第19話 君にはこれが必要になるだろう
「後から何かが入る場所、ですか」
ノートンは壁の術式へ目を戻した。
黒く残された線の間には、何も描かれていない部分がある。
線を減らした結果として生まれた空白なら、それ自体に意味はないはずだった。だがレインには、必要な部分が失われたというより、何かが入るのを待っているように見えた。
「どこへ入ると思います?」
「分かりません」
レインは答えた。
「場所があるというより、途中で止めてあるように見えます」
「外周は閉じています」
「はい。現代式としては完成している」
ノートンの指が止まった。
「それでも、途中に見える?」
レインは頷いた。
何が似ている。
『情報が不足しています』
では、なぜ類似を検出した。
『参照記録が欠損しています』
答えにはなっていない。
それでも、アークが見たことのない術式を何でも古代式に結び付けているわけではないことだけは分かった。
「この構造は、事故術式から魔力が通った経路だけを抜き出したものです」
ノートンが、灰色で消された線を指した。
「焼損した箇所を除き、事故の結果に関わったと推定できる処理だけを残した。初めは、何が起きたかを切り分けるためでした」
「それで動いた」
「ええ。ただし、条件を限定した場合だけです」
セシリアが壁の図へ一歩近づいた。触れずに外周と節点を目で追う。
「削った線の中に、安全構造は?」
「含まれる場合があります」
「それを動かしたんですか」
「遮断結界の内側で、出力を最低まで落として」
「安全だったかではなく、安全構造を外した術式を動かしたのかと聞いています」
ノートンは、ほんの少しだけ目を細めた。
「動かしました」
セシリアの指が鞄の留め具へ触れる。
「事故を調べていたら、事故を起こしそうな術式ができた?」
フィンが言った。
「そうならないために調べています」
ノートンの声は穏やかだった。
けれど今度は、誰も笑わなかった。
「今日は遅くなりました」
ノートンは三人分の証言をそろえ、記録板の上へ置いた。
「この続きは、また機会があれば」
レインを誘う言葉ではなかった。
それでも研究室を出た後も、線の少ない術式が頭から離れなかった。
事故の結果だけを抜き出したら、普通より少ない線で動く術式が残った。
それは本当に、不要なものを削った結果なのか。
それとも、動作に必要な最低限だけを残したことで、別の構造へ近づいたのか。
今のレインには区別できない。
「興味を持つのは止めないわ」
階段を下りながら、セシリアが言った。
「でも、試すのは別よ」
「試すなんて言ってない」
「顔には少し書いてある」
フィンが横から覗き込む。
「どの辺りに?」
「襟飾りの下」
「それ、今日聞いた」
「使いやすかった」
セシリアは何も言わず、二人の間へ入った。
◇
翌朝、寮を出ようとしたところで、レインは受付の前に呼び止められた。
「アークライト。荷物だ」
寮監が小さな木箱を机へ置いた。
片手で持てるほどの大きさだった。黒く塗られた表面に装飾はない。細い紙札には、レイン・アークライトと正確に記されている。
「誰からですか」
「それが分からん」
寮監は台帳を裏返した。
「危険物検査は通っている。昨夜の便で受付へ入った記録もある。だが、受け入れ元が空欄だ」
「空欄のまま受け取ったんですか」
「受け取った者の署名はある。本人は、差出人も書かれていたと言っている」
台帳には確かに受付担当者の名があった。
その横だけが、不自然に白い。
「受け取った時には、書いてあったんですか」
「そう聞いている。朝の引き継ぎで確認した時には消えていた」
寮監が紙面へ指を滑らせる。
削った跡も、書き直した跡もない。最初から何も記されていなかったように見えた。
「学院の配達記録にも照会を出しておく。開けるなら、一人ではやるな」
「分かりました」
レインは箱を持ち上げた。
見た目より軽い。
「開けないのか?」
隣にいたフィンが箱を覗き込む。
「ここでは開けない」
「正解」
階段から下りてきたセシリアが言った。
「フィンなら開けていたでしょうけど」
「俺も三秒は迷う」
「短いわ」
三人は一限目の開始前に、空いている小演習室を借りた。
セシリアが入口へ警戒術式を置く。フィンは窓を確かめ、室内にほかの出入口がないことを確認した。
机の中央へ木箱を置く。
「開ける前に確認する」
セシリアが言った。
「差出人不明。受け入れ元の記録も消えている。危険物検査済みでも、安全とは限らないわ」
「検査の後で中身を替えられたかもしれない」
フィンが箱の底を見る。
「継ぎ目はある。でも、開け直した跡はないな」
「分かるの?」
「たぶん」
「今、一番信用したくない言葉ね」
レインは箱の留め具へ指を掛けた。
「開ける」
二人が頷く。
留め具を外しても、術式は起動しなかった。
蓋の内側には、折り畳まれた紙が一枚挟まれている。
その下には黒い布が敷かれ、環状の金属製品が収められていた。
宝石も紋章もない。
黒に近い銀色で、装飾品にしては少し幅が広い。何かの装置から、環状の部品だけを取り外したようにも見えた。
レインは先に紙を開いた。
書かれていたのは、数行だけだった。
これは導環と呼ばれていた装具だ。
左手に着けろ。
自分から魔力を流さず、適合を待て。
君には、これが必要になるだろう。
署名はない。
「導環」
フィンが紙を横から読む。
「名前まで書くなら、もう少し説明してくれてもいいだろ」
「使い方は書いてあるわ」
セシリアの視線が、左手に着けろという一文で止まる。
「書いてあるから安全とは限らない」
「自分から魔力を流すな、か」
レインは最後の一行をもう一度見た。
必要になる。
何に必要なのかは書かれていない。
「触らないで」
セシリアは術式手袋を着け、机の上へ小さな探知術式を構築した。
中央の対象環へ木箱を置く。周囲に配置した三つの節点が、蓄積魔力、起動中の術式、熱変化を順に確認する。
すべての線を見直し、外周を閉じる。
淡い光が箱を包んだ。
三つの節点は、どれも色を変えなかった。
「魔力反応なし。起動中の現代術式もない。温度も室温と同じ」
「安全?」
「今の術式で異常を見つけられなかっただけ」
セシリアはすぐに外周を開き、探知を止めた。
次にフィンが薄い布を取り出し、その上から導環を持ち上げる。
「軽いな」
窓からの光へかざし、内側を覗いた。
「ここに溝がある」
「文字?」
「文字には見えない。細すぎて数えられないけど、何本も並んでる」
外側は滑らかだった。
内側だけに、髪の毛より細い溝が何周も走っている。
術式記号のような区切りはない。
「外より、指に触れる側の方が細かく作られてる」
フィンは導環を布へ戻した。
「飾りじゃないと思う」
セシリアが直接触れる。
何も起きない。
「手紙には、自分から魔力を流すなと書いてある」
「分かっているわ」
指先へ魔力を集めることもせず、表面の温度と重さだけを確かめる。
「触れただけでは反応しない」
「適合を待て、って何を待つんだろうな」
「それを確かめるために、勝手に魔力を流すのは駄目よ」
「俺は何もしてない」
「言う前に止めただけ」
レインは導環を見た。
アーク。知っているか。
『該当記録を確認できません』
導環という呼び方は。
『照合不能』
古代の装具か。
『判定不能』
危険は。
『情報が不足しています』
「アークにも分からない」
「名前も?」
「記録にないみたいだ」
「送り主が勝手に付けた名前かもしれないわね」
「でも、使い方は知っている」
レインの言葉に、セシリアは答えなかった。
差出人は、導環が左手へ装着するものだと知っている。
自分から魔力を流してはいけないことも知っている。
そして、これがレインに必要になると判断した。
知らない相手が、レインについてどこまで知っているのか。
導環そのものより、その方が不気味だった。
「俺が触る」
「待って」
「二人には反応しなかった。手紙には左手に着けろと書いてある」
「着けろと書かれていることは、着ける理由にならない」
「でも、俺宛てだ」
「それも安全の根拠にはならないわ」
フィンが二人の間へ布を広げ直した。
「まず触るだけ。着けるかどうかは、その後で決めよう」
セシリアはすぐには頷かなかった。
やがて机の反対側へ回り、レインの手元へ届く位置に立つ。
「布の上で。異常があったら離して」
レインは導環へ指先で触れた。
冷たい。
それだけだった。
アークからの警告もない。
持ち上げても、光は出ない。形も変わらない。
「何もない」
「なら戻して」
「まだ着けてない」
「着けるつもりだったの?」
「手紙には、適合を待てと書いてある。触るだけじゃ何も分からない」
「だからといって」
「条件を決めよう」
フィンが言った。
「十秒。魔力は流さない。痛みか熱が出たらすぐ外す。俺が腕を押さえて、セシリアが導環を外す」
「どうしてあなたが進める側なの」
「放っておいたら、二人だけで同じ結論になるまで話すから」
セシリアは不満そうに口を閉じた。
レインへ視線を戻す。
「左手だけ。手紙に書かれている以上のことはしないで」
「分かった」
「魔力も流さない」
「ああ」
「アークが異常を検出したら、すぐに言って」
「分かってる」
レインは左手の人差し指へ導環を通した。
少し大きい。
そのままでは、指の根元でも隙間が残るはずだった。
だが、奥まで入った瞬間、内側の溝に淡い光が走った。
「外して」
セシリアがすぐに言う。
「待って」
「光ったわ」
「痛くない」
導環がわずかに縮む。
金属が曲がる音はしなかった。皮膚へ食い込むこともなく、指との隙間だけがなくなった。
内側を走った光は、すぐに消える。
外から見れば、黒銀色の環が指にはまっているだけだった。
「適合した、ということか?」
フィンが低い声で言う。
「まだ決めないで」
セシリアの手は、導環へ届く位置にある。
レインは左手を開いた。
指は動く。
熱も、しびれもない。
それでも、何かが違った。
胸の奥にあった引っかかりが薄れている。
呼吸をするたび、わずかに遅れていたものが、同じ速さで動く。
魔力を意識して流してはいない。
それなのに、損傷した経路を避けて迂回していた細い流れが、先ほどより安定していた。
「レイン?」
「少し、楽になった」
「どこが?」
「胸の奥。魔力が引っかかっていたところ」
「外して」
今度は逆らわなかった。
レインが導環へ指を掛ける。
抜こうとした瞬間、環がわずかに広がった。抵抗なく指から外れる。
胸の奥へ、重さが戻った。
痛みではない。
事故の後から、ずっとそこにあったものだ。
一度消えたせいで、前よりはっきり感じられる。
「どう?」
フィンが笑わずに尋ねた。
「戻った」
「何が戻ったの」
「魔力の引っかかり」
レインは導環を手のひらへ載せた。
もう一度着ければ、楽になる。
治ったわけではない。
それでも、外した後の身体は着ける前より重く感じられた。
アーク。さっき何が起きた。
『魔力経路の変動低下を確認』
損傷は。
『変化を確認できません』
治ったわけではない。
『肯定』
お前が経路を補っているのと同じか。
『類似する補正を検出』
アークの声も、いつもよりわずかに近く聞こえた気がした。
声の大きさではない。
途切れず、直接届いた。
今はどうだ。
『接続精度が低下しました』
導環を外したからか。
『関連性を否定できません』
「アークは、魔力経路の揺れが減ったと言ってる。損傷自体は変わってない。アークがしている補正と似ているらしい」
「ほかには?」
「着けている間、アークの声が少しはっきりした」
セシリアは導環ではなく、レインの左手を見た。
「箱へ戻して」
「もう一度だけ着ければ」
「駄目」
声は大きくなかった。
それでも、レインの手が止まる。
「身体に作用した時点で、私たちだけで続ける範囲を超えているわ」
「でも、何が変わったかはまだ」
「変わったから止めるの」
レインは手の中の導環を見る。
フィンが机の上の布を引き寄せた。
急かさず、導環を置く場所だけを近くへ作る。
レインはそこへ導環を置いた。
セシリアが箱へ戻し、手紙も一緒に収める。
「リリアへ持っていくわ」
「その前に、学長室だ」
フィンの言葉に、セシリアが顔を上げた。
「どうして?」
「寮の配達記録が消されてる。導環だけの問題じゃない。誰かが学院の中まで荷物を通したんだ」
「学長に見せたら、そのまま預けることになるかもしれない」
レインは閉じた箱を見た。
「それでも報告する」
少し前なら、そう答えられなかったかもしれない。
分からないものを、一人で抱えない。
今度はアークに言われる前に決めた。
セシリアが警戒術式を解除する。
「一限目の前に行くわ。学長がいなければ、秘書へ記録だけ残す」
フィンが箱を持ち上げた。
「これは俺が持つ」
「どうして?」
「お前が持ってると、歩きながら必要になるかもしれないだろ」
手紙の言葉を使っただけなのに、レインは返せなかった。
◇
学長室の扉は、朝から開いていた。
秘書へ事情を伝えると、三人は待たされることなく中へ通された。
学長は窓際の机で、昨夜の報告書に目を通していた。三人を見ると書類を伏せる。
「今朝は早いね」
「レイン宛てに、差出人不明の荷物が届きました」
セシリアが答えた。
「寮の受領時には差出人が記録されていたそうですが、今朝には消えていたそうです」
学長の目が、フィンの持つ箱へ移る。
「開けたのかね」
「はい」
「触れた?」
「三人とも。レインは装着しました」
セシリアは言葉を濁さなかった。
学長は椅子の背へ身体を預ける。
「順番に聞こう。まず、箱をここへ」
フィンが机へ置く。
学長はすぐに蓋を開けなかった。表面、底、紙札の順に見てから、留め具へ触れる。
箱の中へ視線を落とした時、その手が一度だけ止まった。
驚いたようには見えない。
ただ、黒銀色の環を見た時間が、ほかより少し長かった。
「手紙も入っていました」
レインが折り畳まれた紙を差し出す。
学長は受け取る前に言った。
「左手に着けたのだね」
室内が静かになった。
レインは自分の左手を見る。
「どうして分かったんですか」
学長は紙へ目を落とした。
そこには確かに、左手に着けろと書かれている。
「この形なら、右手を使う理由は少ないと思っただけだよ」
答えながら、手紙を開く。
セシリアの視線が、学長の指先から離れなかった。
「導環、か」
学長はその呼び名を小さく繰り返した。
「聞いたことがあるんですか」
「古い記録には、用途の分からない呼称がいくつも残っている。これも、その一つかもしれない」
「どの記録ですか」
「今すぐ示せるほど確かなものではない」
学長は手紙を机へ置いた。
「装着した時、何が起きた?」
レインは、導環が縮んだこと、内側の溝が光ったこと、胸の奥の引っかかりが薄れたことを説明した。
アークが魔力経路の変動低下を確認したことも隠さなかった。
「外すと戻りました。損傷自体は変わっていません」
「そうか」
学長は導環へ触れず、箱の縁へ指を置いた。
「なら、治療具とは考えない方がよい」
「何だと思いますか」
「今の話だけなら、流れを整えるものだろう。増やすのでも、直すのでもなくね」
フィンが机へ少し身を寄せる。
「送り主が書いた使い方は正しい?」
「少なくとも、自分から魔力を流すなという注意は守るべきだ」
「理由は?」
学長はすぐには答えなかった。
「受け取るためのものへ、こちらから押し込めば、何が返るか分からない」
レインは箱を見る。
受け取るためのもの。
「術式から、何かを受け取るんですか」
「そうとは言っていない」
学長の声は穏やかだった。
「環の内側に構造が集まっているなら、装着者の側を読む可能性もある。君の魔力経路に合わせて形を変えたのなら、まず疑うべきはそちらだ」
セシリアが口を開く。
「なぜ、環の内側に構造があると?」
学長の視線が、箱の中へ落ちた。
「見れば、細い溝がある」
「箱から出していません」
一瞬だけ、風が窓を鳴らした。
学長は笑わなかった。
「目はまだ悪くないつもりだよ」
箱は深くない。上からでも、導環の内側はわずかに見えている。
説明はつく。
それでもレインは、学長が箱を開けた時の止まり方を思い出した。
「導環を預かりますか」
学長はセシリアの問いに、すぐには頷かなかった。
「差出人と配送経路はこちらで調べる。だが、導環は君たちがリリア君へ持っていきなさい」
「いいんですか」
「彼女は古い装具の修復経験がある。それに、閉じていない構造を長く見てきた」
切れ目の研究。
レインは、時計塔で見せてもらった資料を思い出した。
「ただし条件がある」
学長は導環の上へ手紙を戻した。
「リリア君が確認するまで、もう装着しない。強い探知術式を直接当てない。もちろん、魔力も流さない」
「分かりました」
「それから、導環が届いたことは広めない方がよい。隠せという意味ではないよ」
学長は三人を順に見た。
「送り主がまだ名乗らない以上、こちらから知らせる相手を増やす必要はない」
フィンが箱を閉じた。
「相手は、また送ってくると思いますか」
「必要なら、そうするかもしれない」
「送り主に心当たりがあるみたいに聞こえます」
学長は、机の端に置かれた報告書へ視線を移した。
「心当たりと呼べるほど近いものではない」
「では、誰だと思っているんですか」
レインが尋ねる。
学長は少し間を置いた。
「学院の内側から君を見ている人物ではないだろう」
「どうして?」
「内側にいるなら、配達記録を消す必要はない。もっと簡単な方法がいくらでもある」
答えは筋が通っていた。
だが、それだけではないように聞こえた。
「今は、道具の方を確かめなさい」
学長は箱をフィンの方へ押し戻す。
「送り主を追うのは、こちらの仕事だ」
「見つかったら教えてください」
「約束できる範囲でね」
セシリアの指がわずかに動いた。
学長はそれを見て、言葉を足す。
「君たちの安全に関わることは伝える。これでどうかね」
「分かりました」
今度の返事には、少しだけ間があった。
フィンが箱を持ち上げる。
「これは俺が持ちます」
「なぜ君が?」
「レインが持ってると、必要になるかもしれないので」
学長は手紙へ一度目を落とし、口元をわずかに緩めた。
「なるほど。では、見えるところへ付けておきなさい。君の鞄の中は、私にも分からない」
フィンの手が止まる。
「俺の鞄のことまで知ってるんですか」
「実習記録に何度も出てくるからね」
「悪いことはできないな」
「しないでくれると助かる」
学長室を出る時、レインはもう一度振り返った。
学長は伏せていた報告書を開いていた。
だが、読んでいるようには見えなかった。
机の上の空いた場所を、しばらく見ていた。
◇
廊下を離れてから、セシリアが足を止めた。
「学長は、導環を知っている」
「知ってるとは言わなかったぞ」
フィンが箱の留め具を確かめながら答える。
「知らないとも言っていないわ」
「左手のことは、手紙を読む前に言った」
レインは自分の手を見る。
「内側の溝も」
「箱の上から見えた可能性はある」
セシリアはそう言ったが、声に納得はなかった。
「聞き出す?」
「今は無理よ。答えるつもりがあるなら、あの場で話している」
フィンが歩き出す。
「じゃあ、先にリリアだな」
「授業の後よ」
「分かってる」
「本当に?」
「一限目まで、あと三分」
三人は同時に廊下の時計を見た。
フィンが走り出す。
「箱を持ってる人間を置いていくな!」
レインとセシリアも後を追った。
黒鞄の外側で、木箱が小さく揺れる。
導環は光らなかった。
それでもレインの左手には、ちょうどそこに何かがあるような感覚だけが残っていた。
学長は、何を知っているのか。
送り主は、どこからレインを見ているのか。
答えは一つも増えていない。
ただ、導環がレインのために送られたという事実だけが、朝よりも重くなっていた。




