第百十三話 逃亡農奴
「おそらくですがあの子たちは、コールガム子爵領から逃げてきた農奴です」
客室の扉を後ろ手に閉めながら、村長が困りきった声を発した。
そして吾輩の反応を伺うように眉をひそめる。
うーん、何が不味いのかがさっぱり分からん。
まずは基本的なことから訊いてみるか。
『そのコールガム子爵領の農奴というのは、村長たちのような農夫とは違うものなのか?』
「かなり違います。あそこの農奴は何も持っておりません、……土地も誇りも。ちっぽけな住まいと木の農具しか持つことを許されないんです」
『ああ、かなり扱いが悪いということか』
「それ以外に結婚するにも許可が入りますし、そもそも村から出ること自体禁止されてます」
ここに流れ着く前の村長たちは、さほど広くはないが土地持ちだったらしい。
農作物を税として納める必要はあったが、それ以外はほぼ自由にして良かったと。
だから転職して鍛冶屋をやったり、村から出て王都で一旗揚げようとする人間も居たそうだ。
『ふむ。上に立つ側としては、土地に縛り付けた農奴の方が扱いやすいだろうな』
「お上はそうでしょうが、下の者としちゃ最悪です。何一つ希望がありませんから」
『押さえつけてばかりでは、真面目に仕事をする気にもならんか』
やる気の起きない環境では、仕事の効率はどんどん落ちてしまうからな。
その点、吾輩の下僕骨たちは、文句一つ言わずに働いてくれる。
うん、骨の部下で本当に良かった。
しかし口がきけないだけで、実はあいつらも不満が溜まっている可能性があるな。
たまには休暇を与えてやったほうが、良いのかもしれん。
これが本当の骨休めという奴か。そう、骨だけに!
「聞いておられますか? 骨王様」
『いや、ちょっと考え事をしていた。なるほど、コールガム子爵領の農奴の有り様は理解できた。逃げ出したくなる理由もな』
「この数年は特に酷い噂が多いですね」
戦役で若い男たちを大量に失ってしまい、ただでさえ低かった生産性がもっと落ちてしまったらしい。
そこで負担を軽減してやれば話は変わってくるのだが、あんまりな制度を強いる奴がそんなことをするはずもなく。
で、耐え切れなくなった農奴が何とか生き延びようとしたが、先ほどのような事態になってしまったと。
「どうやら商人どもを通して、ここに橋が出来る話が広まっているようです」
『……他に逃げ道がないのか』
「街道橋には衛士が居ますし、辺境伯領の方はこれ以上受け入れる余裕はありませんからね」
村長たちも元は、王国の西端であるゲラドール辺境伯領の開拓村にいたらしい。
しかし小鬼どもに襲われ村は壊滅。
何とか逃げ出せはしたものの、国境線を大きく後退させた辺境伯が新たな土地を用意するのは不可能であり、村長たちは難民となってしまう。
その後、悪評高い子爵領を避け、ノルヴィート男爵領へ向かったものの受け入れを拒絶されて、最終的にこの場所に流れ着いたと。
『苦労したんだな』
「色々ありましたとしか」
『それで、厄介というのは逃亡してきた農奴の扱いか?』
「はい、このまま橋が完成すれば、雪崩込んでくる可能性があります」
『全員を受け入れるというのは無理なのか?』
吾輩の問い掛けに、村長は首を横に振った。
「当然のことですが、子爵様は黙っておられないでしょう。それに受け入れるといっても役立たずな農奴ですよ」
村長の言い分によると子爵領の農奴は技術も意欲もなく、使えない連中ばかりであると。
しかも逃げてくるのは女子供か老人となるので、労働力として考えるなら一層劣ってしまう。
自ら食い扶持を稼げないような人間を、そうそう無駄に増やす余裕はないということか。
その気持は理解できるが、ゾーゲン村長は大事なことを分かってないようだ。
『良いか、村長。吾輩にとって誰だろうと、皆等しく同じ生命なのだよ』
どんな無能でも、命数30は確実に稼げるからな。
選り好みして死なせるなんて、勿体なさすぎるぞ。
まあ食料なら吾輩の畑でも作っているし、余りに使えない人間ならさっさと黒棺様に捧げればすむ。
吾輩の言葉に、村長は胸を打たれたように口を閉じた。
そして、それまで黙って話を聞くだけだった教母シュラーが瞳を大きく見開く。
感極まった表情のまま近付いてきた女性は、いきなり吾輩の足元に両膝をついた。
目尻に涙の粒を浮かべたまま、シュラーは絞り出すように切れ切れの言葉を発する。
「い、今のは、誠に素晴らしい御言葉です……。そうですよね……、全ての生命はただ生きるべきであると。そして皆、ともにかけがえのない存在足り得ると……。私に真の教えを授けて頂き、本当にありがとうございます。それとこれまでの御無礼をお許し下さい、御使い様」
…………勝手に勘違いして、良い意味合いに捉えてくれたようだ。
ここは訂正はしないほうが、お互いにとって良いだろう。
『分かって貰えてこちらこそ感謝する。それで具体的には――』
「そうですね。畑仕事以外にもやるべきことは増えていますし、糸の加工や皮なめし事業に回すという手も」
「宿の方も人手が足りておりませんから、子供たちならこちらで預からせて頂きます」
「そういえばダルトンが、馬丁を探しておりましたよ。そういった方面でも、探せば色々と出てきそうですな」
『ふむ。割り当ては任せよう。それと子爵が武力を持ち出してきた場合は、こちらで対処するので安心してくれ』
所詮は男爵領の半分ほどの領地だ。
そう手こずるような相手でもないだろう。
良い感じにまとまったところで、何かを思い出したのかシュラーが口を開く。
「御使い様、ご報告が一つございます」
『その呼び名になったのか……。ま、良いか、聞かせてくれ』
「昨日、食事に来た衛士が嘆いていたのですが、近々、街道橋の方で何か行われる予定があるらしいと」
『内容は分からないのか?』
「はい、そこまで詳しくは。ただ、衛士は交代制のはずなのですが、なぜか全員が召集されたと仰ってました」
『……人を集めているのか。どうにもきな臭いな』
本当にこの村の隣人領主たちは、次から次へと面倒事を持ち込んでくれるな。




