第百二話 別れ道
吾輩たちが何かを選び取っていく以上、必ず分岐点というものは存在する。
目に見えてハッキリと分かる状況も多いが、たまに何気なさ過ぎて、その時には全く気付けなかったりする場合もある。
そんな気まぐれだったり好みの問題で選んだ選択が、得てして大きな転換点だったりするのはよくある話だ。
もっともこの時の選択肢の重要さを吾輩が知ったのは、随分と後になってからであるが。
黒棺様に現れた新たな機能、霊域拡大であるが、これにも実は選択項目が存在していた。
コウモリを呼び出してからもう一度確認してみたところ、文字が増えていたのだ。
「これは偽魂生命の召喚が、解除条件だったということか」
「本当に面倒ですよね、黒棺様って」
「倒す!」
「俺っちも手伝うっすよ、チッコイさん!」
棺を押したり叩いたりし始めた二体を放置して、吾輩たちは文字の解析を試みる。
霊域拡大の下に新たに現れた文字は二つ。
「上昇と下降……、どういう意味だ?」
「そりゃ拡大についてる項目だし、広がる方向だと思うぜ」
「僕もおっさんの意見に賛成ですね。ただ向きだとしても――」
「それがどう違ってくるかが、今ひとつ分からないな」
予想としては霊域を上に広げた場合、地上部分をより遠くまで覆うことが出来る気がする。
そうなると逆に下、地下部分に霊域を広げるメリットについてが、さっぱり思い付かない。
地下にも、生き物が多く潜んでいるということなのか?
うーん、無理がある仮説だな。
ここは深く悩むまでもなく上昇一択で良い気がするのだが、上という文字が少しばかり気になる。
上に昇っていくということは、もしかして、いや、でも、しかしな……。
「たおーす!」
「あ、道理で動かないはずっす! これ地面に埋まってるっすよ!」
「なに?!」
飛込んできた言葉に思わず顔を上げる吾輩。
その視界に映ったのは、黒棺様の周りの土を踏み鋤でほじくり返すニーナの姿だった。
慌てて近寄ってみると、その言葉の意味が即座に分かる。
黒棺様の側面は、地面の中へと続いていたのだ。
本当に根が生えていたのか……。
「あれ、地面掘れてます? 前はカチカチで無理でしたよね」
「今、精霊眼で確認したが、普通に土の精霊が存在しているな。前は空白地帯だったのに」
「となると、霊域拡大が開放されたせいじゃねぇか?」
これも抑制されていたのか。
それが解除されたということは……。
「…………ちょっと確認してみるか」
杖を一突き、地中の土を脇にどかしてみる。
さらに深く。
もっと深く。って、嫌な予感が的中したようだ。
タイタスの身長を優に超える穴の底から覗いていたのは、延々と地の底へ伸びている黒棺様の姿だった。
「これじゃ、黒柱様じゃないか……」
「まさかの新事実の発覚ですね」
「面倒だし、呼び名はそのままで良いんじゃねぇか」
「倒した?」
「全然、倒せてないっすよ! チッコイさん」
真っ黒な塊が地面に埋まる様は、吾輩の頭骨内に恐ろしい映像が呼び起こした。
この柱が天高く昇っていき、その天辺に追いつこうと延々と足場を作っていく骨たちの姿だ。
そしてふと気付き、足元を見た瞬間――――。
「ああああぁぁぁああ!!」
「何してんだ、吾輩さん?!」
「えっ? 勝手に押しちゃったんですか!」
下降を選択した瞬間、地面を揺らす響きが足元から伝わってくる。
地響きは数秒間だけ続いたが、不意に何事もなかったかのように収まった。
「どうなったんだ? 棺の場所はそのままだが」
「俺っち分かるっすよ。さっきよりも、下の方に広がってるっす!」
「倒す!」
「一応、この平面図を見ると地上部分も、それなりに広がってはいるみたいですが……」
「……………………ふう」
「いや、なに助かったって顔してんだ、吾輩さん」
「何で下降を選んじゃったんですか? あ、文字が消えてるじゃないですか!」
「いや……だって、危ないだろ。高いところは」
「ワーさん、意味分かんないっすよ。もしかして、高いところ苦手なんすか?」
取り敢えずさっき掘った穴に、ニーナを埋めることにした。
む、なんで吾輩を拘束するんだ? タイタス。
その大きな石はなんだ?! 五十三番。
止めろ、無理に膝を曲げさせるな! ロクちゃん。
「しばらくそれで反省してて下さい、吾輩先輩」
「まあ、やっちまったもんは仕方ないな。で、どうなってんだ?」
「上昇と下降の選択肢が消えて、霊域拡大の横に段階1って出てますね。さらにその横に魂魄自動回収って文字がありますよ」
「それだけか?」
「まだありますね。段階1の下に段階2の文字も見えます。ただしこっちの文字の色は灰色ですが」
「ああ、理由は多分これだ。総命数が1000減ってやがる。2段階分に行くには、魂が足らなかったってとこだろうな」
どうやら黒棺様が、断りなく総命数を使ってしまったらしい。
なんとも自分勝手な行いである。
「石、増やしますよ」
「すまん、反省している。しかし段階2への拡大が、自動で発動されると困るな」
「流石にその時は、選択できるとは思いますけどね」
「ま、魂も集めやすくなったことだし、減った分くらいはすぐに集まるだろ」
「倒す!」
「俺っちも頑張るっすよ!」
よし、良い方向にまとまってくれたようだ。
けれども、現実はそう甘くない。
「実際のところ、そう簡単には行かないと思いますね。まず霊域自体は便利ですが、あまりにも狭すぎます。せめてこの森全体を覆ってくれていたら、話は変わってくるんですが。それに生き物自体が増えたわけでもないですから、結局、遠征して捕まえて戻るという手間はそのままですよ」
「ああ、言われりゃそうだな。俺たちが魂を集めていけば生き物が減っていくのは、どうしようもないって話になっちまうか」
「ええ、縄張りを広げるためには魂が要りますが、その魂を集めるために、もっと広い縄張りが必要となってくる矛盾ですね」
「…………だからこそ、吾輩はあの集落に手を貸したのだよ」
魂が減ったのなら、縄張りの中にもっと生き物を呼び込めば良い。
だが野生の生物は、そうそう大きな移動を繰り返したりはしない。
しかし人間ならば、そこに目的を作ってやれば、意外と簡単に群れたり増えたりしてくれるのだ。
「霊域を広げ村に達すれば、あとは彼らがあそこで生活していくだけで、魂は確実に集まってくるだろう」
「それはかなり気の長い話ですね」
「一度、仕組みが確立すれば、あとは楽なものだと思うがな」
「その前に事が発覚する危険性のほうが、高いんじゃねぇか? 厄介な連中に目をつけられると厄介だぜ」
「うむ、それだが、鍛冶屋に頼んでおいた物がある。おい、入れ」
吾輩の命令に、一体の下僕骨が部屋に入ってくる。
その体は真っ黒な鎧に覆われており、骨の部分が外部に露出しないよう工夫がなされていた。
「前に鍛冶屋が、黒甲虫の殻を使って胸当てを作っていただろう。あれを見て思いついた物だ」
とはいえ全身を隠すには材料の数が足りず、布地もかなり併用しているが。
具体的に頭部は殻で守られているが、顔の下半分をピッタリと覆うのは黒い一枚布だ。
肩や胸部、背中にも殻が貼り付けてあるが、腕や胴体部分は普通の服だったりする。
ズボンも膝や股間以外は布で、あとは手袋や長靴で誤魔化している有り様だ。
「おお、カッコ良いっすね。俺っちの分はないっすか?」
「倒す!」
「なるほど、これならかなり誤魔化せますね」
「いや、話しかけられたら、一発でバレねぇか? それにちょっと周りからも浮いてる気がするんだが」
「ふ、それが良いのだよ、タイタス。呪われし森の守り手として、これ以上の姿はないだろ」
石を抱いて正座しながら、吾輩は自慢げな笑みを浮かべてみせた。