第百十一話 大変な橋作り
「酷いっすよ! あんまりっすよ!」
「すまん。飽きて先に帰ったものだとばかり」
「思いっ切り沈んでたっすよ! めちゃくちゃ助け求めてたっすよ!」
「うむ、てっきり遊んでいるのかと思ってな」
いきなり黒沼に突っ込んだニーナだが、ひっそりと水葬の危機にあっていたらしい。
黒いネバネバの水が骨にくっついて、本気で引っ張っても取れなくなってしまったのだとか。
暴れれば暴れるほど沈んでしまうので、途中で諦めて首だけ岸に放り投げて何とか難を逃れたと。
しかし焦って力一杯投げたせいで勢いがつきすぎて、ニーナの頭骨は岸から離れた茂みに転がり込んでしまう。
そのせいで吾輩たちは気付かず、置き去りにして洞窟に帰ってしまったという話だ。
その後、姿が見えないので探しに戻り、視界共有で発見して連れ帰ったと。
「みんな薄情っす。血も涙もなさ過ぎっす!」
「そりゃ骨だしな」
「倒す!」
「トホホっすよ。愛用の長剣が無事だったのが、たった一つの救いっすよ」
昨日たまたま持っていった装備が片手剣だったのは、不幸中の幸いだったようだ。
もっともその片手剣でも、十分な損失ではあるが。
男爵の手下から装備はかなり分捕れたものの、そうそう失くされては困るな。
「そもそもだな。いきなり怪しい物に、警戒もせず触ったニーナも駄目だと思うぞ」
「うう、その点は深く反省したっす!」
「倒す!」
「うんうん、ロクちゃんの言う通りだな。あと、次からはもっと真面目に助けを呼ぶようにな」
「これ以上ないってくらい真面目だったすよ!」
しかし、ニーナの膂力でも脱出不可能とは……。
あのネバネバ黒水、色々と使い途がありそうだな。
「ところでワーさん、さっきからどこに向かってるんすか?」
「……知らずについてきてたのか。今日は村の視察だぞ」
「倒す!」
「たおす!」
「だから、こんな格好だったんすね」
ロクちゃんと小ニーナ、大ニーナの格好は、先日のお祭りの時と同じ装いである。
村には日々、関係者以外の人間が増えてきており、まだまだ気軽に正体を明かすわけにはいかない状況だ。
ただ今から会う予定の部外者に関しては、その点はあまり心配する必要はないが。
いつもの林道を抜け、畑の畦道を通って村の広場へと足を踏み入れる。
吾輩らの姿に気付いた村長が、小走りで駆け寄ってきた。
『アルに聞いたが、やっと工事が始まったそうだな』
「はい、今、木台を川へ運んでおります」
『よし、早速、見せてもらうとするか』
今日の用件だが、橋の工事が始まったと村長から連絡があったのだ。
もう大きな妨害はないとは思うが、まだ警戒を怠るには早い気もして駆け付けたという訳だ。
それに作業には、吾輩の手助けが必須でもあるしな。
石橋というのは、ただ石を積み上げれば良いという物ではない。
きちんと場所の計測をし、必要な素材を計算して集め、それに加工を施したりとやるべき過程はかなり多い。
ただ石については元砦からの調達品なのである程度、形が整っていたのが良かったらしい。
少し凹凸を整えただけで、輪石に使えるのが多かったそうだ。
この輪石というのは、橋を支える円弧状の部分に使われるものだ。
互いの重みでくっつき合って、崩れ難い構造になると聞いた。
しかし橋の基盤となる輪石だが、そのまま円弧型に積もうとしても上手くいかず崩れてしまう。
そこで使われるのが、支保工と呼ばれる仮の支えだ。
橋の丸みを再現した木型をあらかじめ作っておき、そこに輪石をピッタリと隙間なく置いていく。
そして石橋が出来上がってから、取り外す仕組みなのだとか。
その支保工となる木台が、ようやく完成したのである。
あとはそれを取り付けて、やっと本格的に石を積み始められると。
「おう、団長。来やがったか」
『待たせたな、親父殿。早速、取り掛からせて貰おう』
吾輩を団長と呼ぶ、橋作りの総責任者である初老の男性の名はドルダッサムという。
呼びにくいので、皆と同じよう親父殿で済ませている。
この親父殿、背は低く樽のような体型で、髭まみれだが頭は禿げ上がっているという極めて冴えない見た目をしている。
だが中身はかなり優秀な男だった。
そもそも石工の親方と聞くと力仕事のイメージが強いが、実際は建築物の設計者と現場監督を兼ねたような存在なのである。
色々計算したり、構造に対する知識が要ったりと、かなり頭脳を駆使する立場らしい。
その上、石工や石切工、大工に漆喰工と使いこなす部下も非常に多い。
そのせいで意外と務まる人間が少ないのに、仕事の需要は山ほどあると大変忙しい職業だったりする。
この村の仕事を頼んだ時も、フレモリ商会に相当無理を言って紹介して貰ったと村長が言っていたな。
実のところ橋の建設というのは、費用が大変掛かるものだ。
確かに村の財政は潤いつつはあるが、多大な出費が出来るとは言い難い。
なので削れる部分を、思い切ってカットしてみた。
それはすなわち人件費である。
人足その他と、村の滞在費はこちらで用意するので、報酬あまり出せないけど来てくれと。
そんな無茶ぶりに答えてくれたのが、親父殿たちだった。
当初は物知らずな村人の戯言混じりだと、親父殿も思っていたらしい。
元よりド素人に橋架けの人足が務まるものかと。
だがそんな親父殿とその部下を待ち構えていたのは、吾輩たち骨であった。
橋を架ける予定の川は、幅は二十骨歩から二十五骨歩。
流れも川中の深さだと、成人男性の腰が浸かるほどだ。
さらに時期は、まだ陽気が残るとはいえ秋口である。
そんな冷たい水に浸かっての長時間労働なぞ、普通の人間には不可能だ。
農夫どもが、男爵の賦役を心底嫌がっていたのも頷ける。
しかし黒い鎧の男たちは躊躇なく川へ入ると、一切の無駄口を叩くことなく働き出す。
おかげで橋脚を立てる基礎部分の地均しは、親父殿たちの予想していた日取りの半分以下で終わってしまった。
ま、吾輩の杖もかなり活躍したと付け加えてこう。
その辺りで吾輩たちが只者ではないと気付いた親父殿たちだが、職人の世界は有能であれば多少のおかしい点は見逃してもらえるようだ。
一緒に仕事をする内にすっかり打ち解けて、今では骨通信を放っても平気で受け答えしてくれるまでになっていた。
『持ち上げて、運べ。そのまま真っすぐだ。よし、前列は向きを変えろ』
吾輩の命令で、木台を慎重に運び出す下僕骨たち。
川幅的に中継の橋脚は二基建ててあり、円弧は三つ作る予定である。
雨季の増水に備えたり、馬車でも余裕で通過できるようにしたため、かなりの規模になってしまった。
打ち込んであった木杭に無事、弓状に反った台を乗せられたので安堵する吾輩。
第一段階は何事もなく終わったようだ。
次はひたすら石を置いていく作業だな。
『終わったぞ、親父殿』
「ありがてぇ、相変わらず頼りになるぜ。しっかし、よく平気だなぁ」
髭をしごきながら、石工の親方は感心した声で続けた。
「ま、神に仕える修道士様ってのは――」
そのまま自分の禿頭を、とんとんと叩く。
「ここがちょっとばかし変わってなさるしな」
それはそうかもしれないが、アレを未だに修道騎士だと思い込めるのも相当だと思うぞ。