第百十四話 水の上の火種
あれから橋の工事は順調に進み、すでに最初の円弧部分はほぼ完成していた。
現在は二番目と三番目の橋脚の間に、支保工を備え付ける段階に差し掛かかっている。
『この調子だと、今年中には余裕で終わりそうだな、親父殿』
「おう。団長の持ってきてくれたアレのおかげで、かなり工程を縮められたぜ。もっともそれ以外にも、信じられんことばかりだがな」
『その辺りは、詮索しないでくれたら助かる』
「うむ、分かっているとも。修道士は何かと秘密主義だからな。それじゃ黙ってる代わりに、こいつも一丁頼むぜ」
『うむ、任せておけ。二度目となるとかなり楽だな』
下僕骨たちに命じて、木台をかなり冷え込んできた川に入らせて運ばせる。
もっとも骨にとって、寒さはまったく苦ではないのだが。
むしろ厄介なのは、骨だとバレないために体を隙なく覆う衣類だった。
衣服を着たままで流れに浸かっての作業は、かなり抵抗が大きい。
しかも長時間の作業だと、服が水を吸って重くなるのも難点だ。
裸骨状態でやれると楽なんだが、一般人が見ると大騒ぎなってしまうしな。
橋が出来るという評判は日増しに広まっているようで、確認に来る見物客も増えつつあった。
村人たちも橋造り自体が珍しいのか、ちょくちょく覗きに来てたりしている。
特に子供たちは言い付けられた仕事が終わると、競って川縁に集まってくるようになった。
「骨さん、こんにちは!」
「ねぇねぇ、なんで石落ちないの? ふしぎだねぇ」
「たおす!」
「お、押さないで。危ないよ」
「いつもお騒がせしてごめんなさい、御使い様」
「こんにちは、師匠と先生と小さい骨の人」
騒がしい声をともに寄ってきたのは、顔馴染みの幼少組と引率役であるアルとロナであった。
毎日、飽きずによく来るものだと感心しつつ、双子たちの背後に佇む子供たちをチラリと見る。
農奴の子供は三人に増えていた。
黙ったまま、その目だけは落ち着きなくあちこちを見回している。
環境が大きく変わったので、まだ気持ちが追いついていないのだろう。
だが食事はしっかり食べるし、夜もよく眠れているとシュラーの報告にはあった。
吾輩の打ち出した子爵領の農奴受け入れ策は、村人の間でもかなり賛否が別れたらしい。
どうやら自分たちの生活が脅かされる不安や、農奴を下に見る意識がまだまだ大きかったようだ。
差別というか上下的な意識を持つのは、吾輩的には大いに賛成である。
そういった考えは、自然と競争につながっていくからな。
もちろん状況によっては、格差がひっくり返るというのが前提の話だが。
なので村長を通じて、村人たちにはハッキリと告知しておいた。
これからの村はより努力した者が多くを得ることができ、今の境遇に胡坐をかくような人間は不要となる。
それは元から居た者でも、後から来た者でも区別はしない。
しかし頑張ればそれだけ豊かになれることは、吾輩が保証すると。
村長の話によると、ほとんどの村人はその言葉で納得したようだ。
だが一部で不満を漏らす人間も居たらしい。
今の段階でそういった連中を炙り出せたのは、思わぬ収穫だったとも言えるな。
『ほら高い高いっすよ!』
「もっと、もっと!」
「サーサ、ビービ。他の子にもちゃんと譲って上げなさい」
『そうっすね。そっちの無口な子も乗せて上げるっすよ』
いきなりニーナに持ち上げられた元農奴の子供たちは、驚いてその手に強くしがみついた。
気にする素振りもなく背の高い骨は、五人の子供を抱えたまま橋の出来上がってる部分を歩き回る。
その後ろを、羽耳族の子供を頭の上に止まらせたロクちゃんが続く。
仕方がないので、置いてけぼりにされたニルは吾輩が抱っこしてやった。
見ているとすぐに緊張はほぐれたのか、農奴の子供たちの目は小さな輝きを帯びていく。
ただ無意識に避けているようで、川向うへは一度たりとも視線を向けることはなかったが。
そんな微妙に重苦しい雰囲気を丸っと無視して、双子が弾んだ声を立てる。
「まだ橋できないのかな?」
「はやく向こうに渡りたいね」
『橋が出来たら、自分の足でちゃんと渡るっすよ』
「えー、骨さんの抱っこの方がいい!」
「高くないといっぱい見えないでしょ、もう」
花のような笑顔を浮かべて、双子は風そよぐ川面を指差す。
そして無邪気に、農奴の子供たちへ問い掛けた。
「ね、良いながめでしょ?」
「………………うん」
村に人が増えていく以上、衝突が起こることは免れない。
だからといって必要以上にギスギスされるのも、吾輩の本意ではない。
しかしながら他所者をすぐに受け入れろというのも、無理な命令であるとは分かっている。
ならばまずは子供たち同士で仲良くなれば、という目論見は意外と上手く行っているようだ。
「――ギギギ!!」
はしゃぐ子供たちの声に、唐突に耳障りな音が混じった。
これは前にも聞いたことあるぞ。
そうか、小鬼との遭遇時に羽耳族の子が発していた声だ。
小ニーナの警告声が響くと同時に、ロクちゃんは動き出していた。
橋の敷石を蹴っ飛ばし、軽々と岸へ降り立つ。
着地の瞬間、吾輩へ向けて小ニーナを投げ寄越すと、そのまま下流へ向かって走り出す。
追い掛けるように向けた吾輩の視線の先に、川沿いの道をこちらへ向かってくる馬の姿が映る。
乗っているのは軽装の男のようだ。
まだ男爵の手下が性懲りなく攻めてきたのかと思ったが、どうも様子がおかしい。
まず騎馬は一頭だけだった。
男の方も革鎧だけで、騎士にしては装備が貧弱過ぎる。
そして何より奇妙なことは、男が握っている縄であった。
馬から伸びたその縄は、真っ直ぐに川へと伸びていた。
正確には、水面に浮かぶ小舟の船首にである。
走る馬に付き従うように、その小舟は川の流れに逆らってこちらへと近付いてきていた。
そうか、わざわざ馬であの船を引っ張ってきたのか。
男は接近するロクちゃんに気付いたのか、村を守る柵の手前で馬の手綱を引いて止めた。
そしてあっさりと馬首をめぐらすと、背を向けて今来た道を戻り始める。
もっとも引っ張ってきた船は、そのまま置き去りにしてだが。
それはどう見ても、小舟を進呈しにきたとは思えない素っ気なさだった。
理由を考える前に、吾輩の臭気選別が風に紛れた匂いを捉える。
――血と臓物の臭い。
あの船に積んであるのは、何かの死体のようだな。
引き手を失った小舟は、勢いを失い流れに押し負けて船体を横に向ける。
その瞬間、大きな水飛沫が上がった。
次いで水の中から、何かが姿を現す。
それは小舟へ長い首を差し込むと、積まれていた肉らしきものを貪り始めた。
続けざまに水面が盛り上がり、同じ姿をしたモノたちが飛び出てくる。
そいつらは一斉に小舟に群がり、我先にと取り合いを始めた。
血が撒き散らされ、水面が赤く染まる。
腸らしきものを口の端に引っ掛けながら、そのうちの一頭が激しいいななきを上げた。
上半身を起こし、強く船腹を蹴りつける。
おかげでようやく吾輩は、彼らの正体に気付くことが出来た。
川の中から現れたのは、青いたてがみをなびかせた水棲馬の群れであった。