動きも取れなくなってしまう。
ここに強力な弓の使い手である五十三番がいれば、難易度は途端に変わってくるのだが。
残念ながらタイタスと五十三番は、森の西側の巡回へと出向いてしまっていた。
そう、五十三番の不在も痛手だが、盾役が居ないというのも非常に不味い。
なぜなら――。
水棲馬の一頭が、大きく跳ねて水面から体を現した。
同時にその奇妙な下半身も露わになる。
あるはずの二本の後脚は見当たらず、下部は一つにまとまって長い尻尾のようになっていた。
尾の先には扇状に広がったヒレがあり、水かきの役割を果たしているようだ。
その尾びれがグイッと丸まり、水面を素早くすくい上げた。
尻尾によって弾かれた水は、長く伸びた状態となって宙を突き進む。
先端を尖らせた氷柱状に変化した水の塊たちが、岸辺に居た二体へ狙ったように襲いかかった。
素早く身をかがめ、水の攻撃をやり過ごすロクちゃん。
そして頭上を通過する水塊を、二本の剣を鋏のように交差させて一瞬で切り落とす。
ニーナの方は、腰を落として肩に担いでいた長剣を無造作に振り回した。
豪快に剣の腹を水流にぶつけ、その方向を巧みに反らしていく。
ただの水があんな風に動くとは考えにくい。
その解答を、吾輩の精霊眼があっさりと見つけ出した。
見慣れない精霊たちが、水棲馬の周囲の水に集まっていたのだ。
状況から察するに、あれは水の精霊だろう。
…………こいつら水棲馬は、水の精霊使いなのだ。
『全くもって面倒な奴っすね! そっちが来ないなら、こっちから行くっすよ! 良いっすか? チッサイさん』
『倒す!』
遠隔攻撃手段がない現状、ニーナたちが出来るのは接近戦一択である。
無謀な突撃を吾輩が制止する前に、長身の骨は動き出していた。
スッと長剣を天に向けて立てたかと思うと、ニーナは大きく一歩を踏み出した。
その出した足に吸い寄せられるように体が前進し、合わせて剣先がグルリと円を描いて地面スレスレを走り抜ける。
いや、スレスレではなく、もろに地面を擦っているな。
先端で大地をえぐり取ったまま、剣身は空に向かって美しく振り抜かれた。
弾き出された砂利たちは、一直線に川の中央へと飛んでいく。
なるほど、これはニーナなりの飛び道具だな。
飛んできた石つぶてに対し、水棲馬は前脚の蹄を水面に叩きつけた。
反動で水が盛り上がり、そのまま壁と化して馬たちの前面に広がる。
――あれは吾輩の地壁と同じような物か。
水の壁は飛来した砂利を、全てやすやすと受け止めてしまう。
攻撃は失敗かと思われたその時、水壁の上にトンッと小柄な骨が舞い降りた。
着地の直後、白刃を三度往復させ、そのままロクちゃんは再び宙に浮かぶ。
一呼吸遅れて、馬面を切り刻まれた水棲馬は派手な悲鳴を発した。
向こう岸へ降り立ったロクちゃんは、間髪入れずその身を地面へ転がす。
小柄な骨を掠めるように、水の槍が通り抜けていく。
攻守共に揃っていて、なんともやり難い相手だな。
…………こちらに五体揃っていれば、もっと歓迎できたものを。
まあ居ないものを嘆いても仕方ない。
今ある戦力で最善を尽くすのみだな。