第四話 お金は、何と交換できるのでしょうか
第四話 お金は、何と交換できるのでしょうか
「トゥルルルルル……ジャジャーン!」
クリスマスイブの夜。
桃田ルカの部屋に、あの音が響いた。
「こんばんは、桃田ルカさん。本日も、クイズのお時間です」
透明な台座の上で、AIヒトシ君が微笑んでいる。
草野仁を思わせる、落ち着いた声。
その声が、これから出題する問題の恐ろしさを、少しも予告してくれないことが、ルカには気に入らなかった。
「今日は、お金のお話です」
「またですか」
「はい。お金は、私たちの生活に深く関わっていますから」
「そりゃ、そうでしょうね」
ルカはソファに座り、テーブルの上に置いたスマートフォンを手に取った。
証券会社の広告が表示されていた。
資産形成。
長期投資。
複利の力。
どれも、最近よく見かける言葉だった。
「では、第一問です」
ヒトシ君の声が、少しだけ弾んだ。
「ここに、百万円があります」
「はい」
「銀行口座に預けておけば、元本は原則として減りません。ただし、物価が上昇すれば、同じ百万円で買えるものが少なくなる場合があります」
「まあ、そうですね」
「一方、投資をすれば、資産が増える可能性があります。ただし、損失が発生し、元本を下回る可能性もあります」
「はいはい」
「さて、桃田さん。あなたなら、どちらを選びますか?」
ルカは、少し考えた。
「余裕資金なら、投資ですかね。銀行に預けているだけじゃ、物価が上がったときに実質的な価値が減るかもしれない。もちろん、全部を投資に回すわけじゃありませんけど」
「お見事です」
ヒトシ君が拍手した。
「リスクとリターンの関係を理解していらっしゃいますね」
「まあ、これくらいは」
ルカは得意げに笑った。
「最近は、学校でも金融教育をやるんでしょう? 知らないほうが、どうかしてますよ」
「では、第二問です」
「まだあるんですか」
「もちろんです」
ヒトシ君は、いつもの笑顔を崩さなかった。
「桃田さんは、投資によって百万円の利益を得ました」
「いいですね」
「おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「では、質問です」
一拍の沈黙。
「あなたは、その百万円で、何を買いますか?」
「何って……」
ルカはスマートフォンを置いた。
「別に、何も買わなくてもいいでしょう。資産として持っておけばいい」
「なるほど。では、その百万円の利益を得るために、あなたが支払ったものは何でしょうか?」
「投資資金ですよね」
「それだけでしょうか?」
ルカは口を閉じた。
「投資には、元本を失うリスクがあります。値動きを気にする時間もあるかもしれません。判断を誤れば、別の機会を逃すこともあるでしょう」
「それは、そうですけど」
「では、その時間や不安にも、価格をつけますか?」
「いや……」
「もし価格をつけるなら、いくらでしょう?」
ルカは苦笑した。
「そんなもの、計算できないでしょう」
「おっしゃるとおりです」
ヒトシ君は、あっさりとうなずいた。
「ところで、桃田さん」
「はい?」
「あなたは、百万円の利益を得たとき、それを成功と呼びますか?」
「そりゃ、成功でしょう」
「では、百万円の利益を得るために、家族と過ごす時間を失った人も、成功したのでしょうか?」
ルカは眉をひそめた。
「それは、投資とは別の話でしょう」
「本当に、別の話でしょうか?」
ヒトシ君の声は、穏やかなままだった。
「投資の結果を評価するとき、私たちは利益や損失を数字で表します。しかし、その人が何を優先し、何を犠牲にしたかまでは、数字だけではわかりません」
「……」
「では、第三問です」
また、あの音が鳴った。
「トゥルルルルル……ジャジャーン!」
「桃田さん。等価交換とは、何でしょう?」
ルカは、思わず吹き出した。
「なんですか、急に。錬金術ですか?」
「いいえ。クイズです」
「同じ価値のものを交換すること、ですかね」
「では、質問です」
ヒトシ君は、少し首を傾けた。
「百万円と、百万円を受け取る権利は、同じ価値でしょうか?」
「条件によるでしょう。いつ受け取れるのか、確実なのか、相手に信用があるのか」
「すばらしい回答です」
「でしょう?」
「では、百万円と、百万円を受け取るために十年間待つ時間は、同じ価値でしょうか?」
ルカは、口をつぐんだ。
「では、百万円と、百万円を受け取るために、誰かの期待に応え続ける人生は?」
「……ちょっと待ってくださいよ」
ルカは笑おうとした。
けれど、うまく笑えなかった。
「それは、もうお金の話じゃないでしょう」
「そうでしょうか?」
ヒトシ君は、静かに答えた。
「お金を得るために何かを差し出す。何かを得るために、お金を差し出す。私たちは、日々、さまざまな交換をしています」
「だから?」
「その交換が等価だったかどうかは、誰が決めるのでしょう?」
ルカは、ヒトシ君を見つめた。
「市場価格でしょう」
「市場価格が決めるのは、取引されるものの価格です」
「……」
「あなたの人生の価格ではありません」
部屋が、静かになった。
窓の外では、クリスマスのイルミネーションが瞬いていた。
ルカは、ふと自分の暮らしを思い浮かべた。
毎朝、決まった時間に起きる。
仕事に行く。
昼には、DEAN & DELUCA 広尾で買ったブラックオリーブのフォカッチャと、ミネストローネを食べる。
帰宅すれば、好きな動画を見て、好きなものを食べる。
自分で稼いだお金で、自分の好きな暮らしをしている。
それの、どこが悪いのだろう。
誰にも迷惑をかけていない。
自分の人生なのだから、自分の好きなように生きていい。
そう思っていた。
「桃田さん」
ヒトシ君が呼びかけた。
「あなたは、ご自分の人生を、いくらで売りますか?」
「は?」
ルカの声が、思わず裏返った。
「売るって……何を言ってるんですか」
「質問です」
「人生に値段なんて、つけられるわけがないでしょう」
「では、あなたは、ご自分の人生に値段をつけない一方で、ほかのものには値段をつけていらっしゃるのですね」
ルカは、言葉を失った。
「食事。衣服。住居。移動時間。仕事の報酬。投資の利益」
ヒトシ君は、淡々と並べた。
「あなたは、それらを比較し、選び、交換しています」
「それは、普通のことでしょう」
「はい。普通のことです」
ヒトシ君は、微笑んだ。
「では、その普通の暮らしを送るために、あなたが見ないことにしているものは、ありませんか?」
ルカは立ち上がった。
「もういいです」
「クイズは、まだ終わっていませんが」
「僕は、金融商品の説明を聞きたいわけじゃないんですよ」
「金融商品の説明は、しておりません」
「わかってますよ!」
声が大きくなった。
ルカ自身が、いちばん驚いた。
ヒトシ君は、黙っていた。
「……すみません」
ルカはソファに座り直した。
「なんだか、あなたのクイズは、答えがないんですよ」
「そうかもしれません」
「正解したと思ったら、別のことを聞いてくる」
「はい」
「こっちが何を答えても、もっともらしいことを言う」
「そのように感じられたのですね」
「そうじゃないんですか?」
ヒトシ君は、しばらく沈黙した。
そして、いつもの声で言った。
「桃田さん。最後に、もう一問だけ」
「……どうぞ」
「もし、あなたが何かを得るために、何かを失ったとします」
ルカは、黙っていた。
「それでも、あなたは、その選択を正しかったと言えますか?」
「……」
「それとも、失ったものがあるという理由だけで、その選択は間違いだったのでしょうか?」
ルカは答えなかった。
ヒトシ君も、答えを求めなかった。
やがて、ルカは電源ボタンに手を伸ばした。
画面が消える直前、ヒトシ君が言った。
「ご参加、ありがとうございました」
いつもの、明るい声だった。
「また、お会いしましょう」
部屋が暗くなった。
ルカは、テーブルの上のスマートフォンを見た。
証券会社の広告は、まだ表示されていた。
『未来のために、今できることを。』
ルカは画面を閉じた。
それから、冷蔵庫を開けた。
缶ビールを一本取り出す。
プルタブを起こすと、軽い音がした。
イカの燻製を皿に出す。
ビールをひと口飲み、ルカは息を吐いた。
別に、人生を売ったつもりはない。
何かを失ったつもりもない。
ただ、毎日働いて、給料をもらって、自分の好きなものを買っているだけだ。
それの、何がいけないのだろう。
ルカは、イカの燻製をひと切れ口に入れた。
少し、しょっぱかった。
テーブルの上では、消えたAIヒトシ君が、透明な台座の中で静かに微笑んでいた。




